第四話
重い物が落ちる音に反応したのか、女性たちの悲鳴に反応したのかわからない。とにかく穏やかな雰囲気だった稽古場に戦慄が走ったのは間違いない。
そこには先程まで積み上げられていた、セットを模した箱馬とサイコロが床に散らばっている。そしてその中央に女性が下敷きになっていた。
「I!」
「Iさん!」
Iの名前を皆が口々に叫びながら、その場所へと集まってきた。
「I!大丈夫か?!ぼさっとしてないで早くどかせよ!」
まっ先に駆け寄ったのは座長のSだ。Sがそう叫びながら、Iに寄り添うようにしゃがみ込み、手元にある箱馬を投げるようにどかしていく。
「I!」
そして姿を現したIを慌てて抱き起こした。Iはどうやら意識がないようで、目は閉じたまま、眉間は少し苦しそうに皺を刻んでいた。
「揺らさない方がいい。頭を打ってるかもしれない」
そう声をかけたのは司だった。いつの間にかそこへと移動していた司はSに声をかけるも、彼は聞く耳持たないといった様子でIを抱きしめている。司は少し呆れた様に息を吐くと、今度は視線を三輝へと向け、救急車を呼ぶ様に指示をした。
「何があったんですか?」
どうにも離れそうにないので、Iは座長のSに預けたまま周囲に立ちつくしたままの団員に司が声をかけると、そこでハッと顔をあげて司を見た。
団員たちもまだ事態を把握しきれていないのだろう。落ち着くように優しいトーンで尋ねると、Iと一緒に作業をしていたうちの数人がようやく話に応じてくれた。
「Iさんがこのシーンは高い所で演じた方がいいかもって言うから、みんなで箱馬を積み上げて…」
「でも、それでも足りないっていうから今度はサイコロを…」
箱馬というのは舞台装置の土台に使われる物で、かなり丈夫にできている。高さは六寸。凡そ18センチ程。
証言してくれた団員の話では、最初はその箱馬を五つ積み上げてそこにIが立ち上がったという。けれどそれではサイコロの高さよりも低いという事で、箱馬の上に更にサイコロを重ねた。
使用していたサイコロの高さは一尺三寸。凡そ39センチだ。
Iはこのサイコロを箱馬を五つ重ねた上にこのサイコロも更に二つ重ねてその上に乗ったという。その高さは凡そ168センチ。いくら組み方に注意したとはいえ、その上に立ち上がれば不安定極まりない。
結果、Iは転落した。
周囲には他の劇団員もいたし、サポートは十分だとでも思ったのだろうか。
だが今は、事情を聞くよりもIの処置が先だ。程なくして救急車が到着し、簡単な事情を説明してすぐに近隣にある救急対応の大学病院へと搬送される事になった。座長のSが同乗し、演出と制作スタッフがタクシーで後を追いかける。
四人が病院へと向かうと、稽古場はあっという間に静寂に包まれた。
「とりあえず、続き…は無理そうだし、片付け始める?」
「でも演出が戻ったら、Iさん抜きのシーンやるんじゃない?」
「じゃあ、散らばった物だけ片付けておいて、稽古再開でも撤収でもすぐに対応出来るようにしようか」
団員達はバミリの為に貼ったテープなどはそのままに、簡単に荷物をまとめる作業を始めた。三輝が団員の一人に声をかけ、この稽古場は何時まで借りているのかを尋ねると、あと三時間はここにいられると言う。成程、撤収準備をする事は容易いが、そこからまた稽古再開になった場合は時間がかかるという事か。
いずれにせよ、今日はもうIから話を聞く事は難しそうだし、演出の方も同様だろう。一旦帰るかと三輝と司は帰り支度を始めると、一人の女性団員が近寄ってきた。
「折角お越しいただいたのにすいません」
そう言って頭を下げた女性団員はMと名乗った。
「いや、俺たちがこんな切羽詰まった時期に来ちゃったのが悪いんですよ。また来ます」
「ええ、ぜひ。本番もいらして下さいね」
Mはそう言って薄く微笑んだ。
漆黒の黒髪に、背中半ばまであるロングヘアー。純和風という感じの、大人しめな顔立ち。髪型や髪色はIと同じだが、目鼻立ちのくっきりした、所謂美人顔のIとは対照的だ。Mの雰囲気がどこか暗めの印象を受けたのは、明るく白い歯を見せて笑うIの笑顔とは違い、口角を緩く動かすだけの落ち着いた笑顔だったからだろう。
それにMの笑顔は、目が笑っていなかった。
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