「この辺りにしましょう」


 一体、蓮はどのくらい歩いたのだろうか。


 蓮が後ろを振り返ると、本殿はとっくのとうに木々の向こうに消え、深淵の森が続いている。その景色が四方どこを見ても広がっている。


「あの石に座って話しましょう」


 そうして、少女は十メートルほど先にたたずむ大石を指差した。それは二人が座ってもまだ幅に数十センチ余裕があるほどの大石だ。


 蓮は腰掛けた直後、額の汗を拭った。続いて少女も蓮の隣に腰掛けた。


 二人の間には五十センチほどの距離が置かれている。


 それは、二人の精神的な距離なのかもしれない。


「大分涼しいですね」


 蓮は大きく伸びをした末、少女に向かって言った。


「はい。光が届かないので、薄暗いですけど……」


 少女は瞬きを繰り返しながら言った。


 蓮は辺りを見回した。確かに夜が近いように薄暗い。


「じゃあ……これからタメ口で話してもいいですか?」


 いですよ。私は敬語で話します」


「ん、わかりました。で……」


 蓮はそのまま沈黙してしまった。


「どうしましたか?」


 少女は蓮の態度にきょとんとした。


「……何て呼べばいいかな?」


「立花さんがご自由に決めて下さい」


 少女は淡々とした声で言った。


「えっ?」


 蓮は思わず声が裏返ってしまう。


「……本当にそれでいいの?」


「いいですよ」


 少女はかすかに微笑みを浮かべて言った。本当にいいらしい。


「……わかった……じゃあ……みのりさん、って呼ぶね。美野里町の美野里神社で出会ったから」


 安直過ぎることは、蓮は充分承知していた。


「わかりました。私の呼び名はとりあえず、みのり、ですね!」


 少女はなぜかニコニコしている。


「あのさ……嫌だったら遠慮しないで言ってね?」


「嫌じゃないです。ありがとうございます!」


 みのりは蓮に向かって包み込むような笑みを浮かべた。


「そう? なら、いいんだけど」


 名前で呼んでもらえたこと自体が、とりあえず嬉しいのかもしれないな。蓮はそう納得することにした。蓮は少女の目をしっかりと見て言った。


 


 それから、蓮とみのりは今日の暑さについての話から始まり、他愛もない雑談を少しした。


「ごめんね。ちょっと時間見るね」


 蓮は携帯を取り出して時間を見た。デジタルの文字盤は午前九時半過ぎを指している。


 突然、グググ、と鈍い音が蓮の耳に聞こえてくる。


「あっ、すみません……聞き苦しい音を立ててしまって……」


 正体はみのりの腹の虫だった。


「別に大丈夫だよ。お腹、空いてるんだね」


「いえ、空いてま」


 みのりは否定するが、みのりの腹の虫はそれをさらに否定してグググと鳴った。


「……はい、空いてます」


 みのりは観念した様子で蓮に空腹を認めた。


「えっと……朝は食べたの?」


「いえ……食べてません」


 みのりは力なさそうに言った。


「昨夜は何か食べた?」


 蓮は念のため聞いた。


「いえ、それが……うぅー……」


 みのりは苦しそうな唸り声を上げた。


「何か食べたほうがいいよ。ちょっと待ってて」


 蓮はリュックのジッパーを開け、底から少々平べったくなっているコンビニのおにぎりを一個取り出し、みのりに差し出した。


「これ食べて」


「あの……いいんですか?」


「いいよ」


 蓮は凜とした声でみのりに言った。


 みのりは蓮の声に少々ビクっと体を震わせながらも、蓮からおにぎりを受け取った。


「……ありがとうございます。あの、お金は……」


「いらないから早く食べて」


「えっ? でも……」


「いいから早く」


 みのりはそこで根負けしたのか、包装を解き、精一杯の口の大きさでおにぎりにかじりついた。


「……美味しい……とっても美味しいです……」


 みのりは目を潤ませながら、蓮のほうを向いて言った。


「良かった」


 蓮はあらゆる意味を込めてそう言った。


「立花さんは食べないんですか?」


 みのりは目をぱちぱちさせながら蓮に聞いてきた。


「それ一個しかないんだ」


 蓮は何でもなさそうにみのりに言った。


「えっ……それをわざわざ私に?」


「うん」


「……ありがとうございます」


 みのりは三分もしないうちにおにぎりを完食した。


「ごちそうさまでした。助かりました」


「良かった。とりあえず、大丈夫かな?」


「はい。おかげさまで、大丈夫になりました」


 みのりは蓮に向かって朗らかな表情を見せた。


 なんだか、みのりさんって笑顔が可愛いな。蓮はそう思った。


「立花さん、これからどうしますか?」


 みのりは石の上で脚をぶらぶらさせながら蓮に尋ねた。


「僕は用事があるから、そろそろ行くよ」


 蓮は携帯の時計を改めて確認した。午前九時四十分前。


「わかりました。お付き合いいただき、ありがとうございました」


 みのりは蓮に向かって丁寧にお辞儀をした。


「僕もありがとね。帰り案内してくれるかな?」


 蓮は靴紐がほどけていないかちらりと確認し、みのりに尋ねた。


「いいですよ。では、ついてきて下さい」


 みのりは勢いよく立ち上がり、スキップし始めた。


 おにぎり一個で、すごい回復だな。蓮は心の中でそう思いつつ、慌ててみのりについて行く。


「きゃっ」


 しかし、みのりは勢いがありすぎて、思いっきり地面に転倒した。白いワンピースからモロに地面に突っ込んだ。


「……いった……」


「大丈夫?」


 追いついた蓮が、みのりを見て気遣いの声を上げる。


 見ると、みのりのワンピースは赤い血や泥で汚れてしまっている。


「みのりさん、血出てるよ」


 みのりは認識しているだろうが、蓮は念のためみのりに声をかけた。


 しかし、みのりは動揺している様子も見せず、淡々とした口調で言った。


「大丈夫です。すぐに治りますから」


「えっ……」


 蓮は言葉を失った。擦り傷が一瞬で治るはずがないことくらい、蓮でも知っていた。


 しかし、直後、みのりのワンピースについた血は、蒸発するように消えて無くなってしまった。


 みのりは蓮のほうを振り返り、蓮を真顔で真っ直ぐ見つめて言った。


「私は……人間ではないんです」




 神社の本殿を背にして、蓮とみのりは足を止めた。


 二人はしばらくの間、お互い口を聞かずに歩いていた。


「……あのさ」


 ようやく、蓮が重苦しい空気を壊すかのように口を開いた。


「……何ですか?」


 みのりは真顔で答えた。


「……記憶喪失のままでいいの?」


 みのりは蓮の問いに対し、何も言わない。


「みのりさんが望むんなら……少しだけなら協力出来るけど」


「……正直……今のままは怖いです……わからないことは怖いんです……」


 みのりは声を絞り出すようにして言った。


「つまり、協力してほしいってことだね?」


「はい。あの……立花さんが良ければ……お願いします」


「わかった。僕で良かったら協力するよ」


 蓮はみのりに右手を差し出した。みのりは握手だと理解し、蓮の右手を白い右手で握った。


 ひんやりとした感触が、蓮の神経にダイレクトに伝わってくる。


「ありがとうございます」


 みのりは右手をそっと離すと、口角を少し上げて言った。


「うん、じゃあ手始めに、あそこに行ってみるね」


「あそこって……警察ではないですよね?」


 みのりの声に警戒の色が混じる。


「全然違うよ。ついてきて」


 蓮はみのりを手招きし、そそくさと歩き始めた。


 みのりは少し不安そうな表情をしながらも、蓮に遅れないように後をついて行く。


 


 蓮とみのりは『竹本商店』と書かれた焦げ茶色の看板の前で立ち止まった。


「ここは……何のお店ですか?」


 みのりは看板とその先に佇む平屋の建物を見て、蓮に尋ねた。


「僕が小さい頃お世話になった店でね、店主さんと顔見知りなんだ」


 蓮はみのりに簡潔に説明を終えると、再び歩き出し、ガラス張りの引き戸を開けた。


「いらっしゃいませ、って、あら! 蓮じゃない!」


 直後、蓮の耳にすっかり聞き慣れた声が入ってきた。


「か、母さん……ここで働いてるの?」


 蓮はレジで頬杖を付いている陽子に目を凝らし、目を丸くした。


「そうよ。悪い?」


 陽子は蓮を半ばにらみつけるようにして言った。


「いや、別に悪くないけど」


 蓮はバツが悪そうな口調で陽子に言った。


「ならいいわ。何を買いに来たの?」


「いや、買い物じゃなくてさ、おばさんいる?」


「今はいないから、私が店番中よ」


 陽子は誇らしげな表情で蓮に言った。直後、蓮の後ろに隠れていたみのりの存在に気付く。


「蓮。その子、誰よ?」


「あっ……えっと……」


 蓮が振り向くと、みのりが背後でじっと直立した状態でいる。


「……あの、何て言うか……記憶喪失の子」


 蓮の言葉の直後、陽子はポカーンとした。


「蓮。よくわからないギャグはやめなさいよ」


「あの……記憶喪失は本当なんですけど……」


 耐えかねて、みのりが陽子に静かな声で抗議した。


「そうだよ、母さん。本当なんだ」


 蓮は陽子を真っ直ぐな眼差しで見て言った。


「あの……じゃあ、何で記憶喪失の子を連れてるのよ?」


 陽子はどうやら二人の主張を信用したようだった。


「それは……放っておけなかったからだよ」


 蓮は陽子を直視して弁解する。


「放っておけないからって……蓮に何が出来るって言うの?」


 陽子は蓮とみのりをちらちらと交互に見ながら少々険しそうな口調になった。


「それは……」


 蓮は黙り込むしかなかった。


「記憶喪失なら、警察に保護してもらうべきよ」


「警察……」


 みのりは禁句を聞いて絶句した。直後、口を押さえてうずくまる。


「ちょっと、大丈夫? どうしたの?」


 突然のことに、陽子も慌てふためく。事情を知らないのだから無理もない。


「この子、事情があって警察には行けないんだ」


 蓮は陽子に訴える。みのりの顔は瞬く間に青白く変化している。


「立花さん……一旦、外の空気を吸いたいです……」


 みのりは言葉を絞り出すかのように言った。


「わかった。出よう。後でまた来る、母さん」


「えっ、ちょっと、外は暑過ぎ」


 蓮はみのりの肩を抱えるようにして、陽子の返事も待たずに外に出た。




 真夏の容赦ない暑さが二人を再び蹂躙する。


「みのりさん、あそこのベンチ日陰だから、座ろうか」


 蓮はみのりの肩を支えるようにして、みのりをベンチの前に連れて行った。


 前までやってくると、みのりはベンチに力なく座った。


「ありがとうございます……立花さん……」


 みのりの声には覇気は全くない。


「少し休もう」


 蓮は熱くなったみのりの腕に触れながら言った。


 直後、竹本商店の戸がガラガラと開く音が聞こえてきた。


 二人が見ると、陽子が片手にスポーツドリンクを持ってベンチに近づいてくる。


「熱中症になっちゃうから、入って。さっきはごめんね」


 二人は顔を見合わせて無言でいたが、やがてみのりが口を開いた。


「……わかりました」




「名前は憶えてるのね?」


 陽子は自己紹介を終えたみのりをちらりと見た。みのりは何と言っていいかわからず狼狽している様子だった。


「とりあえず名付けただけだよ。本名はわからないんだ」


 蓮はみのりをフォローする形で陽子に説明する。


「つまり……名前もわからない、とね」


 陽子はレジに小さなメモ用紙を置いて走り書きしている。


「警察に行けないとなるとね……どうしたものか」


 陽子は腕を組んで考える仕草を見せる。


「家で少しの間保護するとかは出来ないかな?」


 蓮は陽子に確認する。


「出来なくはないけどね……それは最後の手段よ」


 陽子は蓮を真っ直ぐに見て言った。


「とりあえず、私は立花陽子ね。正真正銘、蓮の母親です。よろしくね、みのりさん」


 みのりは先ほど渡されたスポーツドリンクをゴクゴクと飲んでから、陽子に向き直って頭を下げた。


「立花さんのお母さんなんですね。よろしくお願いします」


「そういえば、みのりさん、お腹空いてない?」


 陽子はみのりをまじまじと見つめながら言った。


「えっと……正直、空いてます」


「わかったわ。お弁当あるから、良かったらもらってって」


 そうして、陽子は店の奥の一角を指差して言った。


「ありがとうございます。あ、でもお金……」


「今日はいいわよ。自由に選んで」


 みのりは陽子の親らしい微笑みに納得した様子で、奥の一角に向かった。蓮もみのりの後ろに続く。


 陳列ケースには五種類の弁当が収まっていた。具体的には、幕の内弁当、唐揚げ弁当、生姜焼き弁当、チキンカツ弁当、それにのり弁当といった具合だ。


「わぁ……どれも美味しそうですね」


 みのりが蓮に向かって感嘆の声を上げた。


「うん。本当に美味しそうだね」


 みのりは弁当の山に手を出し吟味を始めた。やがて、幕の内弁当を一つ手に取ると、蓮が用意したかごにそれを入れた。


 蓮は弁当の中身を見て少々困惑した様子になった。


「みのりさん、これ……ご飯特盛りだよ?」


 ケースのふたに触れるか触れないかくらいに盛ってあるご飯。


「大丈夫です! お腹空いてますから!」


 みのりは何でもなさそうにそう言った。


 おにぎり一個じゃ足りないにしても、ご飯特盛りか……。蓮はみのりの食欲に度肝を抜かれた。


 その後、蓮は冷蔵庫からお茶のペットボトルを一本取り出し、買い物かごに入れた。


「母さん、本当にタダでいいの?」


 蓮は陽子の対応に疑問を抱いていた。


「良いわよ」


 陽子は何でもなさそうに言った。


「あ、ありがとう。じゃあ、行くね」


「ありがとうございました」


 みのりは陽子を向いて深々と頭を下げた。


「涼しい所選ぶのよー」


 二人が立ち去る際、陽子のはきはきとした声が後ろから聞こえてきた。




 それから、二人は三十分ほど歩き、先ほどの大石の場所へ戻ってきた。


「ふぅ……やっぱり、ここは涼しいね」


 蓮は座ってから新しいフェイスタオルで汗を拭った。


「涼しいですね。緑がたくさんあるからだと思います」


 みのりは足をぶらぶらさせながら、蓮から幕の内弁当を受け取った。


「いただきます!」


 みのりはふたを開け、煮物を勢いよく食べ始めた。


「んーっ……美味しいです」


 直後みのりは、はち切れそうな笑顔を蓮に見せた。


「そういえば、みのりさんは、どんなことなら憶えてるの?」


 蓮はみのりに、素朴な疑問を投げかける。


「えっと、生きる上で最低限の物の知識、くらいですかね……」


 みのりはうーんと唸りながら考えにふける。


「じゃあさ……さっきのみかんのお守りについて、何か憶えてる?」


 みのりは蓮の次なる問いに対し、箸を止めて再び考えを巡らせる。


「ひょっとしたら……お守りは、もらった物かもしれません」


「そっか。それは『綴さん』から?」


 蓮はたたみかけるようにみのりに質問を重ねる。しかし、みのりは首を横にゆっくり振った。


「わかりません。『綴』が誰なのか」


「そっか……わかった。ありがとね」


 みのりは「どういたしまして」と答えてから、紅鮭をほぐし始めた。しかし、すぐに再び箸を止めた。


「立花さん、道路を歩いてて思ったことがあるんです」


「ん……それは何?」


 蓮はジンワリ流れてきた汗を軽く拭いながら言った。


「はい。あの……丸い形の車がたくさん走るようになったのは、いつからですか?」


「えっ? 丸い形の車?」


 蓮にはみのりの質問の意味が理解できない。


「はい。あの……全体的に、丸いような気がしたので……」


 みのりは話しているうちに少し不安そうな表情になった。


「あの、わからなければわからないで構いませんので……」


 蓮はうーんと唸り声を上げて考えにふける。


「そうだね。何となくなら答えられるかも」


「はい。何となくでいいので、お願いします」


 みのりは蓮に向けて頭を下げた。なぜ、みのりはそこまで必死になるのだろうか。


「わかった。多分……二十一世紀に入ってから、じゃないかな」


 丸い形の車の範囲がはっきりしないから、あくまでも個人的な意見だけど。蓮は内心そう付け加えた。


 みのりは目を大きく見開いてから言った。


「二十一世紀、ですか」


「うん、多分。あくまでも、個人的な想像だからね」


「……そうですよね……わかりました」


 なぜみのりがそんな質問をしたのか、結局蓮にはわからずじまいだった。


「みかんのお守りは、どうして道端に落ちてたんだろう?」


 蓮は気を取り直して、みのりに別の質問を投げかけてみることにした。


「立花さんと出会う一時間くらい前に、あの道で転んでしまって、その際にバッグから落ちてしまったんですけど、気付けなくて」


「そうだったんだね。どこかに行くつもりだったの?」


 蓮は話を深くしていこうとする。


「いえ、あの……私が目覚めた場所が、先ほどの神社の奥にある森だったんです。それでしばらくは、手掛かりを求めてブラブラしていたんですけど、今日の朝、神社のほうに戻ってみようと思ったんです」


「それは何か、直感があったの?」


 蓮はみのりに聞いてみたが、みのりは首を横に振った。


「いえ、とりあえず、最初の場所に戻って、作戦を練ろうと思って」


「……なるほどね……そういえば、転んだ時の怪我はすぐ治っちゃったの?」


 蓮の問いかけに対し、みのりは首を縦に振ってから口を開いた。


「はい。先ほどと同じ不思議な力が働いたみたいで……」


 蓮はみのりが持つ『不思議な力』について完全に信じたわけではなかった。とはいえ、目の前で現象を目撃した以上、露骨に信じないのも矛盾するような気がしていた。


「あの、今度は私から質問いいですか?」


 みのりは紅鮭を一通りほぐし終えてから、蓮に尋ねた。


「別にいいよ。何かな?」


「立花さんは、この町……美野里町にお住まいなんですか?」


「中学までは住んでたよ」


「えっ……では今は、どこにお住まいですか?」


「東京って街はわかるかな?」


 蓮は記憶喪失のみのりに最大限配慮しようとしている。


「はい、わかります。確か……大きな街、ですよね?」


 みのりは目をぱちくりさせながら蓮に確認する。


「そうそう、そこに住んでるんだ。そういえば、みのりさんはどこに住んでるかは思い出せたの?」


 みのりは目をつむって数秒唸った上で顔を上げ、首をゆっくりと横に振った。


「いいえ。全く」


「そっか……うーん……」


 蓮は腕を組んで、考えを巡らせる。


 それでも、この辺りにとどまってるってことは、この辺りに何か思い入れがあるのかもしれないな。てことは、もう少し動き回れば、みのりさんを知ってる人に会えるかもしれない。蓮はそう推測する。


「みのりさん」


 蓮は紅鮭を一口食べたみのりにキリッとした声で話しかける。


「えっ、何ですか?」


「お弁当食べたら、ここから離れて、歩こう」


「えっ、あの……それはどうしてでしょうか?」


 みのりには蓮の発言の意味がわからないようだった。


「もしかしたら、一気に色々思い出すかもしれないから」


 蓮は持論をみのりに展開した。みのりは蓮の瞳をじっと見つめたまま、やがて言った。


「……立花さんはそう思うんですね?」


 みのりの表情からは、一種の諦めのようなものが感じ取れるように、蓮には思えた。


「うん。そう思う」


 蓮はみのりを真っ直ぐに見つめた上で言った。みのりは蓮の視線に射貫かれたように、少し萎縮した。


「……経験していないから、そういうことが言えるんでしょうね」


 みのりは半ば毒吐きとも取れるような言葉を口にする。


「とりあえず、立ち止まってたら何も変わらないと思うよ、僕は」


「……確かに……そうですけど……どこに行くつもりですか?」


「美野里駅のほうは行った?」


 人口が多い地域として、蓮にはまず美野里駅前周辺が浮かび上がった。


「美野里駅ですか……いえ、行ってないと思います」


「じゃあ、そこに行ってみよう。いいかな?」


 蓮は確認のため、みのりの言葉を待った。みのりは紅鮭のほぐし身を口に入れて飲み込んだ上で、言った。


「わかりました」

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