第27話 エンリケ・アズファイア

 都市に着くころには、日が沈み暗くなり始めていた。

 馬車が止まっても、エンリケは降りようとしなかった。互いの顔が見えづらくなっている状態で、エンリケは由流華に静かに話しかける。


「確認するけど、都市に入ったら真っすぐに僕のギルドに向かう。なるべく目立たないように、いいね?」


 繰り返しの話だったので、由流華も黙ってうなずいた。

 道中の馬車で都市に着いたらどうするのかということを話し合った。話し合ったというが、実際には話していたのはほとんどエンリケで由流華は相槌で弥生にいたっては発言らしい発言もしなかった。弥生は時折由流華を睨み、ずっとエンリケの隣にひっついていた。

 リヴァイブに行くのは勧められない、とエンリケは言った。

 由流華としてはまず最初に行くべき場所と考えていたが、いきなり由流華が現れてノエルが死んだと言われてもリヴァイブ側がパニックになるだけだ、と言われて納得した。

 だから最初に弥生がリヴァイブで事情を説明する。由流華はその間エンリケのギルドにとどまるという話になった。


「正式な鑑定の手配にも時間はかかるし、返済のことも考えるとキミには僕のギルドに身を寄せた方がいいだろう」

「エンリケさんのギルドに入るってことですか?」

「それも視野に入るが、細かいことはあとで話そう」

「……わかりました」


 選択の余地もなく由流華は了承した。立場を考えれば、選り好みなどはできるわけもない。

 エンリケがいなかったら、都市に戻っても何もできないままだっただろう。現地の人間でもあることは由流華にとっては心強いのも確かだった。


「都市に入ったら別行動だ。ユルカくんは僕と一緒にショートカミングに向かう。ノエルくんの剣もあるし、目立たないようにしてくれ」

「わかりました」


 ショートカミングとは、エンリケの運営するギルドの名前だそうだ。

 話が決まると、以降は黙ったまま馬車が進んだ。時折弥生の視線が突き刺さるのを意識して、胸が締め付けられる。

 リヴァイブと話すことになれば、どれほどの反応があるかわからない。弥生以上の憎しみを向けられることもあるだろう。だがそれは由流華が受け止めるべきものだ。どんなことをされても、文句など言えるはずもない。

 その覚悟と、ギフトタグの鑑定と。

 都市に着いたら待っている二つのものに、由流華の心は揺れに揺れていた。意識すればするほど、思考は深く沈んでいき周囲が見えなくなっていく。

 馬車での移動中、由流華はそうやって自分の思考に沈みひたすら自責を続けていた。

 都市に到着し確認を終えると三人は馬車を降りた。

 一週間も経ってないのに、いやに懐かしいものに思えた。それも、色々ありすぎたせいだろうか。

 エンリケの主導で都市に入った三人は、手筈通りに二手に別れた。市場を避け、人通りの少ない道を進んでいく。

 ついきょろきょろしてしまう由流華に、エンリケの叱責が飛んだ。


「目立つな、とは言ったが必要以上に気にすることはない。むしろ普通にしててくれ」

「は、はい」


 慌てて返事をして背筋を伸ばしてついていく。

 エンリケの声はいやに硬くて、由流華の緊張も否応なく高められた。都市のなかだというのに、まるで絶域の中のようにエンリケが警戒をしているのも伝わってくる。やや過剰ではないかと思えるほどに。

 由流華がリヴァイブのメンバーと出くわせば、ただでは済まないことはわかる。だが、それだけでこんなに周囲を気にしなければいけないものなのだろうか。

 トーイロスの常識を由流華は何も知らない。由流華が見当はずれなことを考えるだけなのかもしれない。それでも、エンリケの硬さには何か違和感があった。

 だが、現状エンリケの伝手である正式な鑑定を頼るしかない。むしろそのことで変に敏感になっているのかもしれなかった。

 そう納得して、できる限り静かにエンリケの後ろをついていく。

 しばらく歩くと、不意にエンリケが「ここだ」と鋭く囁いた。

 由流華が建物を確認しようとすると、エンリケは由流華の肩を抱いてギルドに押し込むようにした。


「早く入るんだ」

「は、はい」


 ギルドの中は広く、まるで高級ホテルのように洗練されていた。ロビーのようなスペースは整然としていて静かに花が飾られている。由流華は高級ホテルなどに宿泊したことはないが、きっとこういうところなのではないかと思わされる。

 エンリケの趣味なのだろうか。そうだとすればなんとなく納得できてしまう。

 外からはちゃんと見れなかったが、かなり大きい建物のようだ。ひどく場違いなところにきてしまったように感じられて、居心地悪さに身を縮める。


「帰ったの?」


 奥のドアが開いて、女性が姿を現した。

 赤黒いロングヘアを一つにまとめていて、目つきの鋭さが目立つ。ダイアナと同じぐらいの年齢に見えた。

 女性は由流華を認めると、じろりとした視線を由流華とエンリケの交互に流した。


「客?」

「ああ、うちのお客様だ」


 エンリケの答えに、女性はこれみよがしに溜息を吐いた。頭を掻いて、エンリケを睨みつける。


「そういうことするなら先に言えっていつも言ってるだろ」

「偶然の出会いだったんだ、仕方ないだろう。用意してくれ」

「はいはい」

  

 女性は雑に返事をして、由流華を見て再度溜息を吐いた。

 女性がドアの奥に消えると、エンリケの手が由流華の肩に乗せられた。


「彼女はリンダだ。すまない、態度ほど悪いやつではないんだが」

「いえ……」


 どこか釈然としない思いを抱きながらも曖昧に頷く。

 何かが変なような気がするのだが、その正体が掴めない。


(気のせい、かな)


 心身の疲労が、普段気にさせないことを過剰に気にさせているのかもしれない。


「剣は重いだろう。預かるよ」

「え……っと」

「どうした? 弥生が結果を持って帰ってくるのに時間がかかる。移動の疲れもあるだろうし、まずは休んだ方がいい」

「は、はい」


 頷く。エンリケの親切心にうまく反応できない自分が少し嫌になった。

 ノエルの形見となったこの剣は、リヴァイブに渡すべきものだ。そうする前に一時的にも手放すのを躊躇ってしまった。

 一体何様のつもりなのだろうと自己嫌悪する。由流華自身が一番、ノエルの剣を持つ資格などありはしないのに。

 剣を下ろしてエンリケに渡す。エンリケは恭しく受けとって、リンダが入ったのとは別のドアに由流華を案内した。

 応接間のような部屋だった。中央にテーブルがあり、挟んだそれぞれにソファが置かれている。こちらはシンプルな部屋で、必要なものだけを用意しているといった雰囲気だった。

 座るように勧められて、ソファに腰かける。ぎし、と少しきしむ音がして、こっそり座りなおす。

 向かいに座ったエンリケは、ふぅと疲れを乗せた息を吐いた。


「ノエルくんが持っていたギフトタグを出してもらえないか」

「はい」


 言われたとおりにして、テーブルの上に並べる。ほとんどがアクセサリーのような見た目のものだ。こうして見てみると、不思議な力を持っているようにはまるで見えない。

 エンリケはそれらを見て深い笑みをたたえていた。何度か頷いて、そのうちの一つを手に取る。


「なるほど、素晴らしい……」

「エンリケさん?」


 不安に呼びかけると、エンリケははっとしたようにしてギフトタグをテーブルに置いた。由流華ににっこりした微笑みを向け、手を組んで自分の膝に頬杖をつくようにした。

 と、ドアが開いた。


「持ってきたよ」


 先ほどの女性――リンダがお盆にグラスを二つ乗せて部屋に入ってくる。

 透明なグラスを由流華に、柄のついたグラスをエンリケのところに置くと、リンダさっと踵を返す。

 その背中にエンリケが声を投げた。


「コーエンはどうしてる?」

「……部屋で大人しくしてるよ」


 静かに言い置いて、リンダは今度こそ部屋を出ていった。

 エンリケは視線をドアに向けていたが、すっと由流華に視線を戻した。


「喉も乾いているだろう。飲むといい」


 言って、エンリケがグラスの水を一息に飲み干す。

 満足そうにグラスを置くエンリケに、由流華の喉がごくりと鳴った。ソファに座って落ち着いてから、疲労と空腹に喉の渇きもかなり意識してしまっている。

 いただきます、とつぶやいて一口だけ口に含む。飲み込むと物足りなくなって残りの水も全部飲み干した。

 身体中に冷たさが広がっていく心地よさに目を閉じる。このまま眠ってしまいそうなほど、美味しい水に感じられた。


「眠っていていい。弥生が来たら起こしてあげるよ」

「いえ、起きてます」


 事が事なのだから、自分だけ寝て待っているというわけにはいかない。弥生がすぐ戻ってくるとは思わないが、だからこそきちんと待っているべきだ。

 それなのに妙に眠気がこみあげてきていた。頭が鈍っているのを自覚できるが、堪えようのない眠気に頭ががくんと揺れる。

 倒れそうになる身体をなんとか支える。疲労はあったが、こんなに急に眠くなるのはおかしいような気がした。

 目を擦ろうとしても、腕を持ち上げることすらできない。ずるずると横に倒れていき、ソファで寝る格好になった。

 気力を振り絞って目を見開いて、エンリケを見上げる。

 エンリケは、ひどく嬉しそうな笑みを表情に刻んで由流華を見下ろしていた。


「おやすみ」

「…………」


 口が開かない。何かを考えることもできないぐらい、眠気が全身を支配していた。

 目を閉じると、一瞬で由流華の意識は沈んでいった。

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