第二話
ピアノ教室の子供たちは親に手を引かれて帰っていき、再び司の周囲は静寂に包まれた。
都内とはいえビル群から離れたこの場所は、自然すらないがそれなりに静かだ。それぞれの稽古場に防音処理が施されている事もあるが、それを差し引いてもここは静かな場所だ。
晴れた空をフロントガラスから見上げて溜息を一つ。いい加減そろそろ来いよと心の中で愚痴ると、窓ガラスをコンコンとノックされた。顔を向けると、そこにはすまなそうに手を合わせて頭を下げる三輝の姿があった。
少し苛立つ気持ちもあったが、練習が長引くのはよくある事だ。不機嫌になっても仕方がない。それよりも、後で何か奢らせようと司は窓越しに笑って見せる。
司が助手席の鞄を手にすると、三輝が一歩下がりドアを開けやすい距離を保つ。ドアを開けると開口一番、三輝が「遅くなった」と頭を下げたので、ポンと肩を叩く。
「今夜の夕飯は白ヶ峰のラーメンでいいよ」
「分かったよ」
不本意そうに承諾した三輝は、頭の中で財布の中身を確認した。白ヶ峰は食券制なのでカードが使えないのだ。
夕飯を確保した事で機嫌もよくなった司は、で?と早速自分をここに呼び出した意図を尋ねる。
「あぁ、俺の芸術科の同期が司と話したいんだって。あ、俺とは違って演劇専攻の子なんだけどさ、最近劇団の中で何か色々起きてるみたいで」
三輝はT大学の芸術科卒業だ。この芸術科は三輝の専攻している音楽…まあこの音楽専攻にも管楽器やら打楽器やら声楽やらに分かれているが、その他に美術や演劇があり、それらも音楽同様細かく分かれている。
「ま、歩きながら説明するよ。その子の劇団も今日ここで稽古やってるんだ」
そう言うと三輝はスマートフォンを取り出して稽古場を確認する。目的の場所は駐車場からは少し離れた西館にあるらしく、この場所に地理感のない司はその横について足を進めた。
「彼女の劇団は一年に二回本公演やってるんだけど、この前の公演の時に不思議な事があったらしいんだよね。その後の実験公演でも何かあったって。だから話を聞いて欲しいって言われたんだ」
稽古場に向かいながら三輝が話してきた。司は少し不思議そうに首を傾げる。その手の話はいつも三輝が仕入れてきてくれるじゃないか。何故自分を呼んだんだ。これは何か裏があると、横から背中をポンと叩いた。
「夕飯、チャーシュー丼も追加な」
全部聞かずとも嫌な予感がする。すかさず追加オーダーをすると、三輝は勿論と笑った。
全てを語らずとも悟り合う関係は、もう二十年にもなる。司が陰を引き寄せ、三輝の陽が祓う。無意識の関係性がここまで長く続いたのは、もう「縁」だ。卒業後も続いた、違う道を歩む様でいて交わる縁は、きっとずっと続くのだろうと、お互いに何も言わずとも脳裏にある。
「さ、ここだ。この中で件の劇団が稽古してる」
「わかった。入るか」
司の声に三輝は頷くと、そっと稽古場のドアを開けた。
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