第48話 ない
おかしいと気づいたのは、起床してすぐの着替えの時だった。
由流華は普段靴下の中に隠しているギフトタグが見つからないように、履き替えるより先に新しい靴下の中に隠し直している。
いつも通りの動作の中、由流華の動きが止まった。
一気に鈍い汗をかいて、靴下の中を探る。あるはずの手ごたえが存在しないことが信じられずに、自分が寝ていた布団を見下ろす。寝ている間にどこかにいってしまったのだろうか。
いや……
「由流華?」
ののが不審そうに声をかけてくる。
大丈夫と手つきで返す。今布団をあさるようなことをすれば、それこそ何を言われるかわからない。
小春も心配そうな目つきで由流華を見ていたが、返す余裕もなく寝室を出て朝食を摂る。
朝食の間もずっと気がかりが頭から離れず、ちらちらと寝室の方を見てしまう。
(寝てる間に落としちゃった、のかな……)
他の可能性も考えられず、すがるようにそう推測する。
今日は洗い物の当番になっていたが、小春に代わってもらった。小春も何かを察していたか、二つ返事で了承してくれた。二人一組の当番のもう一人は玲香で、未那は洗い物を手伝うわけでもないが玲香の傍で話している。
寝室にさっと戻り、自分の布団をひっくり返す。かび臭い匂いがむせかえるが、気にせずに布団をあさる。
ない。何も見つからない。
「なにやってんだ?」
声にばっと振り返る。
眉根を寄せた幸恵が、不思議そうに寝室に入ってきた。
思わず幸恵の背後を観察する。幸恵の後ろには誰もいない。誰かにこの話を聞かれる心配も――
ふと眩暈を感じて、頭を押さえる。ダメだ、考えがまとまらない。混乱して、まともに思考ができないでいる。
はぁ、と重く息を吐く。そうしようとしたわけではないが、一人で抱えても何も解決しない。三人で話すからこその意味を、昨日感じたばかりのはずだ。
それでも重たい気持ちで口を開く。
「なくなった」
「は?」
幸恵は深く顔をしかめて、腕を組んで問い直した。
「なにがなくなったって?」
「ギフトタグ。寝てる間にどっかいっちゃったのかと思ったんだけど……見つからない」
ひっくり返した末にぐちゃぐちゃになった布団を示して、小さく答える。
幸恵は一瞬呆けたような表情をすると、さっと振り返って寝室を出た。
え、と今度は由流華が呆けたが、すぐに幸恵の怒鳴り声が響く。
「お前か!」
「……っ」
面喰って、慌てて寝室を出る。
洗い場で、幸恵が玲香に食って掛かっていた。
「お前がやったんだろ――この、くそ野郎!」
「何? 意味わかんないんだけど」
言い返しながらも、玲香はひどく戸惑っていた。
小春も突然の出来事に驚いている様子だったが、由流華が来たのを見て説明を求めるような視線を向けてくる。
「とぼけんじゃねえよ。お前以外誰が……」
「いい加減にしてよ!」
ひときわ大きい声で叫んだのは未那だった。
地下室中に響き渡るような大音声に、全員がぴたりと静止した。玲香ですら表情を固まらせている。
全員の視線を集めた未那は、鋭い眼差しを幸恵に向けて言い募った。
「あんたたちがなにしようが勝手だけど、こっちに当たらないでよ! 未那たちの邪魔をしないで! あんたたちのことなんて玲香も未那もなんも興味ないから!」
あまりの剣幕に、地下室の中が一息で沈黙した。息を荒らげる未那に全員が――玲香ですら――注目する。
その視線が、不意に由流華に向けられた。
獣を思わせるような必死な怒気を感じて、息を呑む。由流華の脳裏に未那とした約束が思い浮かんだ。
未那は玲香の腕をつかみ、寝室まで引っ張っていった。それと入れ替わりに、ののが難しい顔をして歩いてくる。
「なにしてるの? もめごとは勘弁してほしいんだけど」
「あいつらが――!」
「幸恵」
「んだよ!」
小春の静止にも噛みついて幸恵は、落ち着かなくあちこちを見回す。
どうしようと思っていると、ふと笑い声が聞こえた。小さいが、はっきりと耳に障るような声だった。
鉄格子の向こうで、コーエンがにやにやとこちらを眺めていた。目が合って、嫌悪感から目を逸らす。こちらのもめごとを楽しんでいるのかと思うと不快だった。
「……?」
違和感を覚えて、いやいやながらコーエンの方に再度目を向ける。コーエンが手に何かを持っていたような……
もう一度向けた視線の先、コーエンの手には由流華の靴下の中にあったはずのギフトタグが握られていた。
「……っ!?」
鉄格子まで駆け寄り、隙間に手を突っ込む。そうしたところでコーエンには届かない。コーエンは安全な距離からにやけた笑みを深くした。
「なんで……っ!」
「これで脱出でもするつもりだったのか? 残念だったな」
「返して!」
「返すわけないだろ。バカなのか?」
コーエンは呆れたように言い捨てて、ギフトタグを仕舞って腕を組んだ。
どうしてコーエンがギフトタグを持っているのか、まったくわからない。混乱するまま、とにかくがむしゃらに手を伸ばす。
全力で身体強化を入れて、鉄格子を掴む。どう動かそうとしても、鉄格子はぴくりとも動かない。
コーエンはそんな由流華をにやにやと眺めていたが、少しして飽きたように息を吐いた。
「じゃ、せいぜい頑張ってそこで暮らせよ」
「うるさい!」
鉄格子に拳を叩きつける。がしゃんという音が空しく響き、現実を拒絶するように繰り返し拳をぶつける。手はすぐに痛んだが、それも無視して繰り返す。
どんどん力が抜けていく。全身を苛む無力感に気力を奪われ、鉄格子の前で座り込んで項垂れる。
「……由流華? その」
後ろから小春が気まずそうに声をかけてくる。
言葉を返す気力もなく、動くこともできずにうずくまり続けた。
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