第28話 地下室

 目を覚ますと、ひどく頭が痛んだ。

 鈍い痛みを振り払おうと頭を振ろうとするが、全身が重たくそんな動作だってままらなかった。腹ばいになり、指で床を掻いてなんとか起き上がろうとする。


「あ、起きた」


 無感動な声に、鈍い頭をそちらに向ける。

 あぐらをかいた黒いロングヘアの少女が、本を下ろして由流華を見下ろしていた。

 呆然と見返す由流華に、少女は本を持ったままやはり無感動に訊ねる。


「動けそう?」


 声を出して答えるのも億劫で、手で床を押して起き上がる。苦労しながらも少女と同じ体勢になって向き合う。そうしたところで全身のだるさは何も変わらず、すぐにでも横になって眠ってしまいたかった。


「なにが、あったの……?」


 自分の声もどこか遠く、舌っ足らずに聞こえる。頭がふらつき、ちゃんとした思考ができていないことがかろうじてわかった。


「まだよくはわかんないか」


 少女は言って、手で辺りを示すように振ってみせた。

 痛む頭を鞭打って動かす。

 広い空間だった。学校の教室が三つ分ぐらいはありそうなL字の部屋の中、更に少女が四人いた。二人ずつで固まって、話したり由流華の方を見たりしている。

 余計に訳が分からなくなった。説明を求めて、ロングヘアの少女に視線を戻す。

 少女は面倒そうに頬を掻いた。


「そもそも、ここに来る前のことわかってる?」

「えっと……」


 口にしようとしたことが形にならなかった。

 頭痛をこらえて考える。目を覚ます前に、何があったのか。頭がずきんと痛む度に、映像が少しずつよみがえってくる。

 ノエル……ギフトタグ……エンリケ……ショートカミング……


「そうだ、エンリケさんとギルドに来てそれから……」


 助けを借りるように左耳に手を触れる。

 そこにあるべき感触が無くなっていて、ぞわっと背筋が震えた。記憶より、現状よりもはるかに大事なものが一息に頭の中に溢れる。

 ほとんど無意識に、無理矢理立ち上がる。が、足に力が入らずにすぐに床に倒れ込んだ。


「ああ、無理しないの。まだ動くのは辛いでしょ?」

「ここはどこ!?」

「エンリケの地下室だよ」

「地下室……?」


 訳が分からずにうめく。遅れて、ここまでの記憶が完全によみがえった。

 エンリケにギフトタグを渡して、水を飲んだら眠くなって……


「エンリケに何言われたのか知らないけど、あいつの目的は最初から決まってるの」

「目的?」

「ギフトタグ」


 少女はもったいつけるように一息空けた。

 訊き返す気力もなく、由流華はただ視線で先を促す。


「あいつはギフトタグをたくさん集めたいらしくてさ。私たちのような転生者をさらってはギフトタグを奪ってるんだよ」

「エンリケさんは、正式な鑑定をするって……」

「全部嘘なんだって。ギフトタグを奪って、ここに監禁するためなんだから」

「じゃあ……ここの人たちはみんな?」

「うん。エンリケに騙された間抜けたち。私も含めてね」


 おかしくもなさそうに少女は笑う。膝を立てて、手に持っていた本を放るように床に置いた。


「ま、大人しくしてたら悪いことはないよ。ある程度は希望も叶うしね。入ったことはないけど、刑務所よりはマシな暮らしだと思うよ。運が悪かったと思って諦めるんだね」

「そんなこと知らない。あたしはここから出て……」

「どうやって?」


 少女は被せるように言って、横に視線を向けた。その視線を追うと、部屋の出入り口にあたるところに鉄格子があるのが見えた。先ほどは気づかなかったが、まさに刑務所のように(由流華だって入ったことはないのでよくは知らないが)閉じ込められている。

 その向こうに、男が一人椅子に座っていた。エンリケではない。若い男がテーブルに足を乗せて、何やら飲んでいる。顔が赤らんでいるところを見ると酒なのだろうか。


「わかったでしょ。ダルいだろうし、とりあえず今日は大人しくしてなよ」


 そんな少女の声を無視して、由流華は歩き出した。

 全身が重い。動けるような状態なのはわかっていたが、そんな冷静な声は由流華に届くことはなかった。

 エンリケはノエルの持っていたギフトタグは全て持っていった。が、それだけではない。

 灯のギフトタグであるピアスも、由流華から失われていた。

 それだけはダメだ。絶対に許すことはできない。あれだけは、由流華が持っていなければいけないものだ。他の何を奪われたって構わないが、灯のギフトタグだけは譲れない。

 倒れ込むようにして、鉄格子を叩く。がしゃんと音がして、男が眠そうな目を由流華に向けた。目はとろんとしていて、だいぶ酔っていそうではあった。


「起きたのか。飯はまだだよ、我慢しとけ」

「返せ!」

「あ?」


 男が凄んでくる。構わずに、もう一度鉄格子を思い切り叩いた。


「あたしのピアスを返せ! あたしのものだ!」

「お前、状況わかってんの?」


 男は不機嫌にうなって立ち上がり、気怠そうに指をさしてきた。


「お前がそこを出ることはもうないんだよ。お前のものなんて何一つない。わかったら戻って寝てろ」

「返せって言ってんだ!!」


 身体強化を全力で入れて三度鉄格子に拳を撃ちつける。そんなことで鉄格子はびくともしないし、身体強化がちゃんと入っているのかもよくはわからない。それでも何度も何度も鉄格子を叩き続ける。


「返せ!!」

「うるっせえよ!」


 男が怒鳴り返して、右手を持ち上げて由流華に向けた。

 由流華の視界に光が走る。と知覚すると同時に、全身が鋭い痛みと痺れが駆け抜けた。


「か、はっ……?」


 膝をつく由流華に、男が歩み寄ってくる。その右腕には、白い手甲のようなものが装着されていた。

 男は笑っていた。嗜虐的な笑みをたたえて、由流華を見下ろしている。


「大人しくしとけっての。また食らいたいのか?」

「……せ」


 鉄格子を掴む。もともと重かった身体に攻撃を受けたことで、身体はほとんど言うことをきこうとしていない。足はがくがくと痙攣していて、立ち上がるのを邪魔してくる。

 掴んだ鉄格子を支えに、少しずつ体を起こす。ほんの少しでも力を緩めたらたちまちに倒れるような状態の中、立ち上がった由流華は男を睨みつける。


「……返せ」

「うぜぇ」


 男の返事はその一言と、再度の攻撃だった。

 全身を貫く痺れは、今度こそ由流華から力を奪った。床に倒れ伏し、指一本も動かせないままぴくぴくと痙攣する。


「おい、連れてけ!」


 男が戻っていく足音と誰かが由流華に近づく足音が交互に聞こえる。


「まったく、大人しくしておけばいいのに」


 そんなぼやきを耳にして、由流華はまたもや意識を手放した。

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