第6話
2
どすっと腹部に入った一発を覗き見て、惣一郎は縮み上がった。
喧嘩慣れしていない惣一郎には大層痛そうに感じる。
(なんてひでぇことをしやがる……!)
火事と喧嘩は江戸の華、とも言われているが、坊ちゃん育ちでできの良い惣一郎は、生まれてこの方、誰かに手を上げられた記憶がない。
人と争うまでもなかったし、喧嘩らしい喧嘩をした体験がなかった。
拐かし犯人たちが潜んでいたのは土手から一段下がった、川岸に並ぶ小屋の一角だった。
惣一郎たちの住む本所からは、四半刻も掛からない場所だ。
三河屋のある本所の尾上町からほぼ真っ直ぐ東に向かった堅川沿いにある、四ツ目之橋の辺りだ。
橋から向こうは畑が多く、小屋が
朝ならば威勢のいい魚河岸たちの声や船が行き来し、賑わっているだろう。
また川開きした両国橋辺りならまだ十分に往来もあろう。
だが、ここら一帯は間もなく昼七ツ半刻(午後六時頃)にもなろうという今、すっかり人気は消えていた。
立ち並ぶ小屋の中でも一際くたびれた小屋に、悠耶はいた。
なんの当てもなく探し当てるのは不可能であっただろう。
室内は暗く、こちらも隠れて覗き見ているため、確かではない。
だが、床に伏せた悠耶は咳き込んだまま、その場に蹲っているようだった。
悠耶を男と思っての仕打ちだろうが、咎人なだけあって容赦がない。
しかし、悠耶の奴は相手もわきまえず「飯をくれ」だのなんだのしつこく食い下がって、殴られても仕方ない。
「あらー。お悠耶はん相変わらずやなあ」
隣で呑気な声を出した蕨乃を手招きで呼び寄せ、一度、壁から離れる。
小屋から十分な
「そんな風に喋ったら中に聞こえちまうよ」
声と背丈を気持ち潜める惣一郎に、蕨乃は平然――と言っても、表情はないのだが――答えた。
「うちの声は、あの人らには聞こえしまへんよ。惣一郎はんは別格や、言いましたやろ。お悠耶はんには聞こえたかも知れへんけど」
「そういや、そうだったっけ。それにしても不思議だな」
「そやから気をつけんとあかんのは、惣一郎はんだけよ」
それもそうだと、再度、周囲の様子に気を配る。
やはり見渡す限りは人影がない。木に、草に、土手に、川。寂れた神社に幾つかの建物が見えるのみだ。
ここへ来る道すがら、時折、蕨乃からの道案内を得た。
確かに他の者が蕨乃に気付く様子は全く見られなかった。
待てよ、もし誰にも見えないのなら、問題は一息に解決する。
何故すぐに気づかなかったのだろう。
「それなら、簡単だ。奴らがいなくなるか寝静まるのを見計らって、お前さんがお悠耶の縄をといてくれりゃあ良いだろ!」
「はぁ、まあ、できひんことはありませんけど。少しでも早うって、ここへ来たんと違いますの」
「それも……そうだった。じゃあ、こうだ。お前さんに縄を解いてもらっておいて、その時ついでにお悠耶に伝言して貰うんだ。声もお悠耶にしか聞こえないんだろう? 俺が外で大きな音でも出して、奴らの気を引くから」
奴らの注意が外に向いたら所を見計らって外に出て逃げる。
良い策だと思い、口にした。だが、その手口で、果たして逃げ切れるだろうか。
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