第5話

「なんで新開くんはうちに来ようと思ったの」

 古藤さんの問いかけで我に返った。

「なんでって」

「おかしいと思うんだよね。私が泥棒だって気付いても、別に新開くんだけはそれを突き止める必要はなかったでしょ? だって新開くん、猫飼ってないし」

 確かにあのクラスで彼女を除けば、僕だけが猫を飼っていない。

 それは唯一被害を受けていないということだ。僕だけは犯人を捜す必要がない。だから彼女も迂闊に僕の質問に答えてしまったのかもしれない。

「正義感ってやつ?」

「いや、ちがうと思う」

「じゃあなんでよ」

 彼女の声を援護するように、周りの猫がぎゃあぎゃあと猫が騒ぎだした。金網が叩かれて甲高い音が響く。

 どうして僕はあのとき彼女に「じゃあこれから行ってもいいかな」と言ったのだろう。こんな僕にとっては地獄のような場所に。


 ──飼ってないけど、猫はいるよ。


 彼女の言葉を、声を思い出す。

 それを聞いたとき僕は自然と言葉が口をついて出ていた。それはどうしてか。

「なんとなく、遊びに来てほしそうだったから」

 まるで新しいゲームを買ってもらった小学生みたいな。

 例えるならそんな声の響きだった。僕でいいのかとも思ったけど、ちょっと嬉しかったんだ。

「だから遊びに来たんだよ」

 僕は古藤さんを見る。

 猫の喚きに埋もれた彼女は広いリビングの真ん中にひとり立っている。彼女はいつもどこに座ってるんだろう、と僕はそんなことを考えた。

「嘘でしょ」

「うん、嘘かも」

 彼女の言葉に僕は頷く。

 さっきの僕の言葉はまるっきり嘘で、もしかしたら何か面白そうな予感がする野次馬精神が働いただけかもしれない。

「でも、本当かもしれない」

 どれが本当でどれが嘘なのか、自分でもわかっていなかった。

 確かに僕は彼女の言葉に惹かれたのだろう。ただ、彼女が来てほしいと言うなら僕は遊びに行きたいし、もっと仲を深められるなら深めたいという気持ちも間違いなくあった。

「どっちなのよ」

 そう問われても、僕には答えられない。僕はそこまで確固たる意志を持った人間ではなかった。僕の中にはたくさんの本当がある。

 それでもただひとつ、言えることがあるとすれば。

「猫をみんなのところに返してほしい」

 その台詞を聞いて「やっぱり正義感じゃん」と古藤さんは小さくぼやいた。僕は首を横に振る。

 正義なんて曖昧なものじゃなく、もっと現実的な問題だ。

「目が痒いんだ」

「あ、アレルギー」

「そう。ほんとここは地獄みたいな場所だ。もう今すぐにでも出ていきたい」

 僕は熱を持ち始めた両目で彼女を見る。説得なんてする気はない。

 ただただ、僕は友達にお願いするだけだ。

「だからここにいる猫を全部返してほしい。それから窓を開けて、部屋の掃除をしてほしいんだ。隅々まで入念にね。水拭きをしたらすぐに乾拭きをしないと意味ないよ。あ、カーテンレールは意外とゴミが貯まりやすいから気を付けて」

「姑か」

「それでこの部屋がピカピカになったら」

 呆れたように息をつく彼女に、僕は言う。

 この言葉は嘘じゃない。むしろひどく利己的で正直すぎる気持ちだ。

 数ある本当の中の、確かなひとつ。

「また遊びに来たい」

 だから君だけは猫を飼わないでくれ。

 僕がそう伝えると。

 彼女は、友達から教科書を見せてほしいと頼まれたときのようなあっけなさで「うん、いいよ」と頷いた。

「え、いいんだ」

「うん。よしとする」

 あまりに容易く頷くものだから、僕は思わず訊き返した。

 古藤さんはその瞳を真っ直ぐこちらに向けている。

 彼女の世界にはもう、猫は一匹もいないように思えた。

「結構楽しかったしね、今日」

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