声優見習いと幽霊ちゃん(仮):お試し3話
のなめ
第1話 人肌恋しい幽霊
ここに一軒の物件がある。
東京都中央区にある1LDKの小さなマンションだ。
学生の身である俺にとっては持て余すこと間違いない物件だろう。勿論、家賃も月10万ちょっと、到底俺の手におえる物件ではない。
とは言え、ワンルームだとしても中央区となればどこも家賃だけで5万はくだらない。
都心から離れれば多少安くはなるが、そうなってくると通学が苦痛になるのは間違いない。
流石は大都会TOKYO、やはり俺みたいな田舎者が出てきていい聖地ではなかったようだ……。
「となると……ここしかないか」
とある物件が描かれた紙を手に取り、溜め息交じりに言葉をこぼす。
手に取ったのは最初に見ていた東京都中央区にある1LDKのマンションの一室。
言うまでもないが、夢を追って実家を飛び出してきた俺に月10万+生活費やなんやらを払えるほどの財力などどこにもない。いくらアルバイトをするとはいえ、たかがアルバイトだ。びた一文仕送りのない俺には、家賃5万円を払う時点で1か月の資金はマイナスとなるだろう。
ゆえに、行きつく先は必然的にこことなる。
東京都中央区にあるマンション『derde・layger』。
その201号室。
本来なら家賃10万8000円のこのマンションだが、この201号室だけ敷金ゼロ。礼金ゼロ。
そして家賃……そのお値段、なんと
1・万・円。
本来の10分の1と言う破格の家賃。
それがいったい何を意味するのか、それは言うまでもないだろう。
が、それが一体なんだというのだろうか。
最寄り駅まで歩いて2分。俺が来週から通う専門学校に電車で一駅。という非の付け所のない立地だ。
「いやぁ、学生さんが安いとこ探すもんですから一応出してるんですけど、その物件あまりお勧めできませんよ」
俺がマンションの紙を見ていると、後ろから社員っぽい若いお兄さんが心配そうに口を挟む。
「うちとしても誰かに住んでもらった方が劣化もしにくいですし助かるんですけど、流石にもう5人くらい同じようなこと言ってるんですよね……」
「同じようなことって?」
「まあ……金縛りとか、物音が聞こえたりとか、ですかね……。そんなもんですから皆さん1か月経たないうちに引っ越してしまうんですよ」
「へぇ……」
心配する社員さんを横目に、改めて部屋の情報が載った紙に視線を落とす。
所謂、いわくつき物件といったところだ。
金縛りや物音が聞こえる。それも一人でないとすれば、ほぼ確実に出るのだろう。
とは言え、これほどまでにいい物件というものはほかを探しても絶対に見つからないことは確かだ。
正直、この物件を見なかったことにするというのは惜しいことこの上ない。
幽霊と一緒に裕福な暮らしをするか。
平穏な地で貧しい暮らしをするか。
悩む余地は一円の価値にも満たないくらいに明白だろう。
「あの」
「はい」
「ここ、住みます」
「はい?」
俺の言葉に社員さんがキョトンとした顔を浮かべた。
俺の話を聞いてたのか?なんて言ってきそうなくらいに怪訝な表情だ。
「ああ……えっと、では一度物件の下見――」
「いえ、ここに住みます」
社員さんの言葉を遮り、今度は少し強めの声を出す。
何言ってるんだ?
という社員さんの表情が目に付くが、そんなことに戸惑ってるほど俺も愚かではない。こうしている間にも、ほかの奴が『契約します!』なんて来たらそれこそ絶望の始まりだ。
「ほ……ほんとにいいんですか?こんなこと言うと店長に怒られそうですが、実際社員の中でも出ると噂になってまして……」
店の奥の方を気にしつつ、社員さんが小さな声で俺に耳打ちをする。
出るというのは勿論幽霊ということだろう。
「大丈夫です」
一つ、軽快な返事とともに明るく笑う。
「そう……ですか……。では契約書を持ってまいりますのでおかけになってお待ちください」
歯切れの悪そうな様子で社員さんが店の奥へと引っ込んでいく。そして1分もしない内にいくつかの書類を携えて、俺の座るテーブルへと腰を落とした。
* * * * *
説明も滞りなく終わり、何一つ家具の置かれていない部屋で社員さんと他愛ない世間話をする。
結局この部屋で何があったのかは聞けずじまいだったが、部屋にシミや汚れはどこにも見当たらない。むしろ全くの新居と言っていいほどきれいなところを見ると、そこまで大事件が起こったということではないのだろう。
「では、私はこれで事務所の方に戻ります。4月分の家賃は頂きませんので、もし引っ越しするようであれば4月中にご連絡いただければ幸いです」
玄関で帰り支度を整える社員さんを見送る。
4月の家賃を払わなくていいというのはありがたいことだが、逆に言えば入居1か月で何人もの人が退去していったということなのだろう。
「それでは、失礼いたします」
社員さんが深々と頭を下げて扉に手をかける。
「もし何かありましたら、すぐに事務所の方までご連絡くださいね」
「はい。色々ありがとうございました」
社員さんにつられ、俺も小さく頭を下げた。
「それでは」
と一言だけ残し、社員さんの影が部屋の外へと消えていく。
静かになった部屋。
まだ昼過ぎだからか、微かに鳥の鳴き声が聞こえる程度の音しか耳には入ってこない。大都会東京とは言っても、昼間は暖かな日差しが差し込む穏やかな街だ。
窓を開け、白い雲が流れる青空を見上げる。いい天気だ。
九州とは違ってまだ少し肌寒いが、街の声を乗せて吹き込む暖かな春風がなんとも気持ちいい。
「っと、俺も必要なもの買いに行かなくちゃな……」
もともと広いリビングだが、家具が置かれていないと余計に広く見える。
そんな殺風景な部屋を見て、ふぅと短く息を吐いた。
これからの生活に期待する気持ちが半分。
本当にこれで良かったのかと不安になる気持ちが半分。
とは言え、今更引き返せるような道でもない。
声優なんてほんの一握りしか成功しない狭き門。一度立ち止まったら、その時点で負けたも同然だ。
今日の夜実家に電話しても、俺の荷物が届くのは早くて数日後だろう。
この一週間ネットカフェで生活をしていた俺にとって無駄な出費は控えたいところだが、必要最低限のものは早めに揃えておくにこしたしたことはない。
電気と水道が使えることは幸いか。
「ちょうどいいか。ついでに晩飯でも買って帰……」
玄関に向かって歩き出そうとした刹那、その違和感に気づく。
出ていくな。
と言わんばかりにズシリと圧し掛かった重圧。
暖かな日差しが差し込むはずのこの白い部屋で、何故か震えるような寒気が俺の背中を撫でた。
これが言っていた金縛り……?
いや、それよりも確実にタチが悪い。
逃がさないようにがっしりと巻き付いた腕。身動きどころか、窒息しかねないくらいに強い力だ。
鳥肌の立った背中が冷や汗で微かに湿る。
静まり返った部屋。その窓際でゴクリと唾を飲み込む音と、俺のではない艶のある吐息が鮮明に耳の中に広がる。
俺の背中にいるお前は……
「はぁぁぁぁ!人肌あったかぁ~~~いっ!!!」
ほんっとに誰だ……。
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