第45話 身体強化魔法と属性魔法⑤
さらに数日が経った。
状況は何も変わることもなく、日常の様々な部分で慣れを感じ始めてきている。食事のリズム、日々の掃除、それらが日常として自分に刻まれていく感覚が由流華の焦燥を強くしていた。
焦ったところでどうにもならない。それはわかっているのに、内心にわだかまるものが大きくなっていくのを感じる。
「由流華?」
「え?」
名前を呼ばれたので返事をすると、小春と幸恵の訝る眼差しがあった。
「なにぼけっとしてるんだよ。大丈夫か?」
「大丈夫……それで、なに?」
適当に応じて聞き直す。
いつも通り、魔法の練習をしている。コーエンは姿を見せていないし、ののも変わらず本を読んでいる。他の二人は、それこそいつも通り寝室だ。いつの間にかこの3グループの居場所が決まっていたかのようだった。
小春が指をくるりと動かす。コップに入っていた水がすべて浮かび上がり、鈍い動きで帯状になりながら円を描く。軽くやっているようだが、小春の表情には力が入っていて精一杯の力を込めていることが分かる。
小春はコップを水に入れ直して、ふぅと一息をつく。得意げな顔を由流華に向けて、
「どう?」
「すごいと思う」
すごいとは思うのだが、実際にどれほどのものなのかその基準を由流華は知らない。由流華自身は属性魔法を使えないし、唯一見た見本はノエルのものだけだが、軽い手本を見せられただけなので本気を出していたらどうなるのかはわからない。
だから、小春の魔法がどれぐらいのレベルなのか由流華には判断ができない。由流華がわかるのは、ノエルに聞いた属性魔法の段階だけだ。
小春は嬉しそうに笑って、それで、と身を乗り出した。
「第二段階ってやつ、いけるかな」
「どうだろう……」
曖昧に応じて、ノエルの話を思い出す。
属性魔法には三つの段階があるとノエルは話していた。一つ目は小春がやったように実際に存在する属性を操作すること。これは属性魔法の初歩で、できるようになれば操作できる属性を増やしたり操作できる総量を増やしていくようにしていく……のだったか。水だけではなく、火や土、風や光などの目に見えないものも操作できるようだ。小春の場合は、地下室に水以外に都合の良い属性がそもそも存在しないため水の操作に集中していた。光に関してはやってみようとはしたがよくわからないと諦めてしまった。元からできない由流華にはアドバイスのしようもない。
そして属性魔法の第二段階。それは属性を作り出すことだ。
何もないところから自分の魔力で水を、火を、属性を生み出すのが第二段階だ。ノエルから魔法を教わった時、ノエルは指先に水を作り出していた。こともなげにやっているように見えたが高等技術らしい。
確かノエルは……
『属性魔法の第二段階はものすごく難しいんだよ。操作するのと生み出すのでは感覚がまったく違うから、できるようになるのに何年もかかる人も珍しくないしね』
『あたしはそもそも最初のもできないんだけど……』
『属性魔法はできるできないがハッキリしてるからね。身体強化みたいに、本当に誰でも使える魔法ってわけじゃない。ずっと頑張ればひょっとしたらできるようになるかもしれないけど』
ノエルはさっと指を一つ立て、指先に水を生み出した。
『こんな風に生み出せても、最初から水筒なりなんなり持ってけば事足りるからね。操作だって出力が低いうちはそこまで扱えないよ』
『いらないってこと?』
『そこまでは言わないけどね。本気で極めてる人はめちゃくちゃでかい火の玉出してきたりするし、地形を一瞬で変えちゃったりとかね。属性魔法は伸ばしにくいし、まずは身体強化を身に着けないと生存率にも関わるからそっちが優先される傾向があるってだけ』
『ノエルもそうやって覚えたの?』
『うんまあ、そうかな。最初に使えるかを判断して、でも身体強化が最優先って言われてそっちを伸ばした。属性魔法はむしろ最近練習を始めたまであるよ。使えれば役に立つところは全然あるけどね。なにより』
『……?』
『属性魔法は魔法っぽくてカッコいい』
にかっと笑うノエルに、そんなものかなとなんとなく頷いたものだったが。
少し余計なところまで回想してしまった。属性魔法の話はノエルからもあまり聞いてはいない。由流華が扱えなかったのもあるだろうし、宣言通り身体強化の練習を中心にやっていたからだ。
第一段階の操作も、ノエルに言われたことをそのまま小春に伝えただけに過ぎない。第二段階に至っては、やりかたのとっかかりすら知らない。
つまりは。
「ごめん、第二段階はあたしもよくはわからないの。すごく難しいってあたしに教えてくれた人は言ってたけど……」
「そうかー」
小春は別段がっかりした様子もなく、指を立ててむんと気合を入れ始めた。
何も起こらないまま十秒ほど経って、ふぅと手を降ろす。
「水とか出せたら便利なのにな」
「いらないだろそんなの」
幸恵が呆れたような半眼で断言した。
「動かせるのもそれぐらいなら、出せてもたかが知れてるだろ。蛇口ひねった方がよっぽど良い」
「それはそうだけどさ」
幸恵の口調を和らげるように、小春の口調はひどく柔らかい。正反対そうにも見える二人だが、小春は幸恵に不満がありそうではないし、幸恵も小春には話しやすそうにもしている。いいコンビ、というのだろうか。
でもさ、と小春が続ける。
「出せるのも水だけじゃないわけじゃない? たとえば、火とかも出せるんじゃないかな」
「火?」
「うん。ここには火はないし、出せたら便利じゃない?」
「火なんて出してどうするんだよ」
「たとえば――ここを燃やしちゃうとか」
いつもの口調で、小春がそんなことをさらりと言った。
そのせいで、由流華も幸恵も反応が遅れた。幸恵の方が由流華より現実への復帰が早く、顔をしかめる。
「……燃やしてどうすんだよ」
「変なことするわけじゃないよ。それぐらいはしないと、扉も開かないんじゃないかって話」
「だからって燃やしたらこっちが死ぬだろ」
「そうだけどね。でもそろそろちゃんと考えなきゃいけないと思うんだ。脱出のための、いろんなこと」
小春の口調は変わらないのに、強い意志を感じる。
由流華だけではなく、他の人だって焦りがある。実際のところ、準備がろくに進んでいるわけではない。ギフトタグの検証もまだできていないし、魔法の練習だけはしているが具体的な方策は一切話が進んでいない。
幸恵は姿勢を変えて胡坐から片膝を立てた。
「わたしも気にしてることがあるんだけど、由流華、いいか?」
「え、何?」
いきなり水を向けられて思わず居住まいを正す。
幸恵はそんな由流華に良いからという風な手つきをすると、話をつづけた。
「わたしが気になってるのは、出た後だよ」
「出た後?」
「扉を開けて、コーエンもうまくぶちのめしたとする。そのあと上に行ったらが心配なんだよ」
「……どういうこと?」
「上はエンリケのギルドだろ? 仲間がいたりしたら結局出られないじゃねえか」
「そう、だね」
それは考えてはいたが、後回しにしていたことだった。
みんなはここからの脱出を目的としているわけだが、由流華はエンリケから灯のギフトタグを取り戻すというのが一番の目的ではある。脱出してから警察かなにかを当てにすればいいのかもしれないが、由流華は一秒でも早くこの手に取り戻したい。だから、エンリケとの対峙は避けられないだろう。
超えるべき問題が多すぎるので、どれから考えるべきなのかはよく混乱する。特にリーダーのような存在がいるわけでもない三人では、話もあっちこっちも飛んでしまうこともある。もっと効率よく、と思ってもどうにもならないままだ。
「それで、一つ訊きたいことがあるんだ」
「なに?」
「身体強化で、耳ってよくできるか?」
「……え?」
だからよ、と若干前のめりになって幸恵が説明する。
「身体強化で耳をよくできればさ、上の様子を聞けたりとかしないかなって思ったんだよ。やってはみたけど、よくはわかんなくてさ。由流華ならこの中で一番できるわけだし、そういうのわかんないか?」
「やったことない、けど……」
瞬きをしながら、言われたことを検討する。
ノエルから学んだのは、走る力や体の頑丈さ、力などの戦うための身体強化だ。本当に基本的なことだけで、応用的なものは何一つ教わっていない。
耳、つまりは聴力を上げることができるかと問われれば、わからないとしか言えない。やったこともないし、教えられたこともない。
やってみよう、と意識を集中させる。どういうイメージで行えばいいか検討していると、不意に肩を叩かれた。小春だった。
「今やろうとしてた?」
「う、うん」
「視力とか、別で試してみた方がいいんじゃないかな」
気まずげに言いながら、視線を寝室の方にずらしていく。
寝室の中には玲香と未那がいて、なんていうか……多分いちゃついている。聴力を上げるということは、それを鮮明に聞き取るということになってしまう。
小春の気遣いに感謝して、視線を彷徨わせる。本棚がちょうどいい距離だったので、こちらで試してみることにする。
判然としない背表紙にしばし集中して、違う、と気が付く。集中するのは本そのものではなく、自分の目だ。
身体強化をありったけ目に込める。実際にそうできているのかははっきりとしない、単なるイメージだ。目に力を込めて、視力が上がることをイメージする。
ふと、視界がぼやけた。混乱しかけた視界でピントが急に合い、背表紙の文字が読み取れた。
少しその状態を保ち、目をぎゅっとつむって目への身体強化を解除する。慣れないことをしたからか、妙な疲れを感じたが達成感もあった。
単純に身体能力を上げるものだと漠然と考えていたが、こうして視力を上げることができた。
そうなると。
「どうなんだ?」
焦れた幸恵が急かして問いかける。
由流華は二人に向き直って、こくりと確かに頷いた。
これなら、きっと聴力も上げることができる。
問題が一つでも解決に向かっているという手ごたえは、なによりも求めていたものだった。
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