第36話 差し入れ

 魔法の練習をしていると、見張りの男がののを呼んでいるのが聞こえた。昼食を食べて少し時間が経ってはいるが、夕食にはまだ早いしなんだろうと目線を向けると、なにかを受け取ってるのが見えた。

 そのまま話し始めた二人を見ながら、傍らの二人に訊いてみる。


「あれ、なんだろう」

「本じゃないかな」

「本?」


 うん、と小春は操っていた水をコップに戻した。見張りの男は全然こっちのことを見たりはしていないので魔法の練習もあまり気兼ねせずに行っているが、一応身体で見えないようにはしている。

 小春は寝室傍の本棚を指さした。


「あの本ってののがリクエストしたりしてて増やしてるみたいでさ、たまに新しいものを持ってくるんだよね」

「そうなんだ……」

「由流華は本好き?」

「うん、普通には」

「あれ一応好きに読んで良い奴だから、由流華もなんか読みたいのあったらののに言ってみればいいよ」

「読みたいの……」


 そうはいっても、トーイロスにどんな本があるのかもわからないので頼みようもないのではないか。

 本に関しては、ののにも読んで良いと言われていたような気がする。その時は聞き流してしまっていたが、気分転換に読んでみるのもいいかもしれない。

 そんなことを考えていると、幸恵が聞えよがしに舌打ちした。


「本読むとか呑気なこと言ってる場合かよ。そんな暇あったらさっさと脱出して、そのあと好きなだけ読めばいいだろ」

「まあ、そうだねえ」


 適当に応じる小春に、幸恵は再度舌打ちをした。

 魔法の練習を多少したところで、いきなり強くなるわけでもない。焦りが出てくるのもわかるし、由流華だってピアスのない落ち着きのなさから早く解放されたいと思っている。

 それなのに、焦燥が頭を満たすというところまではいっていなかった。一秒だって早くここから出たいという気持ちは薄れてはいないが、わずかながらの落ち着きはある。

 多分、傍にいる幸恵が焦りを表面に出しているので逆に由流華には落ち着きが出ているのだろうと思う。

 ちゃんと集中しようと意識を切り変えようとしたところで、ののが全員を集める声がした。三人は一度顔を見合わせて目をぱちくりとさせて、それぞれに立ち上がり向かう。

 ののが出したものを見て、真っ先に幸恵が口を開いた。


「なにこれ」

「さぁ……」


 ののは困り顔で曖昧に笑った。

 寝室から出てきた未那はそれを認めるとわかりやすくはしゃいだ声をあげた。


「あ、ケーキじゃん! どうしたの?」

「なんかくれた」


 ののがするあっさりした説明にも気にした風がなく、未那はすぐに食べようよと遅れて寝室から出てきた玲香に手招きしている。

 ののが持ってきたのは、人数分のケーキだった。一人分がそれなりの量があって、ちょっとしたというものではない。


「よくあることなの?」

「ううん、お菓子ぐらいならたまーにあるけどこれは初めてかな」


 小声で小春に訊いてみると、小春もやや困惑したように答えた。

 幸恵は用心深そうに眉をしかめている。


「いきなりなんなんだよ」

「だから知らないって。私も初めてだし」

「誰か誕生日?」

「誕生日ケーキのシステムはないと思うけどね……」


 未那の混ぜっ返しにののもさすがに苦笑する。未那はそれにも気づかなかったようにケーキに顔を近づける。


「いいじゃん、せっかくもらったもんなんだし美味しく食べようよ。食べ物に罪はないからさ」

「そうだね。それじゃあ食べようか」


 ケーキは全て同じミルフィーユだったので、ののが適当に分けていった。未那は大きい方がいいと言ったが、どれもそんな変わらないよとののが宥めた。

 未那と玲香の二人はケーキを持ってすぐさま寝室に引き返していく。


「仲が良いよね」


 寝室の方を見ながらののは笑う。じゃあ、と由流華たちに目を向けた。


「四人で食べようか」


 四人で円になり、ケーキを前にする。普段の食事は全員で円になって食べるのだが、四人になるとそれぞれをいやに近くに感じてしまう。

 ののがいただきます、と手を合わせるのを見て由流華も倣う。


「ケーキなんて久しぶり」


 小春もさすがに嬉しそうにほころんだ表情でフォークをケーキに刺す。一方の幸恵は難しい顔をしてケーキを睨んでいた。


「好きじゃないの?」


 既に一口を食べたののが幸恵にきょとんと訊く。

 幸恵はケーキを睨みつけるようにして、片膝を立てた。


「あんまり食べたことはないけどさ。そうじゃなくて、なんかムカつくんだよ」

「ムカつく?」

「いきなりこんなもん寄越して、機嫌とってるつもりなのかよとかとにかくムカつくよ。こんな施しをもらって笑ってる方もどうかしてる。何が入ってるかわかったもんじゃねえぞ」


 ののはふむ、と頷いてフォークで幸恵を指した。


「未那も言ってたけど、食べ物に罪はないからね。食べられるものは食べて損はないと思うけど」

「…………」

「それに何か入ってるかもなんて今更すぎない? 毒なんか入れてどうするっていうの」

「……毒はないよ」


 口をはさんだ由流華に、三人の視線が向いた。やや慌てながら、ほらと説明する。


「もしあたしたちが死んだらギフトタグが消えちゃうから、そうはしないんじゃないかなって」

「由流華の言う通りだよ。病気になったりしても困るだろうからね。食事もらうときにその辺りも聞かれたりするよ」

「病気になったらどうなるの?」

「薬はくれるよ。ここから出したりはしないかな」


 由流華のなんとなくの問いに、ののはお見通しだよというように答える。

 本当になんとなくで訊いただけだったので、そんなつもりはなかったのだが。

 薬をくれるとはいうが、他にどうしようもないのだろうとも思う。監禁している人間を医者につれていくわけにもいかないだろうし、なにかそのためのギフトタグでもあれば別だろうが。

 そう思うと、死んだら困るといっても実際に死ぬようなことになればどうしようもないはずだ。さっさと諦めるのか、それともなんとか生かそうとするのか。


(誰かが、死にそうになったら……)


 エンリケは、どうするのだろう。

 まずはどうにかしようとするだろう。むざむざギフトタグを失うことをよしとするわけはない。なにかしらの手を打つことは間違いはない。

 とはいえ、そう簡単に誰かが死にそうになったりはすることはない。ののは一年もここにいると言っていたが、健康に問題があるように見えない。食事はきちんと出るし、乏しい設備ながらシャワーを浴びたり洗濯もできる。この中では怪我をするようなことも特にないだろう。あっても軽微なものだろうし、命にかかわるような重傷は起こらない。


(……あの時)


 玲香の腕を掴んだとき、玲香はほとんど抵抗できていなかった。もともと腕力もない由流華だが、身体強化だけでそれだけのことができるようになっていた。

 だったら……


「由流華もケーキ好きじゃないの?」

「え?」


 いきなり声をかけられて、思考から現実に戻る。

 ののがフォークで、手が付けられていない由流華のケーキをさしていた。


「ううん、好き、だよ。食べる」

「うんうん。滅多にないことだし、美味しく食べた方がいいよ」


 そういうののはもう食べ終わってたようで、場を立ってフォークを洗いに水場に向かっていった。

 小春はいたずらっぽく笑って、幸恵のケーキにゆっくりと手を伸ばしていく。


「ののが言った通りだよ。食べないならもらっちゃうよ?」

「食べないとは言ってねえだろ」


 幸恵は三度舌打ちをして、諦めたようにケーキにフォークを突き立てた。

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