第12話



 蹴り飛ばされた悠耶は、円を描くように後方へ吹き飛んだ。


 草の上に尻餅をついて転がったので、実際の損害は腹部だけだ。


 痛みにも備えていたので前回の物より大分いい。


 数回は咳き込んだものの、憎い大男の動向を把握しようと素早く起き上がる。


 すると目に映ったのは、大男が惣一郎の頭へ足を振り降ろす姿だった。


 かなりの勢いで蹴りが入ったのに、惣一郎は一言も呻かず、身動ぎもしない。


 只事ではない事態を察し、悠耶は総毛立った。



 ざわり



 同時に風に靡いていた草木が、ぱっかり中心で左右に別れて、不審に大きくしなった。


 生温なまぬるい風に血の匂いが漂って、それが悠耶自身のものではないことを悟る。


 陽は、ほとんど川の向こうだ。でも、悠耶には、はっきりと見えた。


 朱と黒の印影に惣一郎の血が沢山紛れている。


 悠耶のふっくらとした丸みのある頬から血の気が引いて、動揺のあまり咄嗟に訴えていた。


「……どうしよう。どうしよう。助けて」


〝どうした? さっきから物騒な声が聞こえていたね。困りごとか〟


 低い、声のようにも聞こえる音が天から轟いてきて、銀八が慌てて辺りを見回す。


 辺りに人影はない。

 

 銀八や細男などに見える訳がなかった。声の主は妖だ。


 妖は姿を見せる相手を選ぶ。

 

 悠耶は滅多に妖たちを頼ることをしないが、今日は勝手が違っていた。


 銀八は怪訝な顔で首を傾げたが、悠耶は構わず訴え続けた。


「助けて! お願いだ、惣一郎が死んじゃう!」


 悠耶の叫びに呼応して、どーん! と地が鳴った。


 川面が泡立ち、強風が頬を叩き、髪を巻き上げた。


 烏が一斉に飛び立って空へ消えていく。


 沈みきらずにいた夕陽も、瞬く間に雲で覆い隠された。一面に闇が垂れ込める。


「なんだあ!?」


 縄を持って駆けてきた細男が、風の勢いに気圧されながら立ち往生していた。


 普段は滅多に地上に降りて来ない白龍が、悠耶の嘆きに応じている。


「こいつらを、どこかへやって! 惣一郎を助けて!!」


〝お安い御用だ〟


 轟が低く応答し、足元のスギナが水面と同様に波を打つ。


 暗闇で細男が「ヒイィ」と声を上げた。


 銀八の耳にも男の悲鳴は届いたようだ。常人ならほとんど目の効かない宵闇の中でも、悠耶には見えている。


 身震いを必死で抑えながら、足元を行き交う無数の蛇の心地に耐える銀八の姿が。


  くさむらのあちこちから蛇が集まってきて、破落戸どもの足に絡みついていた。


 あれだけ豪胆さを誇っていた銀八も、訳の分からぬ数々の事態は流石に恐ろしいらしい。


 しかし、ちっとも可哀想だと思わない。


 惣一郎はこのままじゃ死んでしまう。


 殴るまでは百歩譲って許せても、殺すなど言語道断だ。


 悠耶は、放り出されたままの姿で転がる、惣一郎の元へ駆け寄った。


 ……カラン、コロン……


 轟音に続いて、下駄の足音が、どこからともなく鳴り響いた。


 そう遠くない場所から響く音は、やがて数を増し、どんどんとこちらへ近づいてくる。


 カランコロン、カランコロン、カララ……


 下駄の音は一人分ではない。


 ある地点から、ひっきりなしに増えていた。

 

 増えた音は際限なく続くかのようだ。


 草地であるのに、高く下駄を鳴らして近づいて来る者の正体を悠耶は知っていた。


 唐傘のお化けがやって来た。


 白と黒の傘に大きな一つ目と一本足、羽のように傘から飛び出た腕を持った唐傘お化けが、一人、二人、三人、四人……と、列をなしてやって来てくれた。


 銀八と細男は、迫り来る下駄の音に、気付きながらも何もできない。


 ほとんど見えていないし、足元には蠢く蛇たちがいる。

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