第42話 ダイアナ・アルレイド②

「ショートカミング」


 つぶやいたギルド名が、他に人のいない空間にぼんやりと溶けていく。

 ダイアナは頬杖をついて、自分が見たものを思い返していた。


(あれはユルカがつけてた耳飾りだった……と思う)


 先日見かけた青年の耳につけられていたもの。数日とはいえ一緒に暮らしていたダイアナには見間違えようがなかった。個性的なデザインというほどのものではないが、さすがにあそこまで一致していると疑いようがない。

 由流華の友達がつけていたという耳飾りは、向こうの世界のもののはずだ。転生者と同じものをあの青年がつけていたとは考えにくい。


(……ってのも言い切れないか?)


 首をひねって内心でうめく。

 あの青年は転生者には見えなかったが、向こうの世界で売っているものなら同じものを他の転生者が持ってきていて青年の手に移った可能性だってないとはいえない。ないとは言えない程度の話ではあるが、あれを由流華の存在とどう結びつけるべきかがまだわからない。

 由流華がひょっこりと施設にでも顔を見せてくれたら話が早いのだが、そんな気配もない。

 ノエルと一緒に仕事に行ったのなら、本来は心配する必要はまったくない。ラプトの中なら、どんな危険があろうとノエルがいれば乗り切れる。彼女はこの国で最強の冒険者だ。そのことに異論を叩きつけられる者は、少なくとも彼女の前ではいないだろう。

 単に観光かなにかで遅くなっているだけで、そのうち都市に姿を現すはずだ。そうすれば、ダイアナの余計な心配もする意味はなくなる。


(余計な、か)


 机の上に広がっている書類を見下ろす。今日は主にこの書類を作成していた。

 この書類は、本来なら必要のないものだ。なくても誰も困らないし、作るのもそれなりに面倒になる。

 それでも作られているのはこれまでも作られてきたからにすぎない。おそらくダイアナの前の職員だって、なくても困らないと思ったことだろう。そして、ダイアナと同じことも思っていたはずだ。


「時間が潰せるからね」


 自嘲にもならない心地でうめく。

 この施設の職員は、転生者がいなければ暇な仕事だ。なくしても困らない仕事でも、実際になくなくなれば暇という形でダイアナを困らせることになる。仕事のための仕事だ。

 なにかしらの情熱をもってこの仕事に就いたわけではなかった。ただの成り行きで、その時にポストが空いていただけに過ぎない。思った以上に暇が多く、余計なことを考えるを得なくなる仕事だった。

 転生者は身元もなく、ギルドに未所属であればいなくなっても誰も探すことはない。生死不明のままいなくなる冒険者の話なんて珍しくもなんともないが、少なくとも身内は探しはする。

 考えれば、自分も似たような存在かもしれない。ダイアナはれっきとしたトーイロスの人間だが、特別友達もいないし、家族も同僚も存在しない。仮にダイアナが行方をくらませたとしても、しばらくは誰も気づきもしないかもしれない。

 転生者だけが特別ではない。この書類仕事と同じように、いなくなっても気づかず困らない人間なんてどこにだっている。


「……んー」


 机を指でとんとんと叩いて、天井を見上げる。

 暇が高じるとろくなことを考えない。暇つぶしの仕事に集中するにも限界があり、今日はもうすべてを投げ出そうかとすら思い始めている。

 よし、と机に手をついて立ち上がる。思い立てば、いつまでも座ってていてもしょうがない。

 外出中の札を受付に置き、施設を出る。あてもなく歩いていたはずだが、足は一つの行先を目指していた。


「ショートカミング」


 また独り言ちる。

 立ち止まるのも不自然なために、そのまま通り過ぎる。

 ショートカミングは、ごくありふれた小規模の冒険者ギルドだ。冒険者登録をしているのが二名、事務員として登録されているのが二名の計四名。メンバーの募集は行っておらず、活動にも妙な点のない本当に普通のギルドといっていい。

 ギルドの情報はすべて中央ギルドが取りまとめている。気軽に閲覧できるものではないが、転生者を紹介する関係でダイアナは比較的自由に情報を得ることができる。

 ショートカミングの事務員の一人は転生者だった。どういう経緯で加入したのかはわからないが、身内のみで固めているギルドというわけではないのだろう。

 ギルドハウスを通り過ぎた足を止め、少し迷って踵を返す。

 今度はショートカミングの前で立ち止まった。ギルドハウスもごく普通だ。四人で過ごすにはやや大きく、レンタルだとすれば支払いがやや大変かもしれないが。


「……これも仕事」


 言い訳するようにつぶやいて、ノッカーを鳴らす。

 一分ほど経っても反応はない。もう一度鳴らすか、帰るか。

 約束があるわけでもないかと諦めて帰ろうとしたダイアナの前で、ドアがゆっくりと開かれた。


「何か用でしょうか?」


 出てきたのは、先日見かけた赤毛の青年だった。今は――あの耳飾りをつけてはいない。

 ダイアナが見つめるのを咎めるように、青年は明らかに不審そうに目を細めた。


「道にでも迷いましたか」

「い、いえ……そうではないです」


 慌てて返事をする。目当ての青年が出てきたのに動揺してしまっては意味がない。

 ダイアナは軽く呼吸を整えて、精いっぱいの微笑みを浮かべた。


「このギルドのお話を聞かせていただきたいのですが」


 青年は「はあ」と曖昧な返事をしてダイアナへの不審を隠そうとはしない。

 勢い任せの行動に内心では自身への叱咤が溢れていたが、表面上は余所行きの微笑みを維持して青年を見返し続けた。

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