第29話 地下室の少女たち
再び意識を取り戻した由流華は、反射的に身体を起こした。のだが、すぐに勢いを失ってふらっと床に手をついた。
頭ががんがんと痛み、全身がダルくて重い。微かに残る痺れが、攻撃を受けたことを思い出させる。
「あ、う……」
意味のないうめきが口から漏れる。意識を覚醒させて、なんとか現状を把握しようとする。
確か、地下室だと言われたはずだ。鉄格子があって、その向こうに男がいて……
由流華がいる空間は暗く、周囲のことは何もわからない。ただ、由流華の前方に光が微かに漏れているのが見えた。
ふらふらと立ち上がりそちらに向かって歩いていく。何度か倒れそうになりながら、わずか十歩ほどの距離を歩き切った。
ドアだ。向こうからは、人の声もする。
まともに働かない頭がさほど逡巡もなくドアを開けさせた。
急激に目に入る光に目を細める。それもすぐに慣れて、状況を把握することができた。
「あ、起きたんだ」
ドアを抜けた由流華のすぐ近くに、最初に話した少女が立っていた。本棚の前に立っていて、本を選んでいたようだった。
ゆっくりと頭を動かす。最初に目を覚ました地下室だった。L字型の空間に、鉄格子、二人ずつ固まっている少女たち。なにもかもが最初に目を覚ました時と一緒で、軽く混乱させられた。
振り返る。開けたままのドアに光が入っていて中が少しだけ見えた。L字型の空間の隙間を埋める位置にある部屋で、どうやら寝室なのだろうと見当をつける。
「もう落ち着いてる? 頼むからまた突っかかっていったりしないでね」
少女の言葉に顔を戻す。少女は微苦笑と言った表情で本を本棚に戻していた。そうしてから由流華に向かって小さく手を振る。
「大丈夫? ちゃんと起きてる?」
「起きてる……」
あまり自信なく答える。体調は間違いなく最悪で、頭もうまく働いていない自覚があった。
「飯にする? 先にみんなと顔合わせにしとく?」
「…………」
胡乱に少女を見返す。何を訊かれたのかが一瞬わからなかった。頭の働きが鈍りすぎていて、当たり前の応答すら難しくなっている。
少女ははいはいと苦笑した。
「飯にしようね、お嬢ちゃん」
☆☆☆
食事をしているうちに、なんとか体調を取り戻すことができた。
食事そのものは冷めてはいたがそれなりにちゃんとしたものだった。満腹とまではいかなくても、それなりに腹が膨れるもので味も悪いものではない。
由流華が食べ終わったのを見計らって、地下室にいる全員が集まってきた。由流華は動かないまま、車座になる。
「自己紹介していこうか。はい、あなたから」
ロングヘアの少女が音頭をとって由流華を手で促した。この少女がこの場を仕切っている人物なのだろう。
由流華は全員を見回して、やや緊張する思いで名乗った。
「柳沢由流華、です。十六歳……」
それきり黙った由流華に、全員が促すような視線を向けてきていた。そういう目をされてもこの先を続けようもなく、ロングヘアの少女に助けを求めて視線を送る。
ロングヘアの少女が目をぱちくりとさせて、微苦笑を浮かべて小さく頷いた。
「由流華、だね。じゃあこっちも。地下室に入った順番にやっていこう」
そう言って、ロングヘアの少女が手を挙げた。
「まずは私、
「一年、って……」
「うん、ここに入って一年」
ののはあまりにも軽く言ったが、その年月の重さに由流華は声もなく目を見開いた。そんなに長い期間監禁されているというのはにわかに信じがたいが、他の少女たちは何の反応もしていないのを見ると本当のことなのだろう。
驚いている由流華に、一人の少女が笑いかけて手を挙げた。
小柄でセミロングほどのダークブラウンの髪をした美少女だった。はっきりと整った顔立ちで、愛嬌も感じられるのは柔らかい笑みのお陰だろう。
「わたしは
小春は軽い調子で両手をひらひらと振ってみせた。どう反応していいのかよくわからずに、曖昧に会釈を返す。
次に手を上げたのは、ショートヘアの少女だった。背中を丸めて胡坐をかいていて、舐めるような目を由流華に向けている。
「うちは
玲香は言葉少なく自己紹介を終えて、隣の少女に視線を送った。
その少女は車座でありながら玲香をほとんどひっつくようにしていた。茶色の髪をツインテールにしていて、くりっとした大きい目が印象的だった。可愛らしい容貌を玲香に向けていたが、自分の番が来たと由流華を見て手を上げた。
「はいはい、
未那はにっこりと笑いかけると、すぐに玲香に肩を預け直した。
その様子をじろりと見ていた最後の少女――全体的にぼさぼさしているという印象の目つきの鋭い少女が鋭さをそのまま由流華に向けた。そのまま手も上げずに自己紹介を始める。
「
「年齢は?」
短く終えた補足をするように、小春が優しく訊ねる。
幸恵は小さく舌打ちして、どうでもよさそうに答えた。
「十五。これでいいだろ」
言い終えると、幸恵は立ち上がって歩いて行ってしまった。小春も立ち上がり、由流華にごめんとばかりに手を合わせると幸恵についていく。
ののはぱん、と手を叩いた。
「自己紹介はこんなところで。あとは生活に必要なことを説明するからついてきて」
ののは由流華が使った食器をお盆にまとめて地下室の端っこまで持っていった。
「使い終わったらここで洗うから。持ち回りでやるんだけど、由流華は明日からやってもらうね」
そこにはホースのようなものが天井から垂れていた。ののが小さくレバーをひねると、水がちろちろと垂れてくる。
「これで水を溜めて洗濯だったり体を洗ったりするんだけど、使いすぎないようにね。桶ごとに用途も決まってるから間違えないようにして」
ののがする説明を、どこか夢心地で聞く。そんな由流華の肩に手を置いて、ののが囁く。
「どう、やっていけそう?」
「やっていけそうって……」
「ま、やっていけないって言われてもどうしようもないけど」
ののはあっさりと匙を投げるように言って、由流華の肩をとんとんと叩いた。
「できるだけはやく受け入れた方が楽だよ」
「……一年もここにいるんでしょ。出たいって思わないの?」
「出られないからね」
ののは何の感情も見せない口調で言い放つ。
「ショックなのはわかるよ。しばらくは寝れないかも。でも仕方のないことだから諦めないと」
「諦めない」
叩きつけるように、由流華は宣言した。
「あたしは出ていく。やらなきゃいけないことがある」
耳に触れる。今は何もない。あったはずのピアスは、エンリケに取られてしまったのだろう。
あれがない限り、灯に会うことは絶対にできない。それなら、由流華のすることはたった一つだ。どんなことをしてでも、灯と再会する。
それだけは、どうしたって諦めるわけにはいかない。
ののは小さい子供をあやすように、柔らかく微笑んだ。
「少し時間が経てば由流華も受け入れるよ。私たちはただの女の子で、ここから出ることなんてできないの」
「そんなこと知らない。あたしは絶対にこんなところ出ていく!」
声を荒らげる由流華に、ののは余裕そうに「しー」と人差し指を唇にあてた。
瞬間的に頭が怒りで沸騰しそうになったが、こぶしを握り締めるだけでなんとかこらえる。
こんなところ、すぐに出る。
ここから出ない限り、灯に会うことはできないのだから。
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