第2話 本物の声優




 突然だが、俺には霊が見える。




 ホントにこいつ何言ってんだ?

 と思うかもしれないが、事実だ。だからこそ、この物件を気兼ねなく契約することができたといっても過言ではない。


 とは言え、俺自身なぜ霊が見えるのかは知らない。

 もしかしたら実家が寺であることと関係があるのかもしれないが、家族の誰一人として霊が見えてる様子はなかったから実際のところは分からない。




 霊が見える。


 ということは霊と話すことも、触ることも当然できるわけだが、それは決して犯してはいけない禁忌。これは誰かに教えてもらったわけではない、俺自身が十数年間霊を見てきて感じたことだ。

 見える。話せる。触れる。と言っても、所詮はそれだけ。俺に除霊する力もなければ成仏させてやれるほどの人間でもない。


 先に断っておくが、霊に悪霊も善霊もいない。みんな同じような霊だ。

 そして一番勘違いされやすいことだが、実は霊同士会話することはできないということ。

 つまり、霊というのは常に一人でいるということだ。



「ああ~もう少し待ってください~……」



 俺の背中に抱き着いたまま、俺の耳元で泣きそうな声をあげた。

 耳元で囁かれるとドキッとしてしまう可愛らしい声だ。


 顔がうまく隠れるくらいの明るい黒髪。俺の色とよく似ている。

 背丈は……多分俺よりも小さいくらい。服装的に大学生か、あるいは高校生に近い年齢だろう。


 そんな幽霊ちゃん(仮)を背中に乗せたまま、重い足取りで部屋の玄関へと向かう。



「うあーっ」



 と項垂れつつも、玄関に近づくにつれ俺を抱きしめる力が徐々に弱くなる。そして靴を履いた途端、俺を締め付けていた細い腕がパッと身体から離れた。




 去る者追わず。

 どうやら殺意や憎しみといった感情で動いているわけではなさそうだ。


 部屋の方を振り返り、目の前でフヨフヨと浮かぶ幽霊ちゃん(仮)を眺める。

 勿論、俺が見えているということはばれない程度に。




 長年の経験上、霊は死んだときの状態でそのまま霊となる。

 よくアニメや漫画である、下半身から下が煙みたいになっている霊はそうそういない。目の前に浮かぶ幽霊ちゃんも5体大満足、外傷や血のシミがないところを見ると不幸な死に方をしたという訳ではなさそうだ。


 少し幼さの残った可愛らしい顔。

 何より、妹くらいの年齢の女の子だ。不動産の話からして霊が出るとは予想していたが、不幸な死に方をしていなくて少しだけ安心した。



「いってらっしゃーい」



 なんて無邪気に笑いながら手を振る幽霊ちゃん(仮)に思わず言葉を返しそうになる衝動を抑え、明るい日差しが差し込むマンションの廊下へと出る。

 時刻はまだ午後2時過ぎ。街を散策するには十分なくらいだろう。階段を下り、人通りの多い道を流れに沿ってぶらぶらと歩いていく。




 話を戻そう。


 霊は常に一人でいる。

 勿論、霊には生きた人たち見えているわけだが、それは一方的なものだ。見えたところで話すことはできない。それでも、霊は必死に気付いてもらおうと試行錯誤を重ねる。よくある金縛りやポルターガイストというのも一種の霊のアピールみたいなものだろう。


 そして、霊と言ってもその性格は生前と変わらない。

 物静かだった人は霊になったところで一人でフラフラと生きているし、寂しがり屋だった人は構ってほしいからか、色々とアピールを行う。

 よく悪霊がーなんてことを耳にするが、それは別に悪意があってやっているわけではなく、ただ俺たちに気づいて欲しいからやっているに過ぎない。要は寂しがり屋な霊が必死に気付いてもらおうとする結果、悪霊と呼ばれるようになるのだ。




 じゃあ俺みたいな霊と喋れる人が相手をしてやればいいじゃないか。




 なんて考えが浮かぶかもしれないが、それは愚の骨頂だ。


 もともと霊というのは何らかの未練があってこの世に存在している。

 当然その未練が無くなれば成仏するが、そうでなくてもいずれ霊自身が未練を忘れて勝手に成仏する。


 が、そこで俺みたいなやつらが霊と干渉してしまうと、霊にありもしない期待を抱かせてしまうことになる。霊が、『今のままでもいいか』と考えてしまうようになる……。

 その思いこそが、本来成仏できたはずの霊をこの世に留まらせてしまうのだ。


 だからこそ、霊と干渉していいのはその霊を成仏させてやることのできる人。成仏させる責任を負える人だけ。

 というのが俺の持論だ。




 *   *   *   *   *




 自宅から歩いて30分程度。俺が来週から通うであろう専門学校、『ボイスアーツ』のビルを見上げる。

 本来なら電車で一駅だが、今や声優にも体力が必要とされる時代だ。足腰を鍛えるために歩いてくるのも悪くはないかもしれない。




 声優。俳優。タレント。歌手。

『ボイスアーツ』はいわゆる声を扱う仕事の専門学校で、『アニメーション学院』、『ビジュアルアカデミー』と並んで声優学校の3本柱とも呼ばれている。それもあってか、一面ガラス張りで見上げてもビルの最上階がわからないくらい立派な建物だ。周りの会社に何一つ引けは感じない。


 勿論、学費もそれなりの値段だが、それはおいおい何とかすればいい。

 何でも優秀な学生は学費免除+そのままボイスアーツの事務所に所属できるという特権なんかもあるらしいし、今どうしようもないことを考えてもしょうがない。



「もしかして学校見学の方ですか?」



 ビルを見上げていると、不意に後ろから優しそうな女性の声がかかる。確認してはいないが、十中八九俺に対するものだろう。



「えっと、見学……ではないです。たまたま通りがかっただけで」



 まあたまたまではないんだけど、そこはいいや。



「そうなんですね。ちなみに、声優とか、興味ないですか?」



 歳はおそらく20代前半。もしかしたらもう少し若いかもしれないが、肩辺りまで綺麗に波を描いた茶色い髪がほんの少し大人っぽさを出している。

 ワンピース姿にコンビニの袋のなんとも似合わない組み合わせだが、優しそうなお姉さんだ。

 そして見た目によらずグイグイ来る系であるらしい。



「興味はまぁ……あるといえばあるんですけど」



「じゃあ見学していきますか?」



 と、お姉さんがパァっと嬉しそうに手を合わせた。




 ……え、そんな簡単に部外者入れていいんですか?

 と聞いてみたかったが、入学前に声優の勉強ができるなんてまたとないチャンスだ。余計なことを聞いて――。



「ほらほら、悩んでるくらいなら一度経験してみましょう!」



 と、疑問を浮かべる表情を悩んでいると受け取ったのであろうお姉さんが俺の両肩に腕を置き、半ば強引にビルの入口へと押し始めた。




 ビルの中に入り、警備員の前を抜けてロビーへと入っていく。

『専門学校』なんていうから高校のような内装なのだろうと予想していたが、実際は程遠い、どちらかといえば会社に近い感じだろう。全員が同じ時間に授業という訳でもなく、柔らかそうなソファに腰かけて談笑している人もいれば、ゲームをしている人もいる。



「お名前はなんて言うんですか?」



 俺が逃げないと分かったのか、お姉さんが俺の肩から手を離し尋ねた。



「えっと、如月です」



「あら、珍しい名前ですね。アニメでしか聞いたことなかったんですけど、ほんとにいるんですねー」



 俺の隣に並んだお姉さんがクスリと笑う。



「如月君は高校生くらいですか?いいですねー、若いですねー。私も如月君くらいの頃はいっぱい夢があって、色々なことに挑戦してたんですよー」



 俺の返事も待たないまま、勝手に話が進む。

 あながち間違ってはいないし、わざわざ話を中断させてまで訂正するほどのことでもないだろう。


 チンという軽快な音ともにエレベーターのドアが開き、お姉さんに手招きされるがままエレベーターへと乗り込んだ。



「えっと……」



 口を開こうとして、お姉さんのことを何と呼べばいいものか迷い、思わず言葉に詰まる。



「あっ、ごめんなさい!そういえば自己紹介していませんでしたね……」



 お姉さんが申し訳ありませんと言わんばかりに笑みを浮かべる。



「私は八尺はっしゃくといいます。今はここで講師をさせてもらっています」



「えっ!?講師だったんですか?」



 八尺さんの見た目とのギャップに思わず言葉が口から飛び出した。



「そうなんですよ。あんまり講師に見られなくてちょっと困ってるんです……」



 八尺さんが照れ臭そうに苦笑いを浮かべた。

 笑いは老化予防にいいなんて聞くが、なるほど。確かに笑ってる人の顔は若く見えるものだと一人感心する。



「そういえば、如月君はここで何か見たいものとかはありますか?」



 八尺さんが尋ねながらも、エレベーターは7階へ向けてぐんぐんと上昇する。

 当然のことながら、声優になりたいからと言って声優の知識があるわけではない。何が見たい?と聞かれたところで何があるのかさえ分からないのが実情だ。



「いえ、俺は何でも……」



「それはよかったです。ついいつもの癖で7階を押してしまったので、授業風景が観たいなんて言われたらどうしようかと思いました」



 なんて、またもや八尺さんの笑顔に癒されるいるうちに、エレベーターが道行く人を見せる高さに到達する。

「7階です」なんて無機質な声とともに、俺と八尺さんに早く降りろと言わんばかりにドアが開いた。



「じゃあまあ一応、一番声優っぽいアフレコ現場でも見に行きましょうか!今ちょうどCMとPV用のアフレコをスタジオでやってるんですよ」



 エレベーターを降りて、絨毯のような床の通路を歩いていく。

 途中いくつもアフレコ用のスタジオっぽい部屋があったが、そのどれもが大きいガラスが壁に埋め込まれ中が見えるようになっている。

 おそらく見られるのも仕事の一つということだろう。



「やってますねー。見えますか?」



 Bスタジオとプレートが張られた扉の隣、やはり大きなガラスから中の様子が覗けるようになっている。

 モニターと、あみあみのついたマイク。そしてそのマイクの前に立って何かを喋る声優たち。CMのアフレコをしているということはその実力もおそらく確かなものだ。



「あれ……あの人……」



 カットが変わり、正面に座っていた女性がマイクの前へと足を進める。

 腰まで届きそうな長い黒髪に、少しきつめの目。だが、その見た目からは想像もできないふわりとした声。まるで脳に直接話しかけてくるように透き通っていて、それでも周りの音に負けないくらいにはっきりと聞こえてくる声だ。



「もしかしてルカさんのことご存知ですか?」



「西園寺……瑠香ですよね?」



 俺の隣でスタジオの中を眺めていた八尺さんに質問を返す。



「そうなんです。ルカさん、最近すごく頑張っているんですよ」



 マイクの前に立った西園寺瑠香を見て、八尺さんが嬉しそうにその様子を眺める。




 最近の声優の仕事は声だけにとどまらない。


 ライブ。

 主題歌担当。

 ラジオ。

 ファンサービス。


 パッと思いつくだけでも声を当てる以外にこれくらいの仕事がある。つまり、今や声がアニメに向いているというだけの声優が生き残るのは修羅の道だ。

 声が出せるというのは当然。そこからさらに運動神経、歌唱力、トーク力、何よりルックスが問われる仕事になりつつある。


 そして今、このスタジオの中で声を当てている西園寺瑠香はそのすべてを兼ねそろえたスーパー新人声優だ。

 声の魅力はもちろんのこと、歌手、アイドル顔負けのずば抜けた歌唱力とルックス。最近のアニメやゲームで彼女の名前を見ないことはないくらい、彼女の知名度の高さは半端ではないだろう。


 まだ仮所属すらしていないとは聞いていたが、まさかボイスアーツの学生だったとは……。




 カットが終わり、西園寺瑠香がマイクの元から離れる。

 と同時に、振り返り際で視線が合い、西園寺瑠香が音響の方へ何やら指示を伝える。



「ちょっとおおおお!おっそいよ八尺ちゃああああん!!!コンビニに行くだけって――」



 音響室の扉が勢いよく開き、ヘッドホンを付けたままの男性が大声をあげながら姿を現す。

 マイクか、音響か、とりあえずこのアフレコの何らかの担当をしているのは間違いないだろう。八尺さんと俺の姿を見て、叫びかけていた言葉がピタリと止まった。



「おっと失礼、お客さんがいたのか……。そちらの方は?」



「えっと、建物の前でうろうろしていたので見学に連れてきました。如月君です。」



 何食わぬ顔で説明する八尺さんの横で小さくお辞儀をする。



「如月君か、見苦しいところを見せてしまったね。僕はボイスアーツで音響を担当している音無おとなしだ」



 ヘッドホンを付けたままの音無さんとあいさつを交わす。

 見た目は30代後半くらいだが、見た目とも音響室から出てくるときとも違う爽やかな声だ。



「ごめんなさい如月君。実は私も今から中で声当てないといけないので、案内はここまでしか――」



「ん?どうせあとロング1カットだし、なんなら如月君も中で見ていくかい?」



「えっ!?いいんですか?」



 俺よりも先に、何故か八尺さんが音無さんの言葉に食いついた。



「まぁせっかく見学に来てくれたのにそのままほっとくわけにもいかないからね。それに、中って言っても音響室の方だけども……」



「って言ってますけど、如月君どうしますか?」



 申し訳なさそうに口ごもる音無さんを横目に、八尺さんが俺に尋ねる。


 どうしますか?

 なんて聞かれたところで、答えは一つしかないだろう。



「是非お願いします!」



 音無さんと、そして八尺さんに深々と頭を下げる。

 西園寺瑠香が際立っていたせいで気付かなかったが、ほかの人も全員名の知れた声優だ。現役声優の生のアフレコなんてそうそう聞けるものじゃないし、下手すれば声優体験なんかよりもずっと貴重かもしれない。



「じゃ、由愛ちゃんはスタンバイお願い」



「分かりましたー」



 そう言って八尺さんが音響室の方へと入っていく。



「如月君も入って入って」



「あ、はい」



 音無さんに言われるがまま、音響室の中に入る。

 すでに八尺さんはスタジオの方に入ったようで、音響室にいるのは4人。一人は大きな機械の前、一人はソファに、残りの二人はスーツを着て後ろの椅子に腰を掛けている。



「すいません、この子あと1カットだけ見学ということで……」



「はっはっは、聞こえていたよ。男しかいないむさくるしい部屋だけど気楽に見学してくれればいいさ」



 音無さんの言葉に、ソファに座っていた男性が反応した。

 歳は50代か60代、だがその顔には見覚えがある。白髪に垂れた目、おそらくこの学校の学長だ。



「じゃ、如月君もその辺の椅子に適当に座って」



「はい」



 スーツ姿で資料を持つ二人とは少し間を空けて、部屋の隅にある長椅子に腰を掛ける。



「お待たせしました。じゃ、最後のカット始めます」



 マイクを通して前のスタジオに音無さんが声を送る。

 と同時に、二人の声優がマイクの前にスタンバイする。一人は腰まで届く長い髪、もう一人は肩辺りまでの茶色いパーマ。後姿からでもわかる、西園寺瑠香と八尺さんだ。



「「お願いします」」



 二人の声が重なる。

 落ち着いていて、似ている声質のはずなのになぜかその声は混ざらない。はっきりと、稜々とした二人の声が聞こえる。






「じゃ、映像いきます。5・4・3……」



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