トビオリ・メリー・クリスマス

無月彩葉

トビオリ・メリー・クリスマス

 まるで、星が落ちてくるかのようだった。

 あちこちの窓から漏れるロウソクの灯りに照らされた雪がキラキラと降り注ぐ。

 頬に触れる冷たさが、空と自分との間に何もないことを教えてくれる。

 木を継ぎ接ぎしてできた五階建のボロボロアパートの屋上。

 下を見下ろせばすっかり真っ白になった草木が目に入った。

 風が吹けば木の枝からポロポロと雪が溢れて。それに誘われるように、屋上の柵に手を掛ける。

 こんな聖なる夜に雪と一緒になれたなら、きっと幸せなことだろう。

 そんなことを思いながら空を見上げ、それからまた目線を戻すと……目の前に、ポニーがいた。


 ポニー……そう、どこからどう見ても白いポニーだ。

 ふさふさな立て髪と円な瞳。小柄な体型に立派な蹄。

 多分この地域で荷物運びとして使われる白いポニーとそっくりなんだけど……いかんせん、ここはアパートの屋上。

 何故すぐ目の前にポニーの顔があるのか分からない。

 そう思っていると、ポニーが小さく鼻を震わせながら鳴き声を上げて、そのまま私を飛び越えるかのように宙を跳躍した。

 着地したのは、私のすぐ真後ろ。生き物特有の体温を感じて、この空飛ぶポニーが幻ではないことを実感する。 

 こんな珍しい生き物も世の中にはいるのだろうかとぼんやり考えていると、

「ねえ、君」

 と、ポニーの上から声がした。

 どうやらこのポニーには人が乗っていたらしい。

 つくづく、不思議なこともあるものだ。


「あの……もしかしてここから飛び降りようとしていたの?」

 ポニー降りてきたのは、奇妙な格好の青年だった。

 赤い三角帽子を被って、白い大きなボタンのついた赤い羽織をきて、赤いズボンの上から茶色い網掛けブーツを履いている。

 年は私よりも少し上だろうか。

 彼の質問への答えを考えながら、その姿を上から下までじっくりと眺める。

 派手な色が大好きな貴族だって、人の目を引く踊り子だって、ここまで全身真っ赤にはしない。もちろん街中では見たこともない。けれどこれを模したイラストやお菓子なら見たことがあるから、なんとなく正体に検討はついた。

 クリスマスイブの夜に空飛ぶトナカイに乗って子どもたちにプレゼントを配って回る存在……サンタクロースと呼ばれる人ではないだろうか。

 乗っている生き物はトナカイじゃないし、絵で見たようなおじいさんではないけど。

 ポニーから降りてくる動きはどこかぎこちなく、弱々しいけど。

「違いますよ」

 私は目の前で何故か息を切らしているサンタクロースに白々しい嘘を吐くことにした。

「ただ、星を見ているだけです」

 なんて。

 その方が少しはロマンチックだと思ったから。

「そうか星を見ていただけか……って、ここ星見えないけど!」 

 けれど生憎空は雪を降らせる厚い雲が覆っていて、星なんてどこにも見えない。残念ながらすぐに嘘がバレてしまった。

「そうですよ、飛び降りようとしていました」

 と、開き直って素直に答えれば、何故か悲しそうな顔をされる。心外だ。

「なんで……?」

「雪のように溶けてみたかったから……では、だめですか?」

「に、人間は雪には溶けないよ?」

「てか、あなたはそもそも誰なんですか」

 人に失礼なことを聞く前に、空から急に降りてきた自分の正体を名乗って欲しいと思う。サンタクロースの格好をしたこの人は、一体何者なのだろう。


「あ……僕はロルフ。サンタクロース商会のロルフ・ハルヴォルセンだ」

「サンタクロース商会?」

 聖なる夜にプレゼントを配るサンタのおじいさんなんて一人いるだけではないのか。まさかの商業団体なのか。

「サンタクロース商会は子どものいる家庭からプレゼントの注文とお金をもらって、それをこの日に配達するっていう一つのギルドのこと。昔はサンタクロースという一人の人間がやりくりしていたようだけど身体も財産も追いつかなくなって……今の体制になってからもう何十年か経つ」

 へえ……クリスマスのプレゼントってお金とっていたんだ。初耳だ。

「まあ僕は商会の中でも見習い中の見習いで、空飛ぶトナカイはまだ支給されないからポニー止まりなんだけど」

 青年は聞いてもいないことまでペラペラと恥ずかしげに話す。

 とりあえずサンタクロースというのは団体で、この人はその下っ端だということは理解した。

 まあ、理解する必要があるのかどうかは分からないけど。

「えっと僕は自分の持ち場にプレゼントを配り終えた帰りで……それで、手すりに手をかける君を偶然見つけて……」

「それで、人助けをしたくなったんですか」

 小さく溜息を吐く。まったく、とんだ邪魔が入ってしまったものだ。

 救いの手なんて今更望んでいないのに。

「そう……なんだけど。あの、君の名前は?」

「セシーリア・ランプランド。まあ、もう必要のない名前ですけど」

 今から捨てようと思っていた名前だ。人に名乗る機会があるなんて思いもしなかった。

「どうして飛び降りようなんてしてるの?」

 それは雪に溶けたいから……なんて、遠回しな表現はもういいか。

「死にたいからに決まってるじゃないですか。この状況を見てそんなことも分からないなんて馬鹿じゃないですか?」

「いや、そうだとは思ったけど! なんで死のうと思ったの? てかそんな人を蔑むような目で見ないで!」

 冷ややかに見つめていると、ロルフは一人で慌て出した。この人多分……かなりの小心者だし、そんなんだから見習いのままなのではないか、となんとなく思う。

「それを聞いてどうするんですか?」

「えっと……飛び降りないように説得しようと思って……」

「私は改心しないので無理ですね」

「いやいやそこをなんとか!」

 なんとか……と言われても困る。私は、ここで。今すぐにでも消えてしまいたいのに。

 消えるために必死にボロボロのハシゴを引っ張り出してここまで登ってきたのに。

 目下は雪が積もっているから衝撃では死なないけど、多分頭から落ちればそのまま窒息死する。隣の家のおじさんが雪かきをしようと屋根の上に登って落ちて、慌てて様子を見てみたら呼吸が止まっていた……ということが前にもあった。だから、間違いない。

 私も、そうなればいい。

 それなのに、今日初めて会ったどこの誰だか分からないようなサンタクロースに止められようとしている。

 まあ、このまま落ちたら通りすがりの彼もモヤモヤを抱えたまま終わってしまうかもしれないし、理由を告げるくらいならいいかもしれない。

「……別に、止めて欲しいという訳ではないんですけど、納得しないなら言っておきましょうか。私、このまま生きていたら身売りに出されるんですよ」

 木を継ぎ接ぎしてできたボロボロのアパート。この三階に私の家族は住んでいる。

 元々は商人の家系でそれなりにお金もあったのに、街にできた大きなギルドのせいでたちまち貧しくなって……今では税金も払えずアパートを追い出されそうなほどに厳しい生活を送っている。パンだって1日一切れ手に入ればいい方だ。

 そんな状況だから……不器用で何の取り柄もなく単なる穀潰しにしかならない私みたいな娘を売ってお金を得ようとしているのだ。

 まあ正直、両親の判断は合理的ではあると思う。算用が好きな彼ららしい考えだ。

 でも、賢い彼らなら尚更身売りに出された娘の末路くらい分かっているはず。

 奴隷のような生活はまっぴらごめんだし、生きたまま臓器をくり抜かれるなんて体験も絶対したくない。

 だから……そうなる前に、とっとと死んでしまおうと思った。

 そうすれば私を見限った両親へのあてつけにもなるし。

 そんな話をかいつまんで話せば、ロルフは次第に肩を震わせ……やがて、目から大粒の涙を溢し始めた。

 ああ、この人は多分いたたまれないくらい純粋な人だ。

「そんなの……そんなの辛すぎる!」

「でも、そんな辛いことが現実にあるんですよ」

 辛いなんて、今更だ。

 泣いても喚いても変わらないような現実がここにある。

 薄着で外に出ていたため、もう大分身体も冷えてきた。そろそろ……早く、飛び降りたい。

 ほんと……聖なる夜なのに、変な邪魔が入った。

「あ、待ってセシーリア。まだ諦めるのは……って」

「さようなら」

 まさか最期に私の名前を呼ぶのがこんな初対面のサンタクロースだとは思わなかったな……と思いながら柵から身体を乗り出し、頭から。

 トビオリ・メリー・クリスマス。

 そんな妙に語呂がいい言葉が走馬灯の代わりに浮かぶ。それからすうっと心が虚しくなって。

 本当に、私の人生は淡い雪のようだった。今度の人生はもっと……裕福でも貧しくもない、ただただぬるま湯のように温かな家に生まれたい。

 そうだ、こんな人生は気楽に終わらせてしまおう……そう思っていたのに。

 すぐに、私の身体は何か温かいものに受け止められた。


「ああ」


 迂闊だった。

 空を飛ぶポニーの前では飛び降りなんて未遂にしかならない。

 私の身体は見事この動物の背に救われてしまったのだ。

 いくら聖なる夜だからって……そういうのは、反則ではないだろうか。

 落下したままの体勢がキツく、なんとか座り直す。後にはロルフが乗っているようで、人間二人に乗られたポニーはどこか頼りなく飛行していた。

 そもそも羽もないのにどうしてこの動物だけは空を飛べるのか。

 疑問に思えば思うほどこの状況に疑問は尽きない。

 どうして私は死ねなかったんだろう。酷い。


「だったらさ、逃げちゃえばいいんじゃない?」

「え?」

 妙に落ち着いたロルフの声が真後ろから聞こえる。

「逃げちゃえば、身売りされることもない」 

「まあ、確かにそうですけど……これって人攫いじゃないですか?」

 それとも、そのサンタクロース商会とかいうギルドで雇ってくれるのだろうか。

 振り返ると、ロルフが被っていた赤い帽子が……赤い羽織が……カラスのような黒色に染まってしまっていた。

 さっきまでは景色から浮くくらいに派手な赤色だったのに、今度は夜空に消えてしまいそうなほどの黒ときた。

 見間違いではないかと何度も目を疑う。

 ただ、黒いサンタクロース……その名前も、どこかで聞いたことがある。

 赤いサンタクロースは子どもたちにプレゼントを届けるのが仕事だけど、黒いサンタクロースは違う。

 確か赤いサンタクロースと同じように大きな袋を持って窓の外から現れるけど、その袋にはプレゼントなど入っていない。ではどうするかというと、その大きな袋に子どもを入れて連れ去ってしまうというのだ。ただし、連れ去るのは悪い子だけ。

 つまり、いい子の元には赤いサンタクロースが来るけれど悪い子の元には黒いサンタクロースが来て連れ去ってしまうよ……という、子どもをしつけるための教訓に出てくる登場人物だ。

 それが何故、私の後にいるのだろう。どうして人攫いのサンタクロースが……私を乗せてぐんぐんと空を上昇しているのだろう。

 ふと自分の身体を乗せているものを見れば……それはもう頼りないポニーの姿などしておらず、そこにいるのは立派なツノを生やした巨大なトナカイだった。


「ごめんね。君を試させてもらっていたんだけど……飛び降りちゃったね」

「どういう……ことですか?」

 彼は本当は何者なんだろう。どうしてポニーがトナカイになったのだろう。聞きたいことはたっぷりある。

「僕の本業は悪い子を連れ去るブラックサンタ。まあ……見習いであることには変わりないけど。神から授かった命を自ら投げ捨てるのは有罪だ。よって君を……ブラックサンタの名にかけて連れ去ることにするよ」

 先ほどまで弱々しく慌てていた面影はそこにはなく、私よりもさらに淡々とした口調で告げる。

 サンタクロースの存在も信じていなかったし、ブラックサンタなんてさらに眉唾物だと思っていた。だから戸惑いは尽きない。

 でも、どこかこの非現実的な状況を落ち着いて受け入れている自分もいた。

 人は多分、あまりにもありえない物事に遭遇すると一周回って落ち着いてしまうのだ。今頃はもうとっくに死んでいるはずだったから余計に。

「連れ去って、どうするんですか?」

 まさか奴隷にする……と言われたら最悪だ。今すぐこのトナカイから飛び降りようと思う。

 しかし、彼から告げられたのは思ってもいない言葉だった。

「ブラックサンタに連れ去られた子どもはブラックサンタとして働かされる」

 それって……こうしてポニーかトナカイかよく分からない生物を支給されて、空から悪い子を探す仕事……ということ?

 じゃあもしかしてこの人も。何か訳ありでこうなったのか。

 それとも……どこか遠くを見るこの目は、私と同じなのか。

 驚きと焦りと戸惑いで、暫く言葉が出なかった。

 この人は試させてもらったと言っていたけれど……私が飛び降りることも、彼が止められないことも、本当は最初から分かっていたのではないだろうか。

 分かっていたから……最初からこの不幸でどうしようもない問題児を連れ去る気で、飛び降りるのを待っていたのかもしれない。

 だとしたら最初から何もかもが不可抗力だった。

「あの、ブラックサンタってこの時期以外は何をしているんですか?」

「おもちゃ工場のお手伝い」

「……ふふ」

 悪いことをした子どもたちがみんな揃っておもちゃを作っている姿を見たら少し笑ってしまう。

 少なくとも……奴隷になるよりかは面白い生活ができそうだ。

「ありがとうございます、ブラックサンタさん。私を拐ってくれて」

「……一応、本部についたら少しは悲しそうな顔をしておいてね」

 私のお礼にロルフは苦笑いで返す。

 何もかもを諦めていた私に、サンタクロースは思ってもいない素敵なプレゼントを運んできてくれたようだ。


 聖なる夜には二種類のサンタクロースが現れる。

 子どもたちにプレゼントを届ける赤いサンタクロースと、悪い子どもを拐ってしまう黒いサンタクロース。

 どちらに出会うかは……あなたの日頃の行い次第。

 どちらに救われるのかも、あなたの心次第。

 さて、今晩あなたの部屋の扉をノックする影は何色?

 ほら、鈴の音はもうすぐそこに。

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