第31話 七原小春

 早速魔法を教えてほしいとせがむ幸恵に承諾して、地下室の端っこに移動する。

 由流華と幸恵が床に座るとすぐに小春もやってきた。


「何してるの?」

「魔法を教えてもらうんだよ。お前も入りなよ」

「魔法?」


 きょとんと繰り返して、小春は由流華を見た。


「さっき話してたのだよね。わたしにも使えるの?」

「使える……と思う」


 興味津々に聞いてくる小春への答えに、幸恵が「あ?」と目を細めた。


「思うってなんだよ。さっきは使えるってちゃんと言ってただろ」

「そうだけど……人に教えたことはないから。あたしも初心者だし」

「大丈夫だって。使えるってことは教えられるってことだから」

「そうかな……」


 不安にうめくが、幸恵は完全に乗り気だし小春も面白そうという表情で場に入ってきている。

 二人の生徒に期待の眼差しを向けられて、ひゅっと変な息が漏れた。何か言おうと思うほど、言葉が出なくなってしまう。

 幸恵の不審げな眼差しが痛くて、ますます困って床に目を落とす。


「んっとさ、まずは自己紹介しよっか」

「は?」


 小春の突然の提案に幸恵が素っ頓狂な声を上げる。


「昨日やっただろ」

「あれじゃなんもわかんないよ。ね、由流華」

「え、あ、う、うん?」


 いきなり水を向けられて戸惑いながら言葉を返す。いや返せていないが、とにかく頷くなどはした。

 幸恵は面倒くさそうに舌打ちした。


「わかったよ。で、何言えばいいんだ? なんか知りたいことあんの?」

「そういう言い方やめる」


 小春がチョップのような手つきで幸恵に軽く振る。幸恵に当たりはしないが、嫌そうに避けて威嚇するように小春を睨みつけた。


「普通に話してんだろ」

「圧があるよ。由流華も怖がってる」

「あ?」


 睨みを小春から由流華にスライドされて、我知らず身体を引く。

 その反応を見て、小春は「ね?」とたしなめるように首を傾けた。由流華に笑いかけて手を振りながら言ってくる。


「ごめんね、この子も悪気はないから許してあげて。少し荒れてるだけなんだ」

「う、うん」


 当の本人は特に何も言わず睨みを利かせているだけなので、そちらは見ないようにして頷く。

 灯しか親しい人間がいなかった由流華にとって、人と話すのは割と難しいことだ。転生して以来普通の精神状態であった試しはないので、それに拍車がかかった形にはなっていた。ダイアナやノエルも、優しく接してくれたから時間をかけて普通に話せるようになったのだ。

 幸恵も敵意からそうしているのではない、というのはなんとなくはわかる。だがこの態度は、思い出してしまう。


「……そりゃ荒れるだろ。いきなりこんなところに閉じ込められて、転生だかギフトタグだかわけわかんねえこと言われて。お前だって納得してるわけじゃないだろ」

「まあそうだね。でも結構慣れるもんだよ」

「慣れてんじゃねえよ」


 吐き捨てるようにして、幸恵は由流華にぐるりと視線を回した。


「お前はどう思うよこういうの」

「どうって……」

「出たいのか諦めてんのかはっきりしないやつ」

「諦めてるわけじゃないんだけどな」


 小春のやんわりとした反論を潰すように、幸恵はふんと鼻を鳴らした。


「由流華は出る気だろ。それが普通だよな」

「…………」

「ん? 言いたいことあるなら言いなよ」


 幸恵が喋るのにまったく入れないままの由流華が発言を促されたが、言いたいことと言われてもと黙ってしまう。

 そうしていると幸恵の目はますます鋭くなっていくようで、由流華の怯みも強くなる。

 なにか言わなきゃと焦り、浮かんだことをどうにか口にする。


「……あんまり睨まないでほしい」

「あ?」


 幸恵はきょとんと訊き返し、小春はぶっと噴き出した。

 即座に幸恵は小春を睨みつけたが、小春は腹を抱えてうずくまりぷるぷると震えていたのでわからなかっただろう。

 よって幸恵のターゲットは再び由流華に戻ったようだった。鋭い眼差しの中に微かに困惑を乗せて、はぁと嘆息する。


「別に睨んでなんかねえだろ」

「え?」


 今度は由流華がきょとんと訊き返した。これで睨んでなければなんだというのだろうか。

 小春がまた吹き出し、幸恵の視線が飛んだ。小春は必死に笑いを押し殺しながら、ごめんごめんと片手を上げる。


「幸恵は睨んでるつもりないらしいんだよ。わたしは慣れたけど、そりゃ困るよね」

「……んだよ」


 幸恵は拗ねたようにそっぽを向いて、再度嘆息した。そうしていると年下であるということを初めて感じられる。とはいえ怯んでばかりの由流華も年相応より幼く見られているかもしれないが。

 小春はようやく笑いも収まったようで、にこやかな微笑みを浮かべて語りだした。


「んっと、自己紹介って話だったよね。昨日も言ったけど普通にJKやってた。部活は帰宅部で、勉強は中の中。放課後は友達と遊んだりしてたな。彼氏はなし、ってか転生する一か月前に別れた。趣味は天体観測」

「天体観測……」


 なんとなく上を見上げる。当然天井が見えるだけだし、地下室なので窓もない。

 小春もまた上を見上げていた。苦笑気味に続ける。


「ここは星が見えないのが不満かな。由流華は上にいたんだよね、やっぱり日本で見えるのとは違うの?」

「ごめんなさい、わからない……気にしてなかった」

「いいよ謝んなくて。そんな気にしないよね。やっぱり出て自分の目で見るしかないのかな」


 小春の眼差しがそれこそ星でも見るように遠くを見るようなものになった。本人や幸恵が言うほど、慣れたり諦めたりしているわけではないことがうかがえる。それはそうかと思わず納得する。こんなところに監禁されて、諦めがつくなんてわけがない。


「転生したのは、多分車に轢かれたせい」

「……多分?」

「よく覚えてないんだよね。普通に横断歩道を渡ってたはずなんだけど、気づいたら転生してたから。思い切り吹き飛ばされたような記憶はあるようなないような」

「それで、捕まったの?」


 由流華がそっと訊ねると、小春はあっさりと頷いた。


「うん。なにこれってびっくりして歩いているうちにエンリケに会って。親切そうな人だから言われるままついていったら地下室だった」


 笑えるような話ではないはずだが、小春は笑いながらそう言った。あるいは自嘲のようなものだったのかもしれない。

 その表情のまま、小春はそれからのことを話しだした。


「わけがわかんなかったよね。その時はののだけがいて、二人の生活だった。わたしだって最初は出ようとしてみたけど、結局は無理なんだってことがわかっただけ。そうしてるうちに、少しずつ人が増えてった。増えてくと段々ここにいることが気にならなくなっていくんだよね。日常になっちゃえば、慣れるもんだよ」


 小春の目が、すっと細まった。表情は微笑みだが、笑っていないその目には確かな力を感じさせた。


「慣れたけど、出られるなら出たい。でもそんな手段はどこにもなかった。ただの女の子が何人増えたって牢屋から出られるわけがない。でも……」

「魔法が使えるやつがいるなら、出られるかもしれない」


 小春の言葉を、幸恵が引き継いだ。

 二人の眼差しが同質のものだと気づく。これは、由流華への期待だ。由流華への、というよりは脱出の手段に対するものと言った方が多分正確だろう。

 ごくりと息を呑む。幸恵には言ったが、由流華の魔法一つでこの場をどうにかできる見込みはない。見込みどころが、とっかかりがわずかにあるだけの我ながら頼りないものだ。

 だが、これだけは断言できる。

 灯に会うまで、由流華は絶対に諦めない。


「あたし、は……絶対にここから出なきゃいけない理由がある。だから」


 由流華はここで初めて二人の目を正面からちゃんと見られた気がした。告げる。


「ここを出る。二人にも……力になって欲しい」


 二人は同時に頷いた。


「もちろん。こっちからもお願い」

「出られるならなんだってやるよ」


 ほっとする由流華の前で、小春がはいと幸恵を手で示した。


「じゃあ次、幸恵の自己紹介」

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