第1話 少女と恋
「レーヴ! おはよう!」
図書館の扉を元気よく開け、朝日を背に、少女は目を輝かせている。
背は150センチほどで、さほど高くない。長く伸びた金色の髪は風に踊っている。
「ああ、おはようリーヴル。いい夢は見れたかな?」
のっしのっしと、図書館の奥から大きな体を揺らしながら、貘――レーヴがひょっこりと顔を出した。とてもつやつやの毛並みをしている。
「うん! 夢を見終わってから胸がドキドキしてて。なんだろう、これ。なんだか、スキップしちゃいそうなの!」
リーヴルは頬を紅潮させ、目をときめかせている様子だ。それを見たレーヴは柔らかい笑みを浮かべた。
「とりあえず聞かせてもらいたいな。食べるかどうかはその後にしよう」
レーヴはのっしのっしと、リーヴルの立っている出入り口へ歩いて行く。リーヴルは、はにかみながら一緒に外へ出てお茶をしながら話す準備を始めた。
珍しく雲ひとつない青空、吹き渡る心地よい風。今日はきっと最高の日だ。
リーヴルは紅茶を、レーヴは机と椅子とパラソルを用意し終え、ティータイムとともに夢の話が始まるのだった。
とても綺麗な水と、とても胸がドキドキしてしまう夢だった。
夢の中ではどういう職場で働いているのかいまいちわからなかった。生活が苦しい中、川の調査と修繕の依頼を受けて現場に向かっているところから夢が始まる。
山に流れる川でも、特別な水――町の人が言うには聖なる川――がどこかでせき止められ、流れなくなっている。それを、町に流れるどの川にも流してほしい。
それが依頼だった。
調査と作業は三人でこなすようだ。女と穏やかな人、ちょっと乱暴な人。
穏やかな人と乱暴な人は時計回りで調べるということだったので、女は反時計回りを調べることになった。
山をぐるりと囲むように川が流れている。
川伝いを歩く人影が三つ、二つは左へ、一つは右へとわかれていった。
山麓を流れる大河は見ているだけで清々しかった。川面は陽の光を浴びてきらめき、水は底が見えるくらい透き通っている。
山を下ってきた水があちこちで合流しているのが見られる。コロコロとぶつかり合う水の音はとても聞き良く、心を穏やかにしてくれるようだ。
しばらく行くと、山肌に大きく空いた穴――洞窟のような場所から大量の水が溢れ出している場所へとたどり着いた。
ゆるやかだが、ここに至るまでに見たどの川よりもたくさんの水が溢れ出している。ここもまた、とてつもなく綺麗に透き通った水が流れ出しているのだった。
いったいどこに依頼の川があるのだろう。
洞窟を見かけてからしばらく歩くと、それはあった。他の川より一際綺麗で輝いている。
なにかで塞がれているわけでもなく、水がないわけでもないのに川は流れていなかった。どういうことだろう。
近くで見てみると、なんと、川が凍りついていたのだ。
遠くから見たときは凍っているにも関わらず水が光り輝き、生きているように波打っていたというのに。
驚きとともに、これが聖なる川だと呼ばれていることが腑に落ちた。特別だ、間違いなく。
さて、この生きているような川にどうやって流れを戻すか考えながら、時計回りに進んでいった二人に連絡を取る。例の川が見つかったと。
二人の合流を待つ間、今やれそうなことをできる限りやってみることにした。
氷を溶かせないか火を近づけてみたが、溶ける様子はなかった。代わりに、氷の下では火を見るやいなや、はしゃぎ回る子どものように踊っている水流が照らし出された。
凍っているのは表面だけのようだ。もしかすると、この川自体は凍らないが、降った雨が凍りつくことで川に蓋をしたのではないか。
そんな考えが自然と浮かんでくるほど、この川はとても不思議なものだったのだ。
二人が到着し、女は待っている間に観察した状態をすべて話した。
「川が流れるよう山肌を削るしかないな。氷が溶けないならば砕くことも難しかろう」
少し乱暴そうな方がそう言い始め、器具を取り出そうとしていた。
「嫌です! こんなに川が綺麗なのに汚れてしまうかもしれない。近くには洞窟もあるし、削るのは危ないと思います!」
山肌を削るなんて、絶対に嫌だ。
衝動的に、感情的に真っ向から反対してしまったため、睨みつけるようにこちらをみてきた。少しひるんだが、ひいてはいられない。
「この軟弱者の腰抜けが」
「この乱暴者!」
一触即発の事態に、今まで黙っていた最後の一人が口を開いた。
「とりあえず氷を削ったり砕いたりしてみて、ダメだったら持ち上げてみるのはどうかな?」
穏やかな口調と表情に、二人の間に流れていたピリついた空気はどこかにいった。
「それは名案だ。早速取り掛かるか、氷剥がし」
乱暴者がそういうと、穏やかな人はにっこりと微笑み、女は黙って頷いた。
難航するかと思えば、氷の蓋を外すのは簡単だった。外すのだけは。
「さあ、この蓋どこへ移動しようか」
問題はそこだった。
乱暴者の問いに、穏やかな人はうーんと唸ってからにっこり笑う。
「せっかくだし、また氷の蓋ができないように傘になってもらおう」
そう言って、聖なる川の上にある、山の斜面から生えた木々を指さして言うのだった。
「木、折れちゃいません?」
心配になってそう尋ねてみると、穏やかな人は微笑みながら乱暴者を指さした。
「一人で持ててるし、軽そうだから大丈夫だよきっと」
こんな細い体のどこに力があるのだろうか。乱暴者は、巨大な氷の蓋を持ち上げ、軽々と上に放り投げた。
まるでエレベーターを真下から見上げているかのような、ありえない光景に口を開けて眺めていると、見事、氷の蓋は指差された木に引っかかり、落ちてくる様子は微塵もなかった。
「じゃあ、避難しようか」
川の水が溢れ出したくて仕方がないと言わんばかりに踊り狂っている。三人が離れるのを待ってくれているかのようにも見えた。
歩いていた川沿いの岸へ移ると、川の水は勢いよく溢れ出し、山沿いの川、山肌にある洞窟、付近にある川という川の中を、泳いでいるかのようにうねりながら流れ出していった。
元から水は綺麗だったのに、聖なる川が流れ出してから光り輝いているかのようだった。
それだけじゃない、ぐんぐんと水位が上がり、川の水が満ち溢れ、山も力強く脈打っているかのようだ。
なんて、力強くて綺麗なんだろう。
三人はしばらくの間、目の前に広がる光景を眺めてくつろいだ。
依頼は無事達成した。
依頼人はものすごく満足している。
良い景色だけでなく、良い笑顔が見れて女も満足だった。
報酬は各人一ヶ月余裕を持って暮らせそうな大金という大盤振る舞い。
何を買おうか、気分良く思いを馳せていると、乱暴者にばったりでくわした。
あんまり関わりたくない。
目を逸して気づかなかったふりをして通り過ぎようとしていたときだ。
「お前の考えは間違いじゃなかった。綺麗だったな」
視線を上げた頃には、乱暴者――力持ちの同僚の背中を目で追うことしかできなかった。女も、暴言のこと、一言謝りたかった。
植物の苗――レモンバーム、食べてみたい肉――鳩、兎、羊等々、買いたい物で悩んでいた。
植物の苗は、どういうわけか道端に野草として茂っていたので挿し木にして様子見することができたのでクリア。
食べてみたい肉しか選択肢がなくなり、どこで買おうか思案していると、小汚い服装だと通りすがりの人たちに笑われた。
気づけば、周りのみんなから遠巻きに見られ、汚い臭いみすぼらしいと陰口を叩かれているのだった。
そうか、ボロを着ているのは恥ずかしいことなんだ。
貧乏生活が長く、服に気をつかっていなくて気がついていなかった。ズボンは色が落ちてうっすら白く、服の袖は汚く変色していた。
軽く傷つきながら、肉じゃなくて服にしようと考えを改めようとしていると、例の乱暴者が目の前に現れた。
ああ、周りの人のようにクスクス笑いながら傷つくようなことを言われるのだろうか。なんて思っていると、ズカズカと近寄ってきた。怖くて、首を亀のように引っ込めていると、着ていた立派なロングコートを脱いで、そっとかけてくれたのだ。
目を丸くして見上げると、真剣な表情で、まっすぐにこちらを見つめていた。
「そのコートは着るのに飽きたからくれてやる。俺は新しいものが欲しい」
なんて言って立ち去ってしまった。
周りがざわつき、黄色い声をあげている人がちらほらいる。
顔が熱くなり、周りのざわめきが遠のいて聞こえるのを感じた。
コートは温かく、白くて綺麗でかっこいい。ピシッとしていてほとんど新品なんじゃないだろうか。女が着ている服の汚さなんてわからないくらいすっぽり覆っていて、まるで優しさに包まれているかのようだ。
胸がドキドキする。あの人のことが頭から離れない。
謝りたかったし、お礼も言いたかったのに言いそびれてしまったことを激しく後悔しながら、欲しかったものを買うことができた。
この肉が食べられるのはあの人がかばってくれたからだ。どの肉を買ったのかは覚えていないけれど。
来る日も来る日も、話しかけたいのに、声をかける前にそそくさとどこかへ行ってしまう。避けられているのだろうかと思うと、心がズキズキと痛んだ。張り裂けそうで辛い。
懐かれるのが迷惑なのかもしれない。懐かないようにしているだけなのかも。
せめて、お礼だけでも言わせてほしい。一言だけでも。
思い悩んでいると、穏やかな人がこそっと声をかけてきた。
「今日仕事終わったらゲームしない?あのときの三人でさー。今更ながらお仕事成功のお祝いみたいな感じ兼ねてさ。」
これはまたとないチャンスだ。心臓が暴れ出すのを感じつつ、三人で話しながら遊ぶ。
「あのときはありがとう、暴言を吐いてごめんなさい」
そう言おうとして目が覚めてしまった。
もじもじしながら、目をうるませ、話しているリーヴルをみて、レーヴは心がじんわりと温まるのを感じた。
成長したね。
「こんな気持ち初めて。ドキドキして苦しい」
ふうっと吐息をついている様子を温かく見守った。
「それはね、恋だと思うよ」
「恋?」
きょとんとしているリーヴルに、レーヴは落ち着いた様子で紅茶をすすり、どう話すか思案している。
「夢の中に出てきた彼のことを、かっこよくて、優しくて、好きになったってことだ。ギャップ萌えという言葉もある。とにかく、好きでたまらない。頭の中で彼のことばかりを考えてしまう状態のことだよ」
リーヴルは顔を赤らめ、ぼうっと宙を眺めながら紅茶を飲んだ。
「恋かあ。なんだか胸がいっぱいで、紅茶も喉を通りづらかったよ」
「間違いないね。恋だ」
しばらく沈黙が続いた。リーヴルは初めて抱く感情を噛み締めているように見える。
「レーヴにも、そういう人はいるの?」
虚をつかれたレーヴは、多少動揺しはしたが、すぐに落ち着きを取り戻してゆっくりと口を開いた。
「ああ。空腹で倒れそうだった私を、優しく介抱しながら夢を食べさせてくれた人。でも、これは君の抱いている恋とは違うものなんだ。私はそう思っている」
「いつも聞かせてくれる人のお話だね! 本当に大好きなんだね、レーヴ。でも、恋と違うそれはなあに?」
リーヴルは目を輝かせながら返事を待っている。レーヴは短い鼻を丸めて考えて答えを見つけた。
「愛というのだろうか。私にもはっきりとはわからないが、友愛という愛に近いものだと、私は思っているよ」
「愛かあ。なんだか素敵! じゃあ、私を拾ってくれたのも愛?」
レーヴは紅茶を一口飲むと、柔らかく微笑んだ。
「きっと、そうだよ」
ああ、きっとそうに違いないのだ。
きっと、彼女が夢を与えてくれたのは愛だったのだ。ソーンにしてもらったように、私もリーヴルに同じことをしているのだ。つまり、愛のバトンということになる。
彼女と、ソーンとずっと一緒にいたかったのに、ここに現れなくなってから随分と時間が経つ。一緒に名付けあったあの日を、昨日のことのように思い出せるのに、待ち続けた時間はとてつもなく長く感じた。これは、この気持ちだけは、バトンとして渡さないようにしなければ。
ソーンがいない寂しい気持ちを抑え込みながら、夢を食べるかどうか逡巡する。
恋心を抱くのは、リーヴルにとってきっと良い兆候なのだ。だから……。
「今回は夢をいただかないでおくよ。とても楽しく聞かせてもらえた。それだけで十分満腹さ」
レーヴは大きな自分のお腹をポンポンと叩いてウィンクして見せた。リーヴルはそれを見てニッコリと笑う。
「でも、続きなんてめったに見れないし、感情は消えちゃうわけじゃないから、食べちゃってもいいのに」
ああ、ソーンと同じことを言っている。
貘は夢を見ない。
人間はそれほどまでに同じ夢を見ないのだろうか。では、なぜ悪夢を我々に差し出す風習があったのだろう。
ソーンに会えなくなってから図書館に住み着き、いろいろな文献を漁ってきたが、夢はわからないことが多い。
「何があるかわからないよ。先のことは誰にもわからない。だから念のためにおいておこう。もし、手放したいときがきたら、そのときにいただきます。というわけで、今日はもうごちそうさまだ」
リーヴルはちょっと考え込んでからニッと笑う。
「これも愛ってやつだね!」
「ああ、もちろん」
お茶を飲み終え、二人は片付けを始めた。
心地の良い風が二人の間を優しく流れていった。
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