第44話 エンリケ・アズファイア④
ダイアナをギルドの外まで送って自室に戻ったエンリケは、椅子に座り込んで深々と溜息を吐いた。
「なんなんだ本当に……」
ひどく気持ちがささくれたっている。突然のダイアナの訪問は、エンリケを激しく動揺させていた。
転生者保護施設に縁のないエンリケはダイアナの顔も名前も知らなかった。転生者保護施設の職員と言われた時は、動揺が顔に出ていないかとかなり慌ててしまった。
用件は転生者の受け入れの意思があるかの確認だったということで、話しながら少しずつ安心していた。ショートカミングでは正式なメンバーを増やす気はもうない。収支が釣り合わなくなってしまう。冒険者なら受け入れる余地もあるが――いや、それはいい。
問題は、ダイアナが耳飾りに言及したことだった。
エンリケは確かに由流華のギフトタグを装着して都市を歩いたりしていた。思えば完全なる油断だった。どうしてあんなことをしたのか、当時の自分を怒鳴りつけたいぐらいだ。
「問題は……ないはずだ」
自分に言い聞かせるようにつぶやく。
由流華を馬車に乗せたときに、いきさつはおおむね話させている。由流華の耳飾りがギフトタグだと知っているのは本人とノエル、そして灯の母親だけだ。あの誤魔化しで十分話は通るだろう。万が一のために弥生にも話を合わせるように指示しなければいけないか。
由流華をギルドハウスに連れていく際は人目につかないように細心の注意を払った。が、当然都市の人間すべてに見られないようになどできるわけがない。ダイアナの顔すら知らなかったエンリケが、あの時目撃されたかどうかなどわかるわけがない。
いや、と首を振る。もしあの段階でダイアナが見ていたのならもう少し違う接触になっていたはずだ。ダイアナの目的自体はっきりとはしない。本当に転生者の受け入れに関するアンケートだけならこの上なく楽なのだが、そういった楽観もしづらくなっていた。
ダイアナは由流華のことを名前すら口にしていない。耳飾りの話をしていた時はただ気が抜けているという風にしか見えなかったが、それがブラフではないとも言い切れない。
いっそのこと、ダイアナをさらって始末することも視野に入れる必要があるのかもしれない。
「――ダメだ」
思い付きを振り払うように激しくかぶりを振る。
ダイアナが消えれば不都合が大きくなる。転生者を気兼ねなくさらっているのは、ギルドに所属もしていない転生者がいなくなっても誰もそのことにすら気づかないからだ。トーイロスの人間をさらうのはリスクが格段に上がる。ダイアナが冒険者であるのなら絶域で闇討ちすることも考えられるが、そうでなければチャンスすらない。
落ち着け、と自分に言い聞かせるたびに鼓動の高まりを自覚する。全身に鈍い汗をかきながら、思考を続ける。
由流華の不在はきっとそのうち落ち着く。なにしろいるのはこのギルドハウスの地下だ。見つからなければ次第に誰も気にしなくなる。転生者施設に新しい転生者が来ればダイアナもそんなこと忘れてしまうだろう。
ノエルの死はいずれ知られることになるだろうか。こちらに関してはエンリケは関与していないことなので気にする必要はないだろう。ノエルと由流華が行動を共にしていた証言は出るだろうが、肝心の由流華が見つからない限りどうにもならないはずだ。
「それなら……大丈夫か」
確かめるように独りごちる。
そうだ、由流華さえ見つからなければ何も問題はない。由流華が地下から出ることはないし、誰かがギルドを怪しんだとしても突っぱねればいい。
これ以上は考えるのをやめることにして、視線を転じる。
エンリケ自慢のギフトタグのコレクションがある棚だ。これを見ているだけで大きい満足感が胸にしみわたる。どんな精神状態になろうとも、ギフトタグを見るだけでリセットできる。
満足の息を吐いて、ギフトタグに手を伸ばす。触れると余計に笑みがこぼれる。
由流華の持っていた耳飾りは都市ではつけない方がいいだろう。万が一を考え、絶域の探索の時だけつければいい。
しばらくギフトタグに触れ至福の時間を味わっていたエンリケだったが、不意にそれが破られた。
ドアがノックされる音に、エンリケはゆっくりとギフトタグを戻した。
「どうした?」
「俺だよ、エンリケさん」
言いながらドアが開かれる。開けてもいいと言っていないのに勝手なことをされて、せっかく整えたエンリケの精神がまたよどむ。
入ってきたのはコーエンだった。盛大に舌打ちしたい衝動をこらえて、繰り返し訊ねた。
「なにか用か?」
「ああ、用……そうだな」
要領を得ない返事をしながら、焦点の合わない目を部屋の中に彷徨わせている。匂いからも、酒が入っているのは明らかだった。
コーエンは媚びるような眼差しをエンリケに向けた。
「酒、切れちまったんだ……頼むよ」
「わかった。買ってこさせる。話はそれだけか?」
「いや……」
否定するのだが、それ以上は何も言ってこない。普段は酒さえ与えていれば何も言わない男だが、なにかあるのか。
はっきりと面倒を感じながら、とりあえず別の話を振ってみる。
「彼女たちはどうしている?」
「彼女たち?」
「地下室のことだ」
ほかにあるか? という意志を込めて苛々と付け足す。
コーエンはエンリケの苛立ちをわかっているようにいやらしく笑うと、こくこくと頷いた。
「なんもかわらないよ。新入りもグループに入ったみたいだ。みんな大人しくしているよ」
「そうか……」
良かった、と内心で胸をなでおろす。由流華が他の子たちと打ち解けられたのなら、うまくやっていけるだろう。
しかし本題はそこにはない。コーエンの用件が分からない限りはこの不快な会話も終わることがないのだ。
「君が見てくれているから僕も安心してギルドの仕事をしていられる。助かっているよ。礼というわけではないが、今日は少し良い酒に……」
「助かってるか」
「? ……ああ」
「じゃあ、少し礼が欲しいんだけどよ」
「だから良い酒を」
抗弁しながらも、別のことを話しているのはわかっていた。
コーエンは本来ならこんなに大きい態度をとれる存在ではない。もろもろのことを考慮したところで、どれだけ叩きのめしても問題ないといえる。電撃のギフトタグを預けているとはいえ、戦えばどうやっても後れを取ることはない。
だが、最大の問題はコーエンがバカであり、その自覚もあることだった。
コーエンはにんまりと下卑た笑みをたたえて、覗き込むように要求を口にした。
「俺にも女が欲しいんだ」
「……は?」
何を言っているのかが本気で分からなくて、ついきょとんと聞き返す。
だからよ、とコーエンは繰り返した。
「女だよ。いつも若い女を見てるだけっていうのはあんまりだと思わないか? エンリケさんも兄貴も女がいる。俺にだけいないのは不公平ってやつだ。このままじゃ我慢できなくなっちまうよ」
(なにが我慢できなくなるだ。自分の欲求も制御できないのか!?)
と怒鳴りつけたい衝動をどうにかこらえる。
あまりにもふざけた、といか低次元の要求に眩暈すら感じた。コーエンの話は、検討にも値しない。
こめかみを揉んで、どうにかコーエンに応じる。
「悪いがそれには応えられない。地下室の彼女たちはだれだって外に出すわけにはいかないし、娼館ギルドからここに呼ぶというわけにはいかない」
ごくごく当然の道理を述べたつもりだったが、コーエンははっきりと不満を示した。
「それぐらいなんとかしてくれよ。エンリケさんならうまいこと思いつくだろ」
「言っただろう。簡単な話じゃないんだ。酒なら持ってくるから……」
「兄貴、いつ帰ってくる?」
コーエンが切り札とばかりににやにやと言葉を突き付ける。
実際にそれは切り札だった。エンリケが即座に言葉を返せなくなるほどには。
コーエンへの眼差しが強くなる。ほとんど睨みつけているのだが、コーエンのにやけ面にはいささかの痛痒も感じられない。
長い間視線を交えて、エンリケは根負けして溜息をついた。
「……考えておく」
「頼んだぜ」
エンリケの肩を気安くぽんぽんと叩き、コーエンが部屋を出る。
口汚くコーエンを罵りあたりのなにかを蹴り壊したい衝動をこらえるのは、かなりの精神力が必要だった。
「……くそが」
おさえきれなかった罵倒が漏れる。
コーエンはいまやショートカミング最大のガンだ。地下室の監視に人材は欲しかったが、そんな働きが余裕で消し飛ぶほどコーエンは害しかない。
仮にコーエンの要求を呑んだとしても、それでおとなしくなるとも思えない。むしろその女にもべらべらと必要のないことを話す可能性すらあるし、さらなる要求を重ねるに違いない。
コーエンは質の悪いチンピラそのものだ。このギルドのもう一人の冒険者の頼みで匿っているというのに、当の本人はそれを強みであると誤った解釈をしている。
しかし泣き所を押さえられているのも確かだった。本来は適当な雑用だけ任せるつもりだったのに、地下室のことがバレてしまったことが悔やまれる。
なんとかしてコーエンを始末しようというのはこれまで何回考えたかわからない。どううまく処理できたとしても、結局はもう一人の冒険者の存在が壁になってしまう。考えるだけ無駄だとわかっていても、どうしても考えてしまう。
コーエンだけでも頭の痛い問題だったが、ダイアナの行動も気にかかる。
ショートカミングの存続のために、なんとしてもどうにかしなければいけない。
(ダイアナ、彼女を……いや)
思い付きをゆるやかに否定する。
今は考えてもうまくいきそうにない。絶域で身体を動かして、少しはすっきりして冷静になろう。そう考えて、ギフトタグをいくつか手に取る。
ギフトタグを装着すると、安心感が身を包む。
これだ、と微笑む。この幸福のためになら、なんでもできると思えた。
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