怪談 幽霊は音楽がお好き?

「大好きな〜大好きな〜美味しいぶどうのパン食べよ〜」

少年は大きな声で歌いながら、覚えたばかりの曲を、なんとか両手を使って不器用そうに弾いている。

ピアノ自体は好きでも嫌いでもなかったが、練習は大嫌いだった。けれど練習をしないで翌週のレッスンに臨み、一人だけ弾けずに悔しい思いをするのが嫌で、渋々ピアノの前に座る時間を作っていた。

負けず嫌いの少年は、活発で友人も多い。進んでリーダーシップを取っていたわけではないが、自然と周りに人が集まる、そんな子供だった。

「よし、今度はこっちの曲だ。こっちが終わったら遊びに行くぞ」

目標を決め、今度は新しく習ったばかりのページを開く。その曲は、左手はずっと同じ音で伴奏を奏で、右手でメロディをという簡単な曲。けれど先程歌っていたのは左右高低差のあるユニゾンだった。今度は左右が違うリズム。少し気合いの入れ方も変わり、深呼吸をして鍵盤の上に両手を置いた。

左手で「レ」の音を先行させ、そこにメロディを乗せた…瞬間だった。

ギギギギ…

木が軋む音がしたので、少年は手を止めた。

この音は、少年のいる部屋か両親の部屋のドアが開閉する音だ。厚さ四センチはあろうかという重めの木の扉は、開閉する時にこういった音が鳴る。

少年にとっては耳馴染みのある音なので、きっと両親が部屋に来たんだろうと、改めて最初から弾き直し始めた。

また先行して「レ」の音を鳴らし、そこにメロディを乗せていく。今度は四小節程まで進める事ができた。だがそこでミスタッチ。少年は楽譜に赤丸をつけ、もう一度やり直そうとした。

ギギギギ…

音がした。

そこでふと思った。両親が部屋に入ったとしても、階段を上がってくる音がしなかった、と。

少年と弟の部屋と両親の部屋は二階にあり、祖父母を含む一家団欒は一階の居間で過ごす事が多かった。少年が二階にあがるのは、こうしてピアノを弾く時と友達が来た時。両親に至っては、ほぼ寝るだけの部屋となっていた為、この時間に上がってくることはあまりない。

少年は椅子から降りてドアを開けた。両親の部屋のドアを確認する為だ。

両親の部屋は、基本的に不在時にも開けられている。タイマーを使ってエアコンを作動してあるならば話は別だが、この時季節は春。エアコンは必要ない陽気だった。

自分の部屋のドアを開け、向かい合った両親の部屋のドアは、開いていた。

それは不在を意味し、同時に、先程聞こえたドアの開閉時に軋む音が謎に耳に響いた。

けれど聞こえたのは二回。閉めて、開けて、そして現在不在ならば辻褄は合う。階段を登る音は、ピアノに集中していたから気づかなかったのだろう。そんな都合のいい解釈をして、少年は再びピアノに向かった。

今度は最初から左右一緒に弾き始める所から。せーのと小さく口に出して、左右同時に「レ」の音を叩いた。テンポはゆっくりだが、調子よく進んでいく。すると幾分もしないうちにまた「ギギギギ…」という音が聞こえる。

今度は手を止めると、その音も止まった。様子を伺う。シーンという静寂。

耳をすませば、一階からテレビの音が聞こえるが、本当に小さな音だ。居間には祖父母、それから母と弟がいるはずだ。

首をひねりまたピアノを弾く。

ギギギギ…

手を止める。軋む音も止まる。

この繰り返しを何度かして、少年は思わず「誰かいるのー?」と声をかけた。

だが返事はない。

けれどもしかしたら、本当は誰か二階に来たのかもしれない。そう思った少年は、一度部屋を出て居間に向かった。

居間には、祖父母、母、弟が揃っている。二階でピアノを弾いていたのを知っていた母親が、少し焦っていた少年を見て声をかけてきた。

「どうしたの?もうピアノは終わり?」

「んー…誰か二階に来た?」

そう尋ねると、みんな不思議な顔をする。

「誰も行ってないよ。邪魔しないからもう少し練習したら?」

「うん…そうする」

なんとなく腑に落ちない気はしたが、練習はしたかったのでまた自室へと戻りピアノの前に腰を下ろした。そして鍵盤に手を置き、ポーンと一音を鳴らす。

ギギギギ…

また音がした。

それは鍵盤から手を離すと、止まる。

もしかしたら両親の方の部屋のドアが風で動いたのかも?とも思ったが、一番最初に確認はした。両親の部屋のドアは開いたままだ。しがドアは木製で四センチ程の厚さ。風で動くわけがない。

「誰ー?誰がいるのー!」

もはや軽くパニック状態で、誰かいることに確信があった。それでも返事が当然ないことに恐怖を感じる。

居間に戻ろうか。けれどまた「練習しなさい」と二階に戻されるに決まっている。

少年は恐怖を打ち消すかのようにまたピアノに向かった。

なんとかなれ!と、左手の伴奏は一つの音だけを延々と弾き、右手でメロディを奏でる。

幼稚園児用の簡単で単純な曲だったが、それでも少年は必死で弾いた。

そうして一曲が弾き終わった。

終わった…

今度はあの軋む音はしなかった。

やっぱり気のせいだったのか、と胸を撫で下ろして楽譜を片付けピアノの蓋を閉めた。

すると耳元で


『まだ…』


低い男の声がした。慌てて振り向いたが誰もいない。

ギギギギ…

またあの音がした。

本能的に少年は部屋を出て、家族のいる居間へと駆け足でむかった。血相を変えて二階から降りてきた私を家族は不思議そうな顔で見るので、少年は部屋で起こった一部始終を話した。当然みんな、気のせいだといって笑い飛ばした。

だが弟だけは無表情だ。

もしかしたら弟も、同じ音を聞き、同じような体験をしていたのかもしれない。

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