第37話 ダイアナ・アルレイド

「うまくやれてるみたいだね」

「はい、ダイアナさんのおかげです」


 少年は幼さの残る笑顔で感謝を口にした。

 転生者施設に来た時とはまったく違う明るさに、これが少年の本来の姿なのだろうと感じる。


「施設にいたときは全然違うよ。毎晩泣いてたものね」

「やめてくださいよ」


 ダイアナのからかいに、少年は恥ずかしそうにはにかんだ。


「……正直、まだ納得いってないところはありますよ。なんでこんなことにとか、元の家に帰りたいとか思うこともありますし。でも最近やっとここが今の俺の家なんだって思えるようにもなってきました」

「うん、それはよかった」

「それじゃあそろそろ戻ります。今日は結構忙しくて、大変ですよ」


 ぼやくように言う少年だったが、その表情には明るいものがあった。

 簡単に別れの挨拶を言いあい、少年がギルドハウスに入るのを見届ける。ふぅと一息ついて、ダイアナは歩き出した。


(大丈夫そうだな)


 内心で安堵の息を吐く。

 今話していたのは、半年ほど前に転生してきた少年だ。話していた通り、施設にいたときは転生してきてもう帰れないということをなかなか受け入れられずに泣いていた。

 転生者としてはかなり一般的な反応だ。転生者は少年少女といった若い年齢の人間が多く(大人以上もいるが珍しく、ダイアナはほとんど担当したことがない)、そうなると現実を受け入れるのはそれなりの時間を要する。

 そんな転生者と接するたびに、自分だったら、ということを考えずにはいられない。

 ある日突然なにもわからない世界に放り出される。転生という仰々しい言い方だが、元居た世界から放り出されたという方が感覚としては正しい気がする。

 転生者の話を聞いただけだが、向こうの世界はトーイロスとはあまりにも違うようだ。技術的にははるかに発達しているようで、にわかには信じられないような便利なものもたくさんあるらしい。話を聞くと好奇心を感じないでもないが、目の前の彼らを見るとそんなのんきな気持ちも吹き飛んでしまう。

 彼らは例外なく不安を示す。元の世界には決して帰れず、トーイロスに順応して生きていくしかない。救いと言えば必ずギフトタグを持っているので、当たり外れはあれどギルドに雇われるようにはなんとかできる。

 転生者は頻繁に発生するわけではない。せいぜい月に一人かそれぐらいだろう。都市で保護されるのがそれぐらい、という意味で他の町や国でも転生者はいるが。

 よって、転生者施設に勤めるダイアナもいつも転生者の世話をしているわけではない。一年を通せば、転生者がいない方が多いぐらいだ。それに、この頃は保護される転生者の数も減っている。ただの偏りだろうが、女性の数がいくらか少なくなっている。

 ダイアナの仕事の一つが、保護した転生者の追跡調査だ。ギルドに雇われるなりした彼らが、うまくやっているかを実際に会って確かめる。トーイロスに無知な彼らを利用して、不当な状態でギルドで使い走りにしている事例もまれに発生するのでアフターケアとして必須の仕事だ。都市を出た転生者は対象外になるので、この都市にとどまっている人物に限るが。


「今日はこんなものかな」


  さきほどの少年で、今日の追跡調査は終わりにしようと独り言ちる。一日にやりすぎると、結局は暇な時間が増えることになる。あとは施設の掃除なりして過ごそうかと考えるが、ふと思い当たることがあった。

 分かれ道に差し掛かって、立ち止まる。左に行けば施設だが、右に行けば……

 少し考えて、右に足を踏み出した。


「結局どこに腰を落ち着けたのかもわかってないしね」


 言い訳するようにつぶやいて、新たに定めた目的地へ進んでいく。

 まだ追跡調査を行っていない、もっとも最近に保護していた転生者。

 柳沢由流華。

 ノエルが連れて行って以来、どうしているのかはわからない。リヴァイブに入ったのか、別のギルドに入ったか。

 由流華のことは、ダイアナも気にしてはいた。

 転生者が悲観的になっているのは珍しいことではない。もう死にたいと言い出すこともあるし、それを宥めたことも何度だってある。

 しかし、由流華はそれがひどく強かった。友人と一緒に転生し、その友人を死なせたことで強すぎる自責の念を持っていた。気力も見えず、施設に来た最初の方はほとんど幽霊のような存在ですらあった。

 ここまでひどいと何を言ってもおそらくダメだと思いながらも、ダイアナには一つの確信もあった。

 由流華は、きっと冒険者になる。

 これはダイアナの特技のようなものだが、転生者と接していると冒険者になるかどうかが大体わかる。どこで判断しているのか自分でもよくはわかっていないのだが、なんとなくの勘だ。威勢よく冒険者になりたいと言う転生者が事務に落ち着いたり、争いごとなんてとんでもないというような転生者が冒険者として活動するようになったのも当ててきた。

 そのダイアナの勘は、由流華が冒険者になると告げていた。今までにないほど色濃い確信をもたせるほど、由流華は冒険者に向いていると思わせた。

 だが由流華が冒険者を希望したときには、真っ先に心配した。

 由流華は、おそらく死にたがっている。

 自責の念が強すぎるあまり、自罰の傾向が見えてはいた。冒険者に向いていると確信させたのはこういう部分ではないはずだが、ダイアナが見ている限りでは由流華のそれは収まりそうにはなかった。

 ダイアナが選んだのは、ノエルに紹介することだった。

 ノエルは転生者への面倒見がかなり良い。これまでも扱いが難しいと感じる転生者をノエルに任せることも何度かあった。そうした転生者は例外なく見違えたように元気にトーイロスで過ごすようになっている。

 だから由流華をノエルに任せることにも躊躇いはなかった。ラプトにいないこともよくあるノエルではあるが、運よく捕まえられることができた。

 ダイアナもあえて強く物を言ったり、やることを与えてみたりもしたが、それがどれぐらい効果があるのかもわからない。転生者に接する仕事を専門しておきながら情けないが、どう接するのがベストなのかわからないまま、慣れだけが積み重なっていく。

 ノエルが一度だけ、由流華の様子を教えに来てくれたことがあった。


『森の胃袋って……ユルカが転生した場所だよね』

『うん。そこに行きたいって言ってるから、修行してる』

『……大丈夫なの?』

『ダイアナさんが心配なのもわかるよ。危なっかしいよね、由流華』


 ノエルの苦笑に、ダイアナも同じものを返す。


『けど、少し前向きになってきたよ』

『それは良かった。結構心配してたから』

『優しいよね、ダイアナさん』

『やめてよ、私よりノエルの方が面倒見いいでしょうが』

『そうかなぁ……ま、とにかく今回のことが終わればもう少し安定すると思うから。ダイアナさんも様子見に来てあげて』

『ああ、いっつも暇だからね』


 そんな会話をして、ノエルに任せたのはやはり正解だったと思ったものだった。

 あれから少しばかり経っている。森の胃袋を攻略したのか、したとすれば今頃どうしているか、そろそろ確認してみるのもいいだろう。

 リヴァイブのギルドに到着し、チャイムを鳴らす。普通のギルドハウスにはノッカーがあるが、リヴァイブはボタンを押せば甲高い音が鳴るこれを使っていた。日本では一般的なものらしいが、ダイアナには少しうるさすぎる。

 少しの間のあと、ドアがゆっくり開いた。隙間から不機嫌そうな表情をした少女が顔を覗かせ、ダイアナを認めると少しだけ表情を緩めた。


「なにか用ですか?」

「ノエルはいる?」


 単刀直入に切り出すのだが、少女は誤魔化すように視線を逸らし、ぼそぼそと答えた。


「……いません」

「いつ頃戻ってくるかわかる?」

「……わかりません」

「もしかしてガリトリアに行っちゃった?」

「いえ、ラプト内の仕事に行ってるはずなのですが。まだ戻ってこないんです。本来なら三日前には戻ってきてるはずなんですけど」


 少女は困った、という風に息を吐いた。

 ノエルはあまり都市にはとどまらない。冒険業を精力的に行っているし、絶域をはさんだ隣国のガリトリアに出張することも少なくない。そうなるとかなりの期間は戻ってこない。

 それ自体は珍しくないが、由流華の面倒を放り出してどこかに行ってしまうことはさすがにないはずだ。


「ユルカってわかる?」

「……ノエルが面倒見てる子ですよね」

「うん。今どこにいるかわかる?」

「わかりません。ギルドの人間じゃないし、ノエルからちらっと話聞いただけですし」

「一緒にいるのかな」

「……わかりません。仕事に同行させているかもしれないですけど」

「それで遅いのかな、ユルカを会いたかったんだけど」

「わからないって言ってるじゃないですか」


 少女の口調がイライラしたそれに変わってきた。

 施設に来た時は内気な人見知りだったこの少女は、ノエルのこととなると非常に感情をあらわにする。ノエルと話しているとそれなりに明るいらしいが、他と話すとこうなってしまうようだ。

 ともあれ、リヴァイブのギルドメンバーがわからないというのならわからないのだろう。


「わかった。邪魔してごめんね。ノエルが戻ったら連絡もらっていいかな」

「……わかりました」


 言って、ドアが閉められる。

 さて、と施設への道を取って返す。来てはみたが、空振りに終わってしまった。ノエルもおらず、由流華もどこにいるのかわからない。ノエルが一緒にいるのなら何も問題はないだろうが。

 どうやら由流華はリヴァイブには入っていないようだ。ノエルと同行しているなら、他のギルドに入ったわけでもないだろう。

 ギルドは家族に例えられることがある。ビジネスに徹するギルドも当然あるが、両方に共通しているのはどちらの人員の管理はきちんとしていることだ。家族だろうと、人材だろうと、なければギルドは立ち行かないからだ。

 転生者は、身元も何も存在しない。ギフトタグがなければギルドも積極的にトーイロスの常識を知らない転生者など雇ったりはしない。転生者は転生してきた段階で、冒険者ギルドに雇われることになるのはほぼ既定路線になる。

 だからこそ、転生者はギルドで生きていくことを余儀なくされる。ギルドに入らなければ、転生者は存在していないも同然だ。存在していないのであれば、誰も気にすることもなく探す人もまたいない。

 由流華は今、そんな宙ぶらりんな存在でもある。ノエルはリヴァイブのメンバーなのでギルド内での居場所があるが、ギルドに入っていないのなら由流華はいない人間に等しい。

 仮にこのまま行方不明になれば、由流華を探す人間は誰もいなくなる。


「つっても、ノエルと一緒なら何の心配もいらないか」


 ノエルも前向きになったと言っていたのだから、一職員の自分が心配しすぎてもしょうがないだろう。

 切り替えよう、と頭を振る。暇が高じて、妙な方向に考えすぎているのかもしれない。


「そろそろ転職かな……」


 ぼやきながら角を曲がると、人がいた。避けようとしたが間に合わず、肩がどんとぶつかった。


「すみません」

「いえ、僕の方もすみません、大丈夫ですか?」


 ぶつかったのは爽やかな笑顔の青年だった。申し訳なさそうな笑みをたたえ、ダイアナを気遣うような視線を向けてくる。


「大丈夫、です……?」


 ダイアナはあるものに目を留めて、曖昧な返事を返す。

 青年はかすかに首を傾げたが、ダイアナがそれ以上何も言わないのを見て適当に納得したように歩き去っていった。

 それでも青年の背中に視線を注いで、ダイアナは疑問にうめいた。


「あれって、そうだよね……」


 青年の耳には、由流華がつけていたピアスがあった。

 その理由を頭の中で探して、ダイアナは青年を追った。

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