第53話 五十嵐弥生④

「あのさ、エンリケいつ帰ってくるかな……」

「明日でしょ。どうしたの」


 そっと訊ねた弥生にリンダがやや不可解そうに応じる。

 ギルドに戻って作業を再開していたところで、急になんだとでも言いたそうな口ぶりだ。


「いや、早く会いたいなって」

「へぇそう、いいね」


 同調するような調子だが、声色はひどく冷めている。

 誤魔化し方を間違えたと悟るが取り返せるわけもなく、適当に笑って場を流す。

 リンダの恋人であるショートカミングのもう一人の冒険者は、しばらく帰ってきていない。一度冒険に出ると長く、帰ってくるのも気まぐれなのでいつになるかの予測がつかない。その期間が長くなるほど、反比例してリンダの気は短くなっていく。

 この世界にはスマートフォンもなく、遠距離で会話することもできない。リンダの不満は推して知るべしで同情できるところでもあるのだが、だからといって当たられて嬉しいわけもない。

 リンダにはダイアナのことを話していない。というより言い出せなかっただけだが。

 エンリケに話す場合、一人で外出していた云々も白状することになる。たぶん許してくれるだろうとは思うが、それでこれからの外出を許してくれるかは怪しいだろう。単独の外出は弥生にとっては失いたくないものだった。

 かといって報告しないままだと、そのうちにダイアナが来てしまうかもしれない。

 どうすればいいのか迷いに迷ったが何も結論を出せないまま、あっという間に翌日を迎えた。

 ベッドから起きた弥生は、一つのことを決めて行動に出た。


 少し道に迷ったが、弥生は目的の建物に到着した。

 道順をメモして目的地を探すことにはいまだに慣れない。地図アプリがあればと何度も思ったが、この世界でスマートフォンが開発されることはきっとない。


(転生者の誰かがそういうの作ればいいのにな)


 内心で益体もない愚痴を吐く。転生者がもたらした技術や料理などは色々とあるらしいが、どうやっても不便さは意識させられてしまう。

 意味のない思考をよそにやって、改めて建物を眺める。

 ここがおそらく転生者施設だ。中には、昨日話したダイアナがいるはず。

 ちょっと出かけたいとリンダに言うと、ひどく難色を示された。エンリケが帰ってくる日なので、もし弥生が一人で外出していることが発覚すれば面倒になるのは間違いない。

 帰ってくるのは早くても夕方だろうし、その前に一人で歩きたいと言うとなんとか了承をもらえた。

 なるべく早く帰ってこいというリンダに頷き外出したのは、ダイアナに会うためだった。

 弥生が一人で外に出られるのは今日で最後だ。またエンリケが遠征に行けば外出できるが、それがいつになるのかはわからない。その前に懸念を解決しておきたかった。

 昨日はこちらから行くと言ったが、放置したままでいれば向こうからショートカミングに来るかもしれない。そうなれば弥生の外出がエンリケの知るところになってしまう。そうならないためになんとかしなければいけない。


「なんとか……」


 自分の思考を繰り返して、顔をしかめる。

 なんとかしなきゃ、とは思っていても時間がない。リンダやエンリケに言わない以上誰にも相談はできない。結局弥生が選んだのは、ダイアナが来たりしないように会いに来るということだったが。

 昨日の別れ際を思い出す。あんな態度をとってしまった弥生のことを不審に思っていておかしくはない。ダイアナに柳沢由流華は無関係だと示すために納得させる方法も何も考えていない。

 立ちすくんでいた弥生は、やがて意を決して転生者施設のドアに手をかけた。


「すいません……」


 控えめに声をかけながらゆっくりとドアを開く。なめらかに開いたドアの向こうを覗くのだが、人の姿は一切見えなかった。

 ダイアナは外出中だろうか。カウンターを見ても、書置きか何かがある様子もない。


「いませんかー?」


 カウンターの向こうに声を投げる。

 このまま帰っては来た意味がない。が、いつ帰ってくるかもわからない相手を待ち続けるのも限度がある。

 どうしようと考えていると、カウンターの奥にある階段から誰かが下りてきた。いかにもだるそうにあくびなどをしながら現れたダイアナは、弥生を認めると目を見開いた。


「あなたは……」

「……来ました」


 ダイアナは不審そうに眉をしかめながらも、こちらに歩いてくる。後ずさりそうになる気持ちをこらえて、こちらから口を開く。


「こちらから行くと言ったので……」

「そうですね、ありがとうございます」


 頷いたダイアナは、椅子を示した。座れと言うことだろうと受け取ってそのまま腰かける。

 カウンターを挟んで向かい合ったダイアナは、怪訝そうな顔つきのままだった。


「ギルドで何か言われましたか?」

「え?」

「ここに来るにあたって、何か言われましたか?」

「いえ、とくには……」


 というより、ダイアナを会ったことを話してすらいないのだが。

 ダイアナはさらに不審そうに眼を細めた。


「昨日の話の続き、でいいですか」

「昨日の?」

「……ユルカのことです」


 由流華の名前を出されて、不意打ちのような衝撃を受けた。

 あ、と意味のないうめきが口から洩れる。


「し、知りません。その人のことは」

「そうですか……あのピアスについては」

「エンリケは今ギルドにいないので、わかりません」


 あれ、と椅子に座っているはずなのに妙な浮遊感を覚える。

 エンリケが帰ってくる前に話をしなければと思ってダイアナのところまで来た。来ればなんとかなると思ったのだが、既に話が理解できない。

 いや、そんなはずはない。昨日の別れ際を思えば、由流華のことを訊いてくるのは当たり前のことだ。考えるまでもない当然のことだ。

 その当然のことがまるで頭になかった。一人で来てしまったせいで、エンリケにもリンダにも頼ることができない。


(帰りたい)


 弱気が広がっていく。いっそ昨日のように走り出してしまいたかった。

 そんな弥生に、ダイアナの言葉が飛ぶ。


「あなたは、大丈夫ですか?」

「はい?」


 ややどもりながら訊き返す弥生に、ダイアナはじっと言い直した。


「ギルドで何か悩みはないですか」

「……別に、なにも」

「ギルドは居心地がいいと言ってましたね。それはいいことですが、何かあったらここに来てください」

「……来たら何かあるんですか?」

「話は聞けますし、必要ならなんらかの処置はとります」

「処置?」


 繰り返した弥生に、ダイアナはこくりと頷いた。


「本人の希望にもよりますが、ギルドを脱退できるようにしたりですね。ここで一時的に預かることもできますし」

「そういう人はよくいるんですか?」

「そんなに頻繁に、ということはないですね。でもあります。できるだけちゃんと面倒を見てくれるギルドを斡旋するようにしていますが、別のギルドに騙されたり、施設を通さずに変なギルドに入ってしまう人もいますから」

「変なギルド……」

「転生者を食い物にするところっていうのは割とあるんですよ」


 重々しい溜息を吐いて、ダイアナは吐き捨てるように続けた。


「どんなギルドもそうなんですが、転生者を受け入れるにあたってはギフトタグを重視します。たいていはその価値を認めて真っ当にギルドの一員として受け入れるわけですが、監禁まがいのことをしてギフトタグだけを取り上げることもあるんですよ」

「……っ」


 表情に出ないようにするのに苦労しながら、なんとか小さく頷く。

 ダイアナが言っているのは、まさしくショートカミングがやっていることだ。


「転生者はトーイロスのことを知りませんから、ひどい扱いを受けても『これは普通のことだ』と思い込んでいることもあります。できるだけそういうのは減らしたいんですが……」

「なんか、大変そうですね」

「……まあ」


 弥生の相槌にダイアナが曖昧に応じる。

 弥生の言い方はいかにも他人事で気に障ったかと今更後悔するが、ダイアナはどう受け取ったか表情に出さずに続けた。


「私の仕事は転生者の面倒を見ることですからね」

「……その、由流華って人のこともですか?」


 由流華の名前を出すと、ダイアナははっとしたような表情を見せた。薄い苦笑を浮かべ、肯定するように微かに頷く。

 余計なことを言ってるかもしれないと思う。だが、ダイアナに由流華を探す意思がなくなれば気にする必要はなくなる。そのために、弥生はここに来たのだ。

 少しずつやる気が戻っていく。そもそも由流華のギフトタグをつけていたエンリケがどう考えても悪い。弥生が解決に貢献できれば、弥生の価値も上がりより良い生活に結び付けられるかもしれない。


「探しても見つからなかったらどうするんですか?」

「……残念だけど、それはもう仕方ないですね。転生者が行方知れずになることはたまにありますから。できる限りはどうにか見つけたいですが」

「案外どこかで無事に暮らしてるかもしれませんよ」

「それならそれでいいんですけどね」


 ダイアナからは、ユルカを真剣に心配していることが伝わってくる。

 エンリケは転生者施設の職員はいい加減だと言っていたが、ダイアナと接していてもそうは思えない。とはいえ弥生だってエンリカの言うことを絶対的に信じているわけではない。当たり前に都合の悪いことは隠したりはするだろうぐらいは思っている。

 それでもダイアナの真剣さは気にかかった。


「ヤヨイさんは今のギルドで安心して過ごせていますか?」

「? そうですね」


 小首を傾げて答える。

 ダイアナは少し安心したように微笑んだ。


「転生者はみんないきなりこの世界に放り出されます。彼らにとっては訳の分からない異世界で暮らしていかなければならない苦労は……ヤヨイさんには言うまでもないですね」

「…………」


 神妙な様子のダイアナに、弥生は曖昧に頷いた。

 ダイアナの言うことはわかる。家族も友人にも会うことはできず、スマートフォンをはじめとして便利なものもない、何もかも日本とは違う生活を送らなければならない事実は弥生の精神をひどくむしばみもした。今ではそんな自分に懐かしさすら感じるが、当時はかなり不安定だった。


「転生者には、彼らを家族として受けいてくれるギルドが絶対に必要だと私は思っています」


 ダイアナの言葉に熱がこもる。

 話がどこに行くにのか少し見失いそうになったが、弥生はダイアナの言葉を耳を傾けた。

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