第41話 エンリケ・アズファイア③

「これ以上は増えないよな?」


 リンダがすごむように言って部屋に入ってきたとき、エンリケは書類仕事をしているところだった。

 書類の上にペンを置いて、溜息交じりに応じる。


「入ってくるなり何の話だ」

「あいつらだよ。まだ増やす気なのか?」


 リンダの何のことを話しているのかは、下に向けている指を見ないでもわかった。

 ふむ、と顎に手を当てる。少しは考える時間を稼ごうとした仕草だったが、リンダはそれすらも気に障ったようだ。吐き捨てるようにして言ってくる。


「即答しないってことは増やすつもりってことか」

「そうは言ってない。増やそうとして増やせるものでもないからな」

「あいつらの分の食事を誰が用意してるかわかってるか?」


 エンリケの言葉を遮って、リンダがイラついたように声を荒らげた。


「毎日毎日六人分三食作って、たまに服変えたり本すら入れ替えたりなんなんだよ。下手な囚人より良い生活させてんじゃねえのか?」

「彼女たちは囚人じゃない。可能なだけはちゃんとした生活を……」

「地下に閉じ込めて何がちゃんとした生活だ」

「……そこを突かれると痛いが」


 苦笑いして目を伏せる。

 閉じ込めてはいるが、エンリケとしては地下室の彼女たちにはできる限りの敬意を払いたいとは思っている。彼女たちはギフトタグを生み出した存在であり、そのおかげでエンリケは様々なギフトタグを手元に置けている。

 彼女たちが死ぬようなことがあればギフトタグは消えてしまう。だから少なくとも健康状態は維持する必要があるわけだが、そうでなくてもなるべくは生きていてほしいとは思う。

 みんながみんな弥生のように物分かりが良い転生者ばかりではない。そのことを知っているエンリケとしては、これは仕方のない措置だ。

 だが、リンダのいうことももっともではある。人数が増えれば負担も増える。帳簿には載せられない出費も増える一方であり、ゆるやかにギルドを圧迫しているのも事実だ。

 リンダがこうして文句を言ってくるのも初めてではない。たまに起こるガス抜きのようなもので、一通りが済めばある程度は満足してまた仕事に戻る。問題があるとすれば、その頻度が少しずつ増えていることだろうか。

 手元の書類の中から、メモ書きを拾い上げる。

 そろそろこれを使うかと、リンダに視線を戻す。


「店をやろうと思う」

「……は?」

「飲食店だよ。やりたがってただろう?」


 リンダは元冒険者で、今は絶域には一切足を踏み入れない。危険なことからは離れたいと思う冒険者は一定数はいるが、リンダはその一人だった。そういう人種が考えることはパターンが決まっている。平和に事務職をするか、店を構えたいと思うかだ。

 リンダは後者だった。料理の腕を磨いていて、エンリケも試食に付き合うことがある。そこそこの味、というのがエンリケの評価ではあるが。

 エンリケはメモ書きをリンダに見えるようにした。そうしたところでよくはわからないだろうが。


「このギルドの収入源はあいつに依存している部分が大きい。僕の稼ぎは微々たるものだからね、他に収入が欲しいとは常々考えてたんだよ。黒字でなければ意味はないが、やる価値はある。そこで余る食材を地下室に回せばいい」

「…………」


 リンダは疑わし気な眼差しを向けている。エンリケを疑っているわけではなく、本当に自分がやれるのかを考えているのだろう。かすかに瞳に期待が揺れているのを見て取って、エンリケは内心でほくそ笑んだ。


「君の料理は上手くなってきてる。もう少しで、店として出せるレベルにはなるだろうな。弥生も加われば盤石だ」

「……本当にやっていいのか?」

「もちろんだ。ただし条件がある」


 指を一本立てる。リンダははっきりと眉をしかめて、急かすように睨みつけてくる。

 いったい何を言われると思っているのか、と内心で苦笑を押し隠して条件を口にした。


「店に関してはすべて君と弥生で決めること」

「……それだけ?」


 困惑した様子でリンダがうめく。


「てかそんなの当たり前だろ。お前が料理出すわけじゃないんだから」

「頼もしいな。言っただろう、黒字でなければ意味がない。どうすれば黒字になるのか、ちゃんと計画を立ててほしいということだ」

「やるからには黒字にするよ」

「それをどうやって達成するのか目に見えるように計画してくれ。僕を納得させることができれば計画を進める」

「……どうしろってんだ」


 腕を組み、イライラと指をとんとんとするリンダにさすがに笑いそうになった。

 ここで笑えばまた怒りかねない。苦労して抑え込んで、計画書の作り方を説明する。

 リンダは明らかによくわかっていなかったので、あとで見本を渡すということにした。


「できるだけ細かく作ってくれ。設備を用意する必要があるし、失敗すればギルドが破綻しかねない」

「わかったわかった。弥生と話してるから見本を早めに持って来いよ」


 リンダは手をひらひらとさせて、部屋を出て行った。

 しん、と静かになった部屋で細く溜息を吐く。

 地下室の問題は何も変わらないまま話をすり替えたが、リンダは見事にはまってくれた。これでしばらくは不満を逸らせるだろう。リンダは冒険者時代も現在も書類仕事は避けてきていた。そんな人物が最初からまともなものは作れないだろう。エンリケがチェックして、都度アドバイスをしながら作り直させればいい。


「店、か」


 実際にやってみるのは悪くはない。リンダに話した通りに他に収入が欲しいのは事実だ。

 とはいえエンリケも飲食店を作るために何が必要でどうすれば成功するのかなんてわかるわけもない。エンリケ自身にも勉強が必要になるだろう。

 エンリケもこの話に乗り気になってきていた。新しいことを始めるのは、こうもわくわくすることなのだろうか。

 しかしながら、懸念もまたいくらか存在する。

 転生者を増やすのも、このあたりが限界だろうとエンリケもわかっている。地下室の広さの問題もあるが、人数が増えれば増えるほど問題も増えていく。

 だが、それでも、エンリケはまだギフトタグが欲しかった。

 持ち主不明のギフトタグが売りに出されていることはあるが、偽物だったり非常に高額だったりとなかなか手が出せない。大体が違法な闇市での売買になるので、下手に足を踏み入れるのはそれだけでリスクがある。

 理性はここで止まるべきだと言っている。個人ではそれなりの量のギフトタグを所持しているのだ。ここで満足すれば、これ以上のリスクを冒さずに人生を送れる。

 そうわかっているのに、もっとギフトタグが欲しかった。極端なことを言ってしまえば、この世界に存在するすべてのギフトタグが欲しい。それが不可能なことなのは理解していても、できる限り近づきたいと思ってしまう。

 この動物的な欲求に、逆らえないだろうともどこか諦めている自分がいる。きっとまた機会があれば同じように転生者をさらいギフトタグを手にするだろう。

 決して破滅を招くことがないよう、より慎重にならなければいけない。

 と、ノックの音がした。


「ちょっといい?」

「ああ」


 弥生の声だった。エンリケが承諾すると、静かにドアを開けて弥生が入ってくる。

 弥生ははにかんで媚びるような眼をエンリケに向けた。


「リンダに聞いたの。お店やっていいって」

「ああ……計画がきちんとできたらね」

「リンダはすごくはりきってる。もう書き始めてるよ」

「そうか。弥生が助けてやってくれ」

「うん、頑張る」


 エンリケが手招きすると、弥生は素直にエンリケの目の前まで歩いてきた。


「リンダの料理は悪くないが、弥生の協力がなかったらうまくいかないだろう。転生者の料理は受けもいいし、弥生もアイデアを出していってほしい」

「任せて。ありがとう、嬉しい」


 弥生が感情に任せたようにぎゅっと抱き着いてきた。エンリケは喜んで抱き返し、その温かさと柔らかさを受け入れる。

 弥生を抱きながらじっと見据えるのは、棚にあるギフトタグだ。

 このギルドはエンリケの城だ。多少我慢しなければいけないところはあるが、ほとんどが理想に近いと言っていい。それだけのものを費やしてきた。

 これからも理想が続くと思うと、エンリケの顔に深い笑みが刻まれた。

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