第51話 五十嵐弥生②

「ここ、間違ってる。前と同じ間違いしてるよ」

「……ごめんなさい」


 リンダの無感情な指摘に小さく謝罪する。リンダは無言で訂正を求める書類を差し出して、視線は別の書類に落としている。

 溜息をつきたい気持ちをこらえて書類を受け取る。自分の席に戻って書き直すべくペンを取るのだが、そこで手が止まってしまった。

 ショートカミングで飲食店を出す、と決まったはいいものの正直なところ難航を極めていた。

 まずはエンリケが認めることが最低条件だということだったが、そこから躓いている。出すアイデアはことごとく却下と修正を食らい続けていて、そのたびにリンダの機嫌も急降下を続けている。

 エンリケと話した直後は軽い愚痴を口にはするが、すぐさまに修正作業にとりかかるリンダを見ていると弥生も素直に感心してしまう。またエンリケの指摘も意地悪なだけではなく、聞いてみると的を得ているので仕方ないこともあるだろうが。

 弥生がやっていることは言ってしまえばリンダのお手伝いで、ほとんど雑用のようなものだ。飲食店の計画についてリンダと話し合うことはできても、書類を作成することは転生者である弥生には手に余る。簡単なものを手伝ってはいるものの、結果は先のとおりだ。


(もう少し、もう少し頑張って乗り切れれば……)


 飲食店が完成すれば、自分の暮らしも少しは上向く。

 自分に言い聞かせて、再びペンを走らせる。

 五十嵐弥生はごく一般的な女子高生であり、平凡な日常を送ってきた。

 弥生が生きる上での目的は、少しでも現状を良くしていくことだ。学校での居心地をよくするために頑張り、好きなものを買えるようにアルバイトをし、家でうるさく言われないようにそこそこの成績をとるぐらいには勉強をする。

 地味でもなにかがよくなっていく感覚が弥生は好きだった。努力とまではいかなくても、小さな働きかけを重ねることが成果につながることが喜びだった。

 そんな弥生の人生は、転生によって突然の転落を迎えた。

 異世界に来たという事実の理解すらままならないまま最初に出会ったのが、エンリケだった。エンリケは弥生に優しく手を差し伸べ、この世界のことを色々と教えてくれギルドに迎え入れた。

 エンリケが弥生を気に入っている素振りを見せたので、そこに付け込んでなんとか恋人という立場に収まった。エンリケは顔だちも整っているし、扱いも紳士的だ。それに拾われたことでこの人なら信頼できると思っていた。

 数か月が経ち、エンリケが転生者を地下に閉じ込めていることを知った。さすがに頭を抱え、自分の選択が過ちであったのではないかと悩んだが、実際には選択の余地などどこにもなかった。

 更に厄介だったのは、気づかずに弥生も監禁に手を染めていたことだった。エンリケの指示で困っている少女に話しかけて連れてきたことがあったが、その少女も今は地下室にいるということがわかった。当時はどこか別のところに保護を依頼したとエンリケが言っていて、弥生もそれを信用してしまっていた。

 警察かなにかを探してエンリケの行いを訴え保護してもらうことも考えたが、弥生を共犯とみなされる可能性が浮かんで取りやめにした。

 それにもしそうした場合は。

 仮に保護され、別のギルドにうまく入れたとしても、弥生の生活は今より下がってしまう可能性が高い。

 ショートカミングはメンバーが少ないギルドだが、その分人間関係も複雑ではない。リンダは仲良くも悪くもなくたまに雑談をしたりするぐらいの良い距離間を保っているし、エンリケは弥生のことを甘やかしてくれる。事務仕事を覚えるのに難儀はしたが、慣れてしまえば簡単な仕事だった。

 要するに、ここを出ていけば弥生の生活は下を向いてしまう。それがたとえ一時的だったとしても、弥生には耐えられない。既に転生したことで生活の下降は嫌というほど味わった。あんなのはもう二度とごめんだ。

 たかだか数か月暮らしただけでは異世界のことなんて理解はできない。いまだに文化の違いに辟易することも多く、日本での暮らしを懐かしむこともしばしばだ。

 そのうちの一つが、リンダだ。


「……書けたけど、見てくれる?」

「ん」


 弥生が書いた書類を無造作に受け取って目を走らせたリンダは、ややあって小さく吐息した。なにやらぼそりとつぶやいたようだったが、たぶん「まあいいか」と言ったような気がする。

 メモ用紙にさらさらと何やらを書き込んで、すっと差し出してくる。


「試食用の食材買ってきて。できる限り書いた店で買ってね。これより安いところがあったらそこでもいいけど、教えたとおりにちゃんと買い物するように」

「わかった、行ってくるね」

「ん、気を付けて」


 こちらを見もしないままの指示と見送りの言葉に頷き、ギルドを出る。

 ギルドに来た直後ではとうていできなかった一人での買い出しも、こうして任されるようになった。露天商が並ぶ商人通りでの買い物は日本で日常だったそれとは違ってかなり面喰ったが、慣れてくればこれすら日常になる。

 都市の中でも商人通りは比較的安全に買い物ができるらしい。安全にというのは、ぼったくられたりしないということだそうだ。都市の目が厳しいとかなんとか言っていたが、割とどうでもいい話だったのでちゃんとは聞いていなかった。

 メモにあったものはすぐに買い終わった。慣れた店でいつも通り買うだけなので迷うことはないが、思ったより量があった。ずっしりくる重さの籠にうんざりしながら、なんとか運んでいく。

 少し離れたところで籠を一度地面に置く。溜息を一つして、食材で山盛りになった籠を見下ろす。

 この量を一人で買ってこいというのはいささか酷に思える。リンダの嫌がらせかとも勘ぐるが、きっと違うだろう。

 リンダは元冒険者だったらしい。どうしてやめたのか一度聞いてみたことがあるが、『いつ死ぬかわからない仕事に飽きた』と言っていた。エンリケが言うにはそこそこの腕前だったらしいが、弥生が知るのはギルドで眉間に皺を寄せて掃除や事務仕事をしているリンダだけだ。

 それでも冒険者がどんな人間なのかはなんとなく理解したような気がしている。

 冒険者は、そうでない人間を軽く見下している。見下している、という意識は本人たちにはないだろうが、弥生からすれば被害妄想とも言い切れないものを感じてしまう。

 魔法を使いこなす彼らは、超人的な力を持ち、日々の労働にもそれを生かしている。まさしく今弥生が行っているような買い出しも、魔法があればこんな重さも気にせずに持ち帰れるはずだ。


「……魔法っつってもね」


 独り言ちて、籠の持ち手を掴む。軽く力を入れるぐらいではびくともしない。というより籠が壊れないかの方が心配になる。これも普通の籠ではないのかもしれないが、よくはわからない。

 リンダは特に、弥生の非力さを考慮しない。非力というか高校生女子としては平均ではないかと思うのだが、魔法を使っているうちに使えない人間がどれぐらいのことしかできないのかが想像できなくなってしまったのだろう。むしろこんなこともできないのは仕事をしたくないからだと思われている節がある。

 これは関しては本人にも(柔らかく)伝えたし、エンリケにも言ってもらったりした。だが改善されることはなく、今もこうして相当量の買い出しを申し付けられている。

 いっそ嫌がらせである方が気が楽だったかもしれない。リンダは本気でその気になれば持ち運べるものだと考えて弥生に言っているのだ。前提の思考が違いすぎるので、歩み寄れるわけがないのも当然といえば当然だ。

 エンリケは優しくはしてくれる。冒険者ではあるし、弥生の非力さに驚く様子もたびたび見えるがそれでも女の扱い方はわかっているなと感心させられてしまうことがある。

 甘えてしまいたい、という欲望が胸にあふれ、同時に別のものが蘇った。


『男にくっついてばっかりで生きるのはもったいないよ』


 声まで明瞭に再生されて、思わず顔をしかめる。

 以前リンダに言われたことだ。本当になんでもない調子で言われたせいで、どういう状況だったのかは弥生も覚えていない。どういう反応をしたのかもあいまいだ。多分適当に笑って受け流したのではないだろうか。

 リンダも悪意で言った感じではなかった。単なる忠告のような、とにかく上からの物言いだった。

 イラっと来ない、とはさすがに言わない。けれどどうだっていいといえばどうだっていい。男にくっついて生活が上向くのなら、弥生はそうする。さすがにどんな男にでもくっつくわけではないのだし。

 だから気にするような言葉でもないはずなのに、小さいささくれのように頭の片隅から消えてくれない。

 はぁ、と溜息して再度籠を持とうとする。帰りが遅くなったら何か言ってくるかもしれない。


「重たそうですね」


 急に声をかけられて、籠から手を離す。

 勢いがついてしまいこけそうになった弥生の腕を、誰かがつかむ。


「大丈夫ですか?」

「は、はい……」


 弥生に声をかけたのは、長髪の美人だった。

 さっさと帰ろうと、「ありがとうございます」と早口で言い籠をもちあげようとしたところで美人がまた声をかけてきた。


「イガラシヤヨイさん、ですよね」

「……っ」


 名前を呼ばれ、籠を持ち上げることができなかった。ぐん、とつんのめって、美人に向き直る。

 遠慮がちな声とは裏腹に、美人の目はぴったりと弥生をとらえていた。

 返事ができないままの弥生に、美人は続ける。


「転生者保護施設のダイアナと言います。少しお話よろしいでしょうか」

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