第49話 萎えてる

 事情を聞いた小春は、気丈に笑みを浮かべた。が、ひどく力のないものだった。もっとも幸恵は笑みどころではない荒れた顔つきだったし、鏡はないが由流華も同じようなものだっただろう。


「そっか、なくなっちゃったかー」

「コーエンの野郎……」


 だるそうに吐き捨てる幸恵に、小春はやや目を細めて言った。


「玲香たちに謝った方がいいんじゃない?」

「ああ? ……いや」

「まあ、あの剣幕ならまだちょっと無理かもね」


 疲れたように小春がつぶやく。

 あの剣幕というのは、玲香より未那のことだろう。どっちにしても二人が謝罪を受け入れるかはかなり難しいとは由流華も思うが。

 誰も何も言わず、気まずい沈黙だけが場に流れる。こういう時は小春が何かしら言うのだが、今回ばかりは小春も疲れた表情を隠せていなかった。

 あれから少し経ってコーエンだけが一人で降りてきた。エンリケが来るかもしれないと思ったがその気配はなく、いつも通りに食事を渡してきた。

 コーエンは由流華たちにはまるっきり関心をなくしたようにこちらを見ることもなく、酒を片手に考え込むように座っている。あのギフトタグはエンリケに渡されたのか。一瞬気になったかすぐにそんなことを気にしても意味がないことに気が付いた。地下室の外にある以上、手にできる可能性はない。

 振り出しに戻っただけ、と何度も内心で唱えた。ギフトタグがなくなったことは脱出を諦める理由にはならないし、次の出方を考えればいいだけだ、と。

 それなのに気力が尽きたかのように力が入らなかった。だれている時間はないのに、由流華だけではなく他の二人も同じようにしている。


(……そもそも)

「誰だろうね」


 由流華の心中の言葉を引き継ぐように小春がぼそりとつぶやいた。

 幸恵は不機嫌そうに小春に視線を向けてうなるように返した。


「何がだよ」

「……だって、コーエンが持ってたっておかしいじゃん。誰かが渡したってことになるでしょ」

「じゃああいつらだろ!」


 声を荒らげて立ち上がろうとした幸恵の腕を、小春が掴んだ。


「なんだよ」

「ギフトタグのことは誰にも言ってないでしょ。簡単に犯人扱いしても……」

「つってもあいつらか、ののしか犯人いないしよ」

「どうでもいい」


 由流華の吐き捨てると、二人がうろんな視線を向けてきた。それにも面倒くささを感じながら、投げやりに続ける。


「誰だって関係ない。もう手元にないんだから」

「そうだけど……放ってはおけないじゃない?」

「…………」


 言葉を返せず、ただ小春を見返す。小春の言う通りなのかもしれないが、何も考えることができない。

 ややあって、幸恵が大仰に溜息を吐いた。


「もういいよ。今日は寝よう。こんな調子じゃ何にもならねえよ」

「……そうだね」


 小春が頷き、その場は解散となった。

 立ち上がる二人を他所に、由流華は座り込んだままだった。まったく気力がわかず、動く気にもならない。

 幸恵はどこかに行ってしまったが、小春は由流華のそばで立っていた。それがわかっても小春を見ることもせず、ただうつむく。


「……疲れたな」


 そんなつぶやきを残して、小春も歩いていく。

 そうだね、と内心で応じて由流華はその場で横になった。


☆☆☆


『由流華はもう少し気楽になった方がいいよ』

『……気楽だよ?』

『うちの前でだけ、ね』


 灯が指を立てて言ってくるのを、複雑な気持ちで見つめ返す。

 灯は小さい子供に言い聞かせるように優しく言葉を紡ぐ。


『由流華はいっつも張りつめてるから、どこかでぷつんっていっちゃわないか心配なんだ』

『灯がいればそんなことにならない』

『そうだね』


 こくりと頷いた灯が、少し寂しそうに笑う。


『でもうちが24時間一緒にいられるわけじゃないし。由流華は、十分とかでも目を離しただけでどうにかなっちゃいそうで……ちょっと怖い』

『どうにもならないよ』


 言い返すと、灯は目をぱちくりとさせた。

 由流華にとっては当たり前のことを、灯に告げる。


『灯がいるから。傍にいなくても、明日になればまた会えるから。この世界に灯がいるってことがわかっていればそれだけであたしは大丈夫だよ』

『…………』

『あたし、灯に本当に救われてるんだよ』

『うちだってそうだよ』


 灯は嬉しそうに微笑んで、由流華の手に自分の手を重ねる。そこにいることを確かめるように。

 ここにいると、だから灯もそこにいるよねという思いで灯の手の感触を意識する。


『うちがどれだけ由流華のこと大事に思ってるか、由流華にわかる?』

『……わかってるつもりだけど。それならあたしだって同じ』


 言い返すと、灯はゆっくりと二回頷いた。

 灯と一緒にいる幸せを深く噛みしめると、胸の内に温かいものが宿る。もう、灯以外ではそんな感覚を味わうことができない。

 それは自分のせいだけれど、灯に甘えているだけかもしれないけど、ここでだけ由流華は由流華でいていい。


『……時々壊れそうになることはあるよ。でも、どんな時でも灯のこと考えたら大丈夫になるの』

『だから、心配なんだよ』


 そんな風につぶやく灯の言葉の意味が、その時はわからなかった。

 いや、わからないふりをした。そんな由流華のことをきっと灯は見抜いていたけれど、何かを言うことはなかった。


「……灯」


 そっと口にしながら、目を開ける。

 不意に終わった夢の続きを探すように目だけを動かす。暗闇の中、当たり前に何も見えずそっと寝返りを打つ。

 灯の夢はたびたび見る。実際にした会話を追体験することもあるし、記憶にない話をすることもある。いずれの場合も夢から覚めたくないと思いながらも、追い出されるように覚めてしまう。

 胸の内をぎゅうっと締め付けられるような感覚に、声が出そうになった。手を当てて、歯を食いしばって感情が漏れ出るのをどうにかしてこらえる。

 灯に会いたい。

 ずっと願っていることを、ひときわ強くそう思う。

 絶対に灯に再会する。それだけを決意して立ち続けた。

 何も終わったわけではない。ギフトタグはコーエンの手に渡ったが、拘束されるなどの事態にはならなかった。何をしてでも脱出するという思いに変わりはないのだから、次の手を考えればいいだけだ。

 と、頭ではわかっているのにどうしてだか気力がわかなかった。精神的な疲れが非常に大きく、何かを考えるということすら億劫になってしまっている。


(灯がいない……)


 トーイロスに来てから、何度確認したのかわからないことを内心で繰り返す。こんなに長く灯と離れていたことなんてない。ノエルと仲良くなって、色々あったがそれほど気にしなくなってきたのに。


「……違う」


 ぼそりと口の中でうめく。

 気にしないなんてことはありえない。灯のことは、いつだって頭の中にある。

 今すぐ灯に会いたい。顔を見て、声を聴いて、安心したい。自分の居場所はここなんだって確信したい。

 日本にいた時は、灯に会えるから何かあってもなんとかなった。同じ世界に灯がいるから、生きてこられた。

 灯は同じ世界にすらいない。生きてはいても、会える確証がない。

 こんなところで何をしているんだろう。早く脱出して、ギフトタグを取り戻して、なんとしてでも灯に会いに行く。

 そのために、できることはなんだってする。


(……あそこを開けさせるのには、よっぽどのことをしないと)


 ちょうど視線の先に、玲香がいた。規則正しい寝息を立てている玲香をじっと見つめて、どうするのが一番いいのかを思考する。

 どんなことをしてでも、ここから出る。

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