第30話 地下室での生活が始まる

「あ、そうだ。これが由流華の着替えね。選べないけど、他の子と交換したかったら好きにして」


 ののに渡された籠の中には、何日か分の着替えが入っていた。下着は数日分があったが、簡素な布のシャツとズボンは二セットしか入っていなかった。


「これで寝巻も兼ねてるから。今着ているのもそのまま使っていいからね。下着のサイズ合わなかったら言えば新しいの入れてもらえるから早めに言って」


 由流華が今着ている服は、監禁される前にもともと着ていたものだ。籠のシャツとズボンをよく見てみると、ののや他の子たちが着ているものとは微妙にデザインというか色が多少違っていた。


「今着替える?」

「……うん。そうしようかな」


 特別着替えたいというわけでもなかったのだが、とりあえず頷いておく。

 ののがカーテンを閉めて、由流華一人になった。この水場のスペースで、洗濯や洗い物、着替えなどを行うのだろう。

 ふぅ、と深く息を吐く。一時的にも一人になって、少し落ち着いた気持ちになる。

 無意識のうちに左耳に触れて、あるはずの感触がないことに歯噛みする。

 一秒だって早くこんなところは出て灯のピアスを取り返さないといけない。エンリケに奪われたと思うだけで途方のない怒りが湧いてきて、目の前が真っ赤になった。

 なにより、自分自身に腹が立っていた。あっさりとエンリケを信用して、流されるままついていきまんまと監禁されギフトタグは奪われた。思い返せばおかしいところはあったはずなのに、気づくことができなかった自分を内心で罵る。

 目をぎゅっと閉じて、荒々しく呼吸する。思い切り叫びたかったが、堪えて感情が落ち着くのを待つ。

 感情が落ち着いていくにつれて呼吸も正常なものに戻っていく。今度こそ冷静に考えて行動しないと、全ては奪われたままだ。

 振り返る。カーテン越しに何かが見えるわけでもないが、同じく監禁された人たちが五人いるはずだ。

 ののは一年はここにいると言っていた。諦めろと言っていたが、ののだって監禁されてすぐに諦めたわけでもないだろう。出ようとしなかったわけがないが、結果として今もここにいる。

 鉄格子つきの地下室に閉じ込められていて、他の人たちのことはよくはわからない。これまでのように誰かの助けがあるような状況でもない。

 即座に命の危険があるわけではない。だが、何もできなければずっとこの地下室にいることになる。


(なんとか……しないと)


 ここからの脱出のために、頼れるものはなくても全力を尽くさなくてはいけない。

 拳を強く握りしめて、決意を強く持つ。

 簡単にはいかないだろう。鉄格子の向こうには見張りの男がいて、なんらかのギフトタグによる攻撃を受けた。魔法を少しだけ使えるようになった由流華に戦闘で乗り切る見込みはほとんどないといっていい。

 眠気と疲労で身体が重い。ますは、休んでそれからちゃんと脱出のための計画を練らなければいけない。

 渡された籠から衣服を取り出し着替える。靴下も脱いで……

 かつん、と何かが床に落ちた。


「?」


 それを見て、疲労で重たくなっている頭が鈍くも動いた。

 ひょっとすると、暗い材料ばかりでもないのかもしれない。


☆☆☆


 朝になると(地下室なので朝という確信があるわけではなかったが)由流華以外の全員は慣れた様子で寝床を整え、洗顔などを始めていた。

 戸惑う由流華をののが手招きして、基本的な流れを教えてくれた。


「今日は私と一緒に当番をやるから。次からは一人でね」


 洗濯の準備をしながらやるべきことを指示される。家では家事は全部やっていたし、転生者施設でもかなりの部分をやっていたが、この地下室では既に勝手の違いに困惑させられていた。設備は貧相で、慣れるのに少しかかりそうだ。


「洗濯機も何もないからね。文明が恋しいでしょ」


 他人事のようにののが笑う。完全にこの生活に慣れきっているのがみてとれて、焦りが膨らんでいく。

 食事は鉄格子の向こうから男が持ってきた。食事を通すスペースを開き、男が大きいお盆を通す。

 取りに行こうとした由流華を止めて、ののが囁いた。


「あいつ気難しいから、私だけで行くね。ちょっとここで見てて」


 ののは一人で食事を取りに行き、男と会話を始めた。親し気で、二人とも表情には微かに笑顔すら刻まれていた。

 一年もいれば、ああいう風になるのだろうか。ののは気難しいと言っていたが、会話をしている二人からはそんなようにはまったく見えない。この距離では何を話しているのかもわからないので、由流華はただ見ているだけだ。

 ほんの数分でののはお盆を手に戻ってきた。由流華は指示通りに食事の準備を整えていく。


「いただきます」


 全員が席につくと一斉に手を合わせた。由流華はやや遅れて倣い、食事の手を取る。

 食事の間は無言だった。一番最初に幸恵が食べ終わり、何も言わずに立ち去っていった。小春がちらりと見ただけで誰も気にする様子がないので、いつものことなのだろうなと思った。

 食事を終えても、やることはまだまだあった。洗濯が終われば掃除があり、それが終われば昼食が届けられる。

 昼食もののが一人で取りに言った。やはり何事もなく話しているので自分が行っても問題はないのではないかと思ったが、いてと言われてたので黙って待機する。

 昼食の時には、ののが由流華に話を振った。


「由流華は十六歳ってことは高校生だったの?」

「……うん」

「普通にJKやってていきなりこんなことになったら戸惑っちゃうよね。そもそもここが異世界だってちゃんとわかってる?」

「え?」


 由流華の訊き返しをののへの戸惑いをとったのか、ののはゆるく微笑んだ。


「いい? ここは私たちがいた日本じゃないんだよ、トーイロスっていう異世界で……」

「それは知ってるよ。転生して、一か月……は経たないけど何週間かはいるんだし」


 由流華の言葉に、全員が動揺する気配が伝わってきた。何も変なことは言っていないはずなのだが、妙な焦りを感じて全員の顔を見回す。一様に驚きに顔を染めていた。

 しん、とした空気の中、ののがそっと問いかけてきた。


「何週間かって、どこにいたの?」

「どこって……大体は都市にいたよ。転生者施設だったり、魔法の練習したり……」

「魔法!?」


 鋭い反応に、由流華の話は止まってしまった。

 声の主は幸恵だった。身を乗り出して、ほとんど睨みつけるような眼差しを由流華に向けている。


「使えるのか? 魔法」

「す、少しだけだけど……」

 

 属性魔法は使えないし、由流華のギフトタグも奪われているので本当に少しとしか言えないが。

 落ち着かない雰囲気の中、ののが手をぱんと叩いた。小さな音だったが、全員がそちらに集中した。


「ここにいるみんなはね、転生したほとんどその日にエンリケに捕まってここに来たの」

「え……?」

「だから、実際のトーイロスの生活はみんな知らない。魔法だって、あるのはなんとなく知ってはいるけど……本当にあるの? 魔法」

「あ、あるよ……」


 由流華の返事に、再び場がざわついた。「見せて」だとか「どんな魔法?」だとか幾人もの声が重なって、由流華はあっという間に混乱させられた。

 それを見かねたように、ののが再び手を叩いて閉会を告げた。


「はいはい、今はここまで。今日は由流華に色々教えるから、訊きたいことがあってもまたあとでね」


 ののは由流華を促して食事の片づけを進めるべく指示をする。

 受けて、移動しようとしたところに肩を掴まれた。振り返る。


「……山下、さん」

「幸恵でいいよ。ここで苗字で呼び合ってるやつなんていねえよ」

「さ、幸恵。どうしたの?」


 確か唯一の年下だったはずだが、圧の強さについ怯んでしまう。

 幸恵は顔を近づけて、由流華の耳元で囁いた。


「魔法使えるんならさ、ここから出られるのか?」


 幸恵が目だけを動かして、鉄格子を示す。

 鉄格子の向こうでは、男が退屈そうに欠伸をしていた。由流華たちのことなどまったく気にしてもいない。あの男がどういった人物かわからないが、実力のある冒険者なのかもしれない。なんにせよギフトタグを持っている以上、相手にもならないだろう。

 由流華は苦々しい思いで認める。


「……あたしの魔法じゃここからは出られない」


 幸恵の顔にはっきりとした失望がよぎった。それには構わずに幸恵に向けて宣言する。


「でも、あたしは絶対にここから出るよ。こんなところにいていられない」

「……出られる?」

「出るよ」


 力強く答える由流華に、幸恵はやや遠慮がちに問いを重ねた。


「魔法は私にも使える?」

「…………」


 きょとんと幸恵を見返す。そうしたのは、予想外すぎる言葉だったからだ。

 そのまま、特に考えることなく答えを返す。


「使えるよ」


 幸恵の顔がぱあっと輝いた。キツい目つきをしていると思っていたが、そうすると年下らしく見える。

 幸恵ががっと由流華の肩を組んできた。


「私も乗る。ここから出てやろう」

「……うん」


 どちらかといえば困惑して頷く。

 味方ができた、と考えていいのだろうか。

 やはり、暗いことばかりでもないらしい。

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