第11話

「この間抜け、せっかく逃げ出したのに、ひょっこり戻って来やがったんですよ」


 息を切らした声と、砂を擦る足音が増える。細男が戻って来たのだ。


「誰が間抜けだ。おいらは約束通り用を足したから帰って来たんだ。おいらを拐ってお父っつあんから金を取ろうとしているくせに、どうして惣一郎にこんな振る舞いをする!」


「ぶはは、どうやらお前は頭が足りねえようだな! 見世物級のオツムだぜ。よし惣一郎とやらはこのままにしておいてやるから、お前ちっとこっちへ来い。オイ、縄はどうした」


悠耶が大人しく囚われに戻って来たと解釈したようだ。銀八の興味は逸れ、惣一郎の体は放り出された。


 地が肉体を打ち、ミシリと全身の骨が音を立てた。だが、もはやぐうの音も出ない。


「それが、俺が見つけた時には、もう跡形もなかったんですよ」


「どういうこった? この阿呆は縄も解けたのに自分から戻って来たってのか。ますますめでたい奴だな。なら縄を取ってこい!」


「触るな! おいらは阿呆じゃない。どうして惣一郎をこんな目に遭わせたかって聞いてるんだ。阿呆はお前だ」


 首を持ち上げる動作も叶わず、惣一郎の頭上で言葉と音だけが飛び交う。


足音が遠ざかるので、細男がこの場を離れたのだと推測された。


 悠耶に触れるなと叫びたい。「その汚ねえ手を放しやがれ」と胸ぐらを掴んで、破落戸を殴り倒したい。


 男らしく悠耶を助け出したい。

 

 けれど、もう……



 ばちん



 と大仰な音が一面に響くと、辺りでごっそり何かが蠢く気配がした。



 ざわり



 悠耶の感情を表現するかのように、生臭い風がゆっくり流れてくる。草木がざわめいた。


「いってぇ! この野郎!」


「手前は値のつく大事な商品だからな、加減してやったんだぜ。だが、これ以上のお喋りは許さねえ」


「よくもやったな、口ん中が切れたぞ。おー、痛え!」


「うるせえな。黙らねえと、もう一発……」


「ばか、誰がお前の言うことなんて聞くか! この」


「まだ言うか……!」


 銀八が腕を振りぬいたのと、惣一郎が一心不乱で何かを掴むのと、悠耶が吹き飛ぶのは、ほぼ同時だった。


 目は霞んでよく見えないが、惣一郎が掴んだのは銀八の足首だったようだ。


 やめろ。逃げろ。逃げろ。


 声にならない声を惣一郎は送り続けた。


「しつこい野郎だ、つまらねえ見栄を張るんじゃねえよ。大人しくしてりゃあいいものを!」


 多分、惣一郎はその瞬間まで呟いていたのだと思う。


 銀八の足蹴りを 蟀谷こめかみに受け、後は何も分からなくなった。


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