第38話 地下室での生活
「玲香ってどういう人?」
食器を小春と二人で食器を洗っているときに、ふと訊ねてみた。
小春は「んー?」と間延びした声で由流華に顔を向ける。
「見たまんまだよ」
「……それじゃよくわかんないよ」
「由流華が接して感じた通りの人だと思うよ。ああいうの、来た時から変わってないし」
フラットな口調だが、却って小春の玲香への感情が見えるかのようだった。
幸恵は明らかに嫌っているようだったが、小春もあまり快くは思っていないのかもしれない。
(それなら……)
「急にどうしたの? 玲香のことなんて」
「えっと……特にどうってのはないんだけど」
「あんまりケンカはしないでね。ただでさえ幸恵とはちょいちょいモメてるんだから」
「ケンカなんてしないよ」
普通に返事をしたのだが、疑わしげな視線を向けられる。
玲香の挑発に乗って腕を思い切り掴んだことを思い出す。あれは、ケンカと言われればそうかもしれない。由流華としてはそんなつもりではなかったが。
なんとなく気まずくなって、元の話題を続けた。
「で、でも未那とは仲が良いよね」
「そうだね。来てすぐ馬があったって感じかな。ずーっとイチャイチャしてるよ」
「ああ……」
遠い目の小春に頷く。
玲香と未那は仲が良いというか、そういう関係のようだ。由流華たちの前ではそこまで露骨ではないが、二人で寝室にこもっているとそういう声が聞こえてくる。魔法の練習中に聞こえてきた時はびっくりしたが、小春はいつものだよという風に聞き流していたし、幸恵ははっきりと苛立っていた。そういう時は、ののも不快そうに顔をしかめているのを見た。
どんな関係で何をしていようと個人の自由かもしれないが、集中力を奪われるような真似は正直困る。といっても、直接何かを言うこともできない。
「たぶん、幸恵はそういうのも嫌なんだよ」
「……そういうの?」
「うん。幸恵はここにいるのを受け入れてるみたいなのをすごく嫌がるから、あの二人がイチャイチャしてるのもそういうものだって思ってるんじゃないかな」
「それって、受け入れてることになるの?」
「しょーじき、わたしにはわかんない。幸恵からすれば、現実逃避でくっついてるように見えるのかもね」
幸恵は、ここから出たいという意思をはっきりと示している。
だが、他の人だって出られるのなら出たいはずだ。魔法の練習を馬鹿にするようなことを言っていた玲香だってそうだろう。
ののたちは、決して短い期間地下室に閉じ込められているわけではない。抜け出せない中に囚われていると次第に諦めが心を満たしていくのは由流華も理解できる。
幸恵からすれば、諦めすら許せないものなのかもしれない。
「由流華は付き合ってる人っていた?」
「え、いないよ」
「そうなんだ……灯って人とは違ったの?」
「違うよ。なんか、たまに言われたけど」
灯とは、いつも一緒にいた。
そのせいなのか、たまに二人は付き合っているのかと訊かれることがった。からかいもあったが、灯のことを好きな人がいるからと訊かれたこともあった。
由流華にとって、灯は一番大事な人だ。灯もそう思ってくれていると、信じてもいる。
灯にも恋人はいなかった。灯自身は強く求めてはいなかったが、いつかできればいいかなぐらいの気持ちだったようだ。
『欲しくないってわけじゃないんだけど、そういう意味でいいなって人もいないんだよね』
『灯はモテるのに。また訊かれたよ、あたしと付き合ってるのかって。灯を気にしてるんだって』
『だったらうちに訊けばいいのに。由流華とはそういうんじゃないしね』
『うん。でも、あたしは灯が一番大事』
『そんなのうちもそうだよ』
灯は柔らかく笑う。その笑顔を見ると、由流華も自然と笑えた。
『もし恋人ができても、由流華が一番なのは変わらない気がするよ』
『……なんかわかる』
『ね。うちと由流華は二人そろって一人だから』
『魂の半分?』
『うん、魂の半分』
それは灯が好んだ言い回しだった。世の中には自分と魂を分かち合ったものがいて、二人が揃うとお互いを満たし合える関係を作れるという伝説みたいなものだと言っていた。親友や恋人など、既存の言葉では表せないような結びつきを示すものだそうだ。
灯との関係を言葉にするなら、由流華の語彙では親友ということになるだろう。だがそこにこもる想いは灯と同質だと感じている。
『いつかうちに恋人ができても、由流華が大事で一緒にいるんだろうな』
『嫌がられそう』
『かもね。でもそういうのわかってくれないとなぁ。難しいかもだけど』
『あたしは別に誰かと付き合いたいってのはないしなぁ』
『そのうち由流華も好きな人できるかもよ?』
『そうしたら、すぐに教える』
『うんうん。由流華がどういう人好きになるのか、結構気になるな』
「灯は一番大事な人だよ。誰よりも、どんな人より」
「……そっか。じゃあやっぱり辛いね」
小春の重い声にきょとんと首を傾げかけて――みんなには灯は死んだという説明をしたのだと思い出した。
なんて言えばいいだろうかと考えていると、別の方向から声があった。
「ねえ、洗い物終わった?」
「もう終わるよ。どうしたの?」
突然入ってきた玲香に、小春はのんびりと応じる。
「身体洗いたいんだよね。終わったらさっさと出てくれない?」
「はいはい」
小春がそっと目くばせをしてきた。小さく頷いて、食器を拭いていたタオルを置く。続きは後でもいい。
洗い場を出ようとした由流華に、玲香の半眼が注がれている。相手にはしない方がいいだろうと目を合わせないまま、小春と一緒に洗い場を出た。
カーテンを閉めた小春は、んーと伸びをした。
「魔法の練習でもしようか」
「幸恵は……」
「寝室の掃除に入ると思うよ」
今日の寝室の掃除は幸恵が担当することになっている。そう決められているわけではないが、寝室を占拠している二人がいない時を見計らって掃除をするようになっていた。幸恵は当初は大分文句を言って突っかかっていたらしいが、結局は無駄だったようだ。そういうのも重なって二人は仲が悪いのだろう。
ののは座って本を読んでいる。由流華の方をちらりと見て、小さく手を振ってきた。
振り返そうかと考えていると、背中を「どーん!」と効果音付きで押された。
「わ、え!?」
前方につんのめり、なんとか倒れることなく体勢を立て直す。
慌てて振り返ると、笑みを浮かべた未那が両手をひらひらと振っている。
「びっくりした?」
「びっくりしたけど……」
「なにしてるの?」
小春がのんびりと訊ねると、未那は「えっとね」と人差し指を立てた。
「さっきまで玲香とイチャイチャしてて、終わったら汗かいたってシャワー浴びに行っちゃったからちょっと寝ようと思ってさ。そしたら掃除するから出ていけってさっちーに追い出されちゃったの。そしたら由流華ちゃんの背中が見えたからどーんって」
「そ、そうなんだ」
ぺらぺらとまくし立てるように話す未那に圧されてとりあえず頷く。
考えれば、未那が単独の時に話すのは初めてだ。いつもは玲香と一緒にいるし、声をかけられたといえば……
『あんた目ヤバいよ』
思い出すと急に気まずさを感じて首を縮める。
一方で未那はそんな由流華を不思議そうに見ていた。
「どしたの? あのさ、由流華ちゃんとコハルーに訊きたいことあんだよね」
「訊きたいこと?」
「うんうん、三人でさ魔法の修行してんでしょ」
「修行っていうか、まあ……」
「みんなすっごく強くなっちゃうの?」
「ええっと……」
なんと返せばいいのかわからず、困ってうめく。すっごく強くなるというのがどういう意味なのかよくわからない。
未那はえっとね、と言い直した。
「由流華ちゃんが玲香の腕を折りそうになったじゃん」
「あ、それは……」
口ごもる由流華に未那はいいってと笑って手を振った。
「あれは玲香が悪いしねー。あ、未那は謝らないよ? 玲香も謝んないだろうけど、それは流してくれると助かるな」
「う、うん……」
「問題はさっちーの方なんだ」
「……幸恵が?」
頭の中で未那の呼び方を変換する。
未那はうんうんと言って、
「玲香とさっちーって仲悪いからさー。さっちーが由流華ちゃんぐらい強くなったら何されるかわかんないじゃん? 玲香がちょっと不安がってるんだよね」
「……ってことは」
「強くなっちゃったさっちーが玲香に何かしないかなって」
「…………」
由流華が見てる限り、幸恵は脱出することに全力を注いでいる。それ以外のことは、目に入らない限りは意識してはいないように思える。由流華が玲香の腕をつかんだ時だって、幸恵も止めに入っていた。
幸恵が玲香に何かをするとは思えないが、未那をじっと見て考える。
答えたのは小春だった。
「大丈夫、なんもしないよ」
未那はゆっくりと小春に向き直って、確認するように瞬きをした。
「信じていい?」
「いいよ」
即答に気をよくしたように未那はにんまりと笑みを浮かべた。無邪気で、見るものの目を引くような、そんな笑みだった。
「それならいいんだ。信じるよ」
「玲香のこと、好きなの?」
由流華が訊くと、未那はきょとんとした顔で瞬きをした。
「どして?」
「玲香のこと心配してるみたいだし……その、仲良いし」
ぼかした言い方に、未那はくすりと笑った。
「うん、好きだよ。ここで付き合うにはすごくちょうどいい。傷つけられたら困るかな」
「……外に出たら?」
未那は「ん?」と顎に指をあてて天井を見上げた。
ややあって、視線を由流華に戻して答えた。
「出られないでしょ? だから玲香と一緒にいるんだし」
言い置いて、未那はとてとてと洗い場の方に歩いて行った。ためらう様子もなくカーテンを開けて入っていくのを見て、なんとなしに息をつく。
小春に顔を向けて、懸念したことを口にする。
「そういえば、約束しちゃって大丈夫?」
「なにが?」
「その、幸恵が何もしないって……」
「しないよ。そんなに馬鹿な子じゃないから」
きっぱりと断言されると、ほのかに安心感が胸にわいてくる。
小春はいたずらっぽく笑って、由流華の顔を覗くようにした。
「なに、心配なの?」
「え、う、ううん、そんなことない」
「それならいいじゃん。由流華の方は大丈夫?」
「あたし? ……大丈夫だよ」
由流華の答えに小春は「そっか」と安心したように微笑んだ。
「んじゃ、練習しよっか」
座る小春に倣いながら、右手をぎゅっと握り解くことを繰り返す。
身体強化は少しずつ上がっている。ギフトタグがあった時にも追いついてはいないが、それでも向上の手ごたえは感じる。
最優先はここから脱出し、灯のピアスを取り返すことだ。そのために手段を選ぶつもりはない。何を使ってでも、必ず成し遂げる。
そのためにどうすればいいのかを考えながら、身体強化に意識を集中させた。
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