第39話 阿佐ヶ谷のの
「由流華、ちょっと手伝ってくれる?」
夕食も終わり、魔法の練習に入ろうとしたところでののにそういわれた。
「これから新しい本が来るから運ぶの手伝ってほしいんだ」
「うん、わかった」
「あと、いらない本も下げるから。それも一緒に」
大きいわけでもない本棚には、ほとんどスペースに余裕はない。ざっと見ても、百かそれに届かないぐらいの量だろう。
いらない本はあらかじめ決めていたのだろう、ののはすっと本を抜き出していく。
それらを積み重ねていきながら、ののは由流華に視線を向けた。
「読みたいのあったら残しておくけどどうする?」
「どんな本があるかもわからないし、大丈夫」
「ま、そっか。前も言ったけど、好きなの読んでいいからね。本は読むんだっけ?」
「……普通には」
日本にいたときは、学校の図書室から借りた本を読むことが多かった。本を読んでいると一時でもその世界に入り込めているようで、わずかな安堵を由流華にもたらしていた。灯に勧められることもあり(大体が漫画かライトノベルだった)、そういうものもなるべく読むようにしていた。
ここに来てからは、そんな気分にはなれずに読んではいない。
「他の子たちはあんまり本読むって感じじゃないんだよね。由流華はどんなの読むの?」
「そんなに好みがあるわけじゃないけど……写真集とか読んでたよ」
「写真集ってアイドルとかの?」
「ううん、キレイな海のとか、そういう風景の」
「ふうん、そういうの好きなんだね」
ののはぴんと来ないといった風に相槌を打った。
「そういう本はないんだよね。そもそも写真がないんじゃない? イラスト本ならあるかもしれないけど。入れておく?」
「……ううん」
かぶりを振る。遠慮というわけでもなく、そんな気分にはならないからだが。
なんとなく一冊を手に取って、ぱらぱらとめくってみる。ある冒険者ギルドの話のようだったが、実話なのか創作なのかはよくはわからない。
本棚に戻す。見ればののも本をぱらぱらとめくっていた。
「それはなんの本?」
「ん? 小説だよ。冒険者が絶域を攻略する話で、結構好きなんだよね。でももう何回も読んだしどうしようかなって」
「……そういうの、好きなんだ」
「そうだね。スカっとするやつが好きかもね」
ののが見せる横顔は、素直な笑顔に見えた。
由流華はまだののをどういう人間なのかよくわからずにいる。一番の古株で、ここの案内をしてくれたのもののだ。優しさを感じることもあるが、妙な冷たさを感じることもある。一定の距離でじっと観察されているような、そんな感覚に陥ることがある。
幸恵や小春もののに対してはよくわからないという感じだった。普通に話はするし、ぎすぎすしているわけではないが掴みどころがないと感じているようだ。
本をめくるののに、踏み込む心地で訊ねる。
「ののは……ここから出たいと思わないの?」
「どうやって?」
ののは由流華に顔を向けて、まっすぐに訊ね返す。
胸を衝かれたように詰まる由流華に、ののは続ける。
「出たいと思ったところでどうやって出るの? 出られる方法なんてあると思ってるの?」
「……あたしは、出るよ」
「魔法で?」
ののははっきりと嘲るような笑みを覗かせた。
「ちょっと見たけどさ、水を浮かせたり、少し力が強いぐらいの魔法で何ができるわけ?」
「……それは」
「玲香をボコれたところで鉄格子を開けられるわけがないし、コーエンに勝てるわけでもないでしょ」
「コーエン?」
不意に出てきた名前を繰り返す。
ののは嫌そうに顔をしかめて、鉄格子の方を見た。
「あいつだよ。いつも見張りやってるやつ」
由流華も見てみると、件のコーエンはテーブルに突っ伏して眠っていた。テーブルの上に並んでいるのは酒瓶だろうか。
脱出するために障害になる要素の一つとして忘れたことはないが、ああいう姿を見ていると勝つ勝たない以前にもどうにでもなりそうな気にもさせられる。
だが、コーエンは小春のギフトタグを持っている。仮にコーエンに戦闘能力がないとしても、あれを撃たれるだけでどうしようもなくなってしまう。
脱出に絶対に失敗できない。もし失敗してしまえば、どういう扱いを受けるかもわからない。ギフトタグが目的なら殺されることはないだろうが……
いや、と内心で首を振る。灯に会えない人生は、生きてても死んでいても何も変わりがない。
胸が微かに痛んだ気がして、そっと手を当てる。
「ののも、協力してほしい」
「私が?」
「あたしは絶対にここを出る。ののが協力してくれたら、成功率も上がると思う」
「…………」
ののが鋭く、射貫くような視線を由流華に向けた。まるで値踏みすような眼差しに、由流華は言葉を続けられない。
ののが浮かべたのは、軽い笑みだった。
「どうやって出るつもり? 誘うってことは相当良い作戦があるってことだよね。教えてくれたら考えてもいいよ」
「…………」
作戦なんて上等なものは、ない。あるのは破れかぶれに近い計画だけで、ののが言う相当良い作戦にはまったく該当しないだろう。
黙り込む由流華に、ののは優しく微笑んだ。優しげでも、ねっとりと絡みつくようなぞっとさせる笑みだった。
顔をすい、と近づけてののは囁く。
「なにもないんでしょ? 由流華は受け入れられないだけ。そのうち現実を思い知っておとなしくなるよ。力も、頭もない、そんなんでどうにかなると思ってるの?」
「どうにかするよ」
「できない。ちゃんと成功するようなものじゃない限り、私はやらない」
顔を離したののは、「さ、続きやるよ」とあっさりと切り替え本棚から本を抜き出す作業に戻った。
由流華はのろのろとののを手伝う。ののは「新しい本はどんなだろうね」とにこやかに話しかけてさえきているが、由流華は鈍い返事を返すばかりだった。
本をまとめて鉄格子まで運ぶ。隙間から本を出しておけばいいようで、ののがする動きに倣う。
全部出し終えると、ののはコーエンに声をかけた。
「コーエン、本お願い」
「……ん? ああ、ちょっと待ってろ」
目を覚ましたコーエンはふらつきながら鉄格子とは反対方向に歩いて行った。
ののは由流華の肩を叩いて、
「ちょっと話するから、由流華はあっち行ってて」
「話?」
「次はこんな本がいいとか、新しいタオル欲しいとか、そういうリクエスト。由流華は最初に突っかかってたからコーエンもよく思ってないの。離れてた方がいいよ」
「う、うん……」
「本を運ぶときには呼ぶから、その時はお願いね」
向こうからコーエンが戻ってくる気配を感じて、ののが早く行くように急かす。
おとなしく従って、魔法の練習をしている小春と幸恵に合流する。二人は由流華を見て、入ってとばかりに車座のスペースを開けた。
「終わった?」
「ううん、後でまた呼ばれる」
「なんかあったか?」
訊いてきたのは幸恵だった。
「ののが何か言っても気にするなよ。出る気もないやつのこと気にしても無駄だ」
吐き捨てるような幸恵に、苦笑じみたものを浮かべる。幸恵のこういったところは一貫していて、救われる思いではある。
だが、ののが言ったことだって間違いというわけではない。
「ちゃんと成功するような作戦がないと意味ないって言われた」
「気にすんなって」
「でも、成功しないと意味ないのはそうだよ」
「だからって諦めるのも違うだろ」
「なにかあるの?」
言い争いになりそうな気配をおさめようとしたのか、小春がことさらゆっくりと発言した。
由流華は二人を見て、小さくうなずいた。
「なにかはあるんだ。でも、これでどうなるのかはわからない」
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