第52話 五十嵐弥生③

「何か飲みますか?」

「あ、えっと……」


 口ごもった弥生を少し見て、ダイアナは「こちらで選びますね」とにこやかに言った。

 ダイアナに声をかけられた弥生は特に返事ができないままついていってしまった。荷物はダイアナも一緒に持ってくれ、今は座席の横に置かれている。

 連れてこられたのはエンリケとも来たことがある飲食店だった。確か異世界に来て間もない頃で、ひどく落ち着かない気持ちで食事をしたのを覚えている。何を食べたのかは、あまり覚えていない。

 ダイアナは注文を済ませると、弥生に向き直って話し出した。


「イガラシヤヨイさん……転生者で間違いないですね?」

「そう、ですけど……」


 戸惑いながら認める弥生に、ダイアナは一つ頷いた。


「転生者保護施設、というのはわかりますか?」

「まあ、一応」


 返事ほどの確信はなく曖昧に答える。

 エンリケが説明してくれたのをなんとなく覚えているが、具体的な内容はあまり頭に入ってはいなかった。確か、転生者を保護して身の振り方を相談できるという名称そのままの施設だった気がする。転生者すべてが行く必要もなく、弥生のように直接ギルドに拾われる人間にとっては必要がない。

 そういえば、と思い出す。施設の職員はあまりやる気がないともエンリケは言っていた。転生者に最低限の教育をした後は適当なギルドに投げて終わらせるらしい。教育もいい加減で、結局ギルドが教育をやり直すことなりなるので直接拾えるに越したことがないと。

 そんな話と裏腹に、ダイアナの表情は真剣身が感じられた。いい加減な仕事をするようにはあまり見えないが、エンリケが言っていたことからいい恰好をしているのではないかとも思う。


「あの、私はもうギルドに所属しているので施設は必要ないと思うんですけど」

「施設に来てほしいだとかそういう話ではないんです。こちらの都合なので申し訳ないんですけれど」


 なおのこと話が見えなくて首をかしげる。

 ダイアナはええと、とテーブルの上で手を組んで話し出した。


「転生者施設は都市内の転生者を把握すること、という決まりがあるんですよ」

「把握、ですか?」


 ええまあ、とダイアナは苦笑を覗かせた。


「決まりといってもほとんど形骸化しているんですけどね。こっちから訊かないと中央ギルドはどこかのギルドに転生者が入っても教えてもくれませんし。まあそれはいいとして、ショートカミングに転生者がいることを最近知ったんですよ。お話をうかがいたかったんですけど、今日見かけたので声かけました」

「は、はあ……話って、どういう」

「話せる範囲でいいんですけど、トーイロスに来てからの経緯や今の仕事などを聞けたらと」

「…………」


 ちらり、と視線を他所に向ける。

 考えたのは走って逃げだそうかということだった。飲食店の中から飛び出していく自分を想像して、微かに眉を顰める。

 実のところ、弥生は単独での外出をエンリケに禁じられている。理由としては弥生の安全のため、ということだった。トーイロスに疎い転生者は性質の悪いゴロツキに絡まれたり、最悪さらわれて売られるということもあるとエンリケは言っていた。

 ギルドを出る時は必ずエンリケと、エンリケがギルドを開けているときはリンダと一緒ということを厳命されている。こうして破っているのはリンダのお陰、だ。

 いちいち誰かいたら嫌でしょ、というのがリンダの言だったが、たぶん自分が面倒なだけなんだと弥生は思っている。それでも一人で外出ができるというのは弥生にとってもありがたい話だ。気楽に外を歩けるのは良い気分転換にもなり、人間は外に出ないとダメなのだと思い知らされる。

 はじめはびくびくした単独での外出も、繰り返すたびにすっかり慣れてしまった。リンダに危ないところは教えてもらっていたので、決まったところを散歩するだけだったが弥生にとって貴重な癒しの時間だった。

 だがエンリケの言いつけを破った結果、こうしてダイアナにつかまってしまっている。声をかけられた時点で断って帰るべきだったかもしれないが、あの荷物を抱えて振り切る自信もなかったしなんとなく受け入れてしまった。

 弥生が黙っている間に、注文した飲み物がテーブルに乗せられた。


「飲みましょうか」

「……はい」


 ダイアナに合わせて飲み物を口につける。柑橘系のジュースのようだった。美味しく、つい半分ほど飲んでしまう。

 コップをテーブルに置いて、ダイアナは話を再開させた。


「トーイロスに来たのはどれぐらい前ですか?」

「ええと……一年半、ぐらいですかね」


 記憶を思い返しながら答える。同時にそれぐらい経っていたのかと他人事のように思う。

 閉じられた環境でも少しずつ変わっていくものはある。それを一つ一つ挙げることはできるが、もちろんすべてが生活の向上といえるわけではない。それでも弥生の生活は全体的に見ればわずかでも上向いている。エンリケの目を盗んで外出までもできるようになったのもだ。

 それからもダイアナの質問に答えていく。慎重に、ボロが出ないようにしながらだったのでつっかえつつの返答になったがダイアナは辛抱強く質問を重ねた。


「では、今のギルドを離れることは考えていないということでいいですか?」

「はい……ところで、そろそろいいですか? 買い出しの途中だったので戻らないと」

「ああ、はい。ありがとうございました。またお話うかがえますか?」

「えーっと……」


 頬がひきつりそうになるものをこらえて、どう返事するべきか思考する。自由に出かけられないし、万が一エンリケがいる時にダイアナに訪ねられでもしたらだいぶまずい。


「すぐには難しいんですけど、私が施設に行ってもいいですか?」

「……わかりました」


 ややきょとんとした様子でダイアナが承諾する。

 弥生は内心で冷や汗をかきっぱなしだった。このことをエンリケでもリンダでも相談はしたくない。だが、このまま話さないでいることはきっとできないだろう。要は、どっちに話すのがマシか、だが。

 そんなことはあとで考えようと籠に手をかけた弥生に、ダイアナが質問を返した。


「もう一つ訊きたいことがあるんです。いいですか?」

「いえ、今日はもう……あんまり遅いと怒られますし」

「ギルドリーダーのエンリケ・アズファイアがつけているピアスについて、何か知ってますか?」

「は?」


 意味がわからなくて頓狂な声が出た。

 何を言ってるんだと思うのも束の間で、エンリケがつけているピアスに思い当たる。

 エンリケと一緒にだましてショートカミングの地下につれていった、一番最近の転生者。

 名前は確か、由流華だったか。

 あの女の子のギフトタグが、エンリケがつけているピアスだ。


「な、んで……?」


 そう口をついたのは、何の意味もない。

 疑問は頭の中を吹き荒れていたがどの疑問を答えてほしくていったことかもわからない。

 ダイアナはまなじりを深くして答えた。


「知ってる人のものと同じに見えて気になってたんです。どこで手に入れたものかとか聞いたことはないですか?」

「……さあ、聞いたことはないです」

「そう、ですか」


 ダイアナは頷いたものの、のぞき込むような視線をまっすぐに弥生に向けている。

 口の中の渇きを感じて生唾を飲む。ひょっとしてダイアナは何かを知っているのではないという不安が頭をよぎる。

 早く帰るべきだ、と思いながらもダイアナの視線から離れることができない。


「あの、知ってる人って……」

「少し前まで施設を利用していた転生者です。近頃見ないのでどうしたのかなと」

「名前は……なんていうんですか?」

「ヤナギサワユルカです」


 やっぱり。

 ダイアナの口から出たのは予想通りの言葉だったのに、弥生の内心に激しい動揺が走った。


「知ってますか?」

「知りません!」


 怒鳴るように答えて、今度こそ籠を持ち上げて店を出る。

 とにかく早く帰らないと、という焦りだけが頭を満たす。


(早く相談しなきゃ……エンリケかリンダか、とにかくどうにかしないと!)


 混乱しながらも思考を止めずに頭を回転させる。

 どうすれば自分の生活を上向けるのか、それだけを考えて。 

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