終章

公演初日を迎え、劇場の前は人だかりでごったがえしていた。

この劇場は住宅地の中にある小さな劇場のため、近隣住民へ迷惑がかからないように、入場待機の列形成が必須である。それが上手くいかず苦情が入ろうものなら、週末までの七公演が全うできなくなる可能性もある。そのため制作スタッフ総出で列整理やら近隣への配慮に余念がなかったが、予想以上の客足に四苦八苦していた。

「盛況だな」

「初日と楽日は割といつもこんなだよ」

その様子を遠巻きに見ているのは、司と三輝だ。列形成の邪魔にならないように少し離れた場所からそれを見守っていた。

自由席の為、我先に入りたい観客が声を上げながら列形成にあたっているスタッフにクレームを入れたりしている。懸命に声を出し、仕事をこなしているスタッフに対して、いきすぎた客の態度を見ていると流石に司たちにとっては目を瞑りたい光景に思える程だ。

そこにNがやって来た。先日の事も気になるし、挨拶に行こうかと一歩足を出しかけたその時、何を思ったかNが一人の女性スタッフを蹴りあげた。

司も三輝も思わず声を発した程前触れもなかった突然の事で、それを偶然見かけた客たちもざわついている。

「Nさん、どうしたんだろう?」

「さあ…けど、余程虫の居所が悪いんだろうな。顔、凄く怖い」

「あー、確かに怖い」

司たちがそんな会話をする程に、Nは苛立った顔をして、女性スタッフを怒鳴りつけていた。先日まで二人見せていた顔がよそ行きの表情だったとしても、今のNは言い過ぎではなく鬼の様な形相をしている。

ふと蹴られた女性スタッフを見ると、一瞬だけ泣きそうな顔をしたものの、健気にもすぐにまた自分のすべき仕事へと戻っている。

だがそれを功を奏したのか、目の当たりにした客たちは大人しく整理番号順に並び始めた。

見ると既にNの姿はそこにはない。客を目の前にしての愚行にバツが悪くなったのだろうか。

それからはすぐに開場時間となり、差程問題もなく開演を迎えた。

初めて見た演劇集団Iの舞台は幻想的であり、物語の流れはよく読みとりづらい、雰囲気が強めの芝居だった。ストーリー性は強くこそないが、メッセージがあちらこちらに散りばめられている。

意味が分からないと苦手にする人も多そうだが、この雰囲気が好きな人種も確かにいるだろう。所謂、マニアックな人種には人気のありそうな舞台だ。

司にとっては可もなく不可もなく。批判をする程芝居や演技に詳しい訳でもないし、かと言って好ましいかと言われれば返事もし難い。

ただ、稽古中にも色々起こりすぎた劇団だ。暗転中にも目を凝らしてみたが、元々霊感のあるわけでない司にはやはりただの暗い舞台である。

そして無事に迎えたカーテンコール。

センターには主役の小柄な男性を置き、それを挟むようにしてIと座長のSが並ぶ。そしてMはそれから離れて列に並んだ。

大劇場の華やかな商業演劇とは違い、静かで厳かな音楽が薄く流れる中、頭を下げるだけのカーテンコール。にこやかな表情を誰一人とせず、お多福の面を被ったままの役者もいる。

まばらに始まった拍手が次第に激しく起こり、そしてもう一度暗転の後場内に明かりが入ると、既に舞台上には誰もいなくなっていた。最後まで幻想的で真意の読みづらい舞台だったが、拍手喝采が起きた事でこの舞台の成立を知る。

司には到底理解し難い世界観だったが、こういった舞台もあるのだなと、新しく得た知識を脳内に書き込んだ。

「どうだった?」

帰り支度をしながら三輝に問われると、悪くはなかったとしか言えない。そもそも感想を言うべきストーリーがないのだから仕方がない。

想像通りだったのか、三輝がケラッと笑った。

「外にIが待ってる筈なんだ。声を掛けてから帰ろう」

「そうだな」

この手の小劇場ではよくある「お見送り」があるのだという。

司も手早く荷物を纏めて三輝の後に着いて外へと出た。

そこでは芝居を見に来た身内や友人と、それに挨拶をする役者でごった返す風景が繰り広げられている。花束や労いのプレゼントを受け取り記念撮影に応じたり、ファンだという客から声を掛けられた役者は握手をして暫し歓談したりと短くも安らいだ時間が流れていった。

初日の幕が上がった安心感もあったのかもしれない。

先日の稽古の時の空気とは打って変わった明るい雰囲気に、司は生霊の存在は杞憂に終わったかと胸を撫で下ろした。

三輝がIと話しているので司はNに挨拶でもとその姿を探したが、見あたるところにはいない。聞けばこの劇団は、本番が始まってからもダメ出しがあり、明日の本番に備えるらしい。

Nは恐らく、今日の舞台の反省点でもまとめているのだろうと勝手に納得をしたところに、IとSを連れて三輝がやって来た。

「先日はありがとうございました」

舞台メイクを施したままの二人が揃って頭を下げる。それを間近で見ると、自分の怪談会でメイクをしてみるのも面白いかもしれいなどと思ってしまう。

感想を求められたので曖昧な言葉で答えると、IもSも小さく笑った。

「初めての人は大抵そんな反応です。でも好き嫌いが分かれる世界なので、苦手なら遠慮なく言ってくださいね」

「苦手じゃないです。ただ、上手く言葉にはできなくて申し訳ない。あ、そういえば、語り手役は変更になったんですね」

先日Nに忠告した事を実行してくれたと、司は安堵を表情に浮かべて言った。Nの様に、芝居に拘りを持ち妥協をしない人間が素直に応じると思っていなかったというのが本音だ。

だがIもSも、顔を見合せて首を捻っている。え?と司が声を漏らすととIとSはもう一度視線を合わせてからSが口を開いた。

「うちの劇団は、絶対的に演出の頭の中で決まっている配役があっても、何度も読み合わせをして最終的に役が決まります。読み合わせから立ち稽古に入りますが、そこでも役を入れ替えるのもいつもの事です。今回もMは、読み合わせの時に基本的には語りを指名されてました。けど、他にも三人位が読んでて。最初的には立ち稽古でもMは指名されなくなっていて、結果、別の役者が今回の語り役に。だから本格的な稽古を始めてからは変更はないです」

そう説明され、今度は司が首を捻った。

では自分の見立てが違っていたというのだろうか。

いずれにせよ、今日無事に幕はあがり、このまま千秋楽まで予定通りの公演が行われることだろう。

もし何かが起きたとしても、司には祓う能力はない。霊に関する知識があるだけだ。

「もし何かあったらいつでも連絡下さい。また話が聞きたい」

そう言ったのは、怪談師としてのネタ収集のため。

けれど万が一の事があったとしても、そっち方面のアドバイスが貰えると、IもSも心底嬉しそうな顔で頷いた。

そうして司と三輝は二人に頭を下げて駅までの道を向かった。

「ねえ、生霊云々言ってたのは?」

「…俺の杞憂」

「珍しい」

「何事もないなら別にいいだろ。それにあの事故とか劇場で起きた不思議な事は、その場所によくある事だ」

「よく言うよね。劇場とか人が集まる場所には寄りやすいって」

「そういう事。坩堝だからな。怨念の…」

よくある事案として特に気を止めぬむまま2人は家路を辿る。

その後、演劇集団Iは大きな劇場のイベントに参加が決まった。そのイベントは小劇団の登竜門とも呼ばれていて、選ばれればその後の集客は安泰と言われているらしい。

だがどの出演団体もチケットの売上が好評の中、演劇集団Iだけが奮わなかったという。

そしてその後も高名なイベントに何度も呼ばれ、日本中を飛び回ったり、海外でまで芝居を打った。

けれどその劇評はどれも酷評で、次第に金策が難しくなったという。

今でも活動はしているらしいが、公演数は減り、数年に一度しか本公演を行ってはいない。

やはり‘ナニカ’しらの影響はあったのだろう。

余談だが、この劇団のカーテンコールは、劇中に面を付けている役者でも、必ず素顔で登場するという事だ。

そしてMはいつの間にか劇団から姿を消していたという事も付け加えておこう。




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実話怪談師 司 蒼夜 ー憎悪の城ー 二月あおい @souya_0331

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