第22話 ノエル②

 ノエルの提案に、由流華の身体は完全に硬直した。


「灯さんがトーイロス人なら、こっちに戻りたがってるんじゃないかな」

「――――!」


 由流華の反応に勢いづいたようにノエルが続ける。


「私は日本に帰りたいだけ。そうしたらこのギフトタグは持ち主に必ず返すよ。由流華がどうしているかってのも全部話す。灯さんが由流華と会うことを望むなら、故郷に帰ることを望むなら、二人はまた会える」

「……灯に会える?」


 由流華のつぶやきに、ノエルは薄く笑った。


「そうだよ。だから、私にこのギフトタグを預けてほしい。絶対に悪いようにはしないから」


 ノエルの言うとおりにすれば、灯に会える。

 そのアイデアに飛びつきたい自分がいる。だが、同じぐらい強く自分を制する声も内側から聞こえていた。


(なんで?)


 灯に会うことだけが、由流華の全てだ。それならば、ノエルの提案に乗ったっていいはずだ。

 違和感が頭の中を駆け巡っている。何かがおかしい。それなのに、それが何なのかはわからない。


「どう?」


 答えを急かして、ノエルが囁く。

 どう答えるのがいいのかわからず、顔をしかめて必死に頭を回転させる。

 そのまま少しして、ノエルが声のトーンを落として言った。


「答えなくてもいいよ。私はやるから」

「待っ……!」


 身体を無理にひねると、右肩のあたりに激痛が跳ねた。それを感じ取ったかのようにノエルの拘束も解ける。

 身体を起こす勢いで、ノエルに手を伸ばす。服でも髪でも、とにかくなにか掴めれば。

 由流華の手は呆気なく空を切り、受け身も取れずに地面に顎を打った。


「あ、ぐっ……」


 無事な方の左手を地面につけて、身体を起こす。

 ノエルは数歩離れた位置で戸惑ったような表情を浮かべていた。それも一瞬のことで、意思を感じさせる硬い眼差しをたたえ剣を構える。

 緊張が全身を駆け抜け、半歩引く。いや、と意思の力でそれをねじ伏せる。ノエルがどんなつもりでも、灯のピアスは絶対に取り戻す。

 由流華が飛び掛かっても、ノエルは同じ分だけ距離を取る。動きはまったく見えない。反撃も何もなく避けられ続けて、由流華の気力と体力だけが削られていく。

 かつての鬼ごっこのようだ。あの時より、ノエルの躱し方には隙がない。徒労感だけが身体に刻まれていく。どうすればこんな動きができるのか、とっかかりすらもつかめない。

 膝の力が抜けて、地面に両手をついた。ノエルはそれを冷ややかに見下ろして告げる。


「由流華じゃ無理だよ。私は止められない。大丈夫、ちゃんと灯さんを探して渡すから」

「……はっ……はっ……」


 由流華はと言えば呼吸は乱れ、まともにしゃべることもできない。

 反対に、頭だけは働いていた。引っかかっていた違和感が、もう少しで形になりそうなのに像を結ばない。酸素を求めて息を吸い込み、脳に回れと繰り返す。

 死亡すると転生できるギフトタグ。


(……そうだ)


 それがあるなら、トーイロスから転生した時もすぐ帰ることができたはずだ。由流華と仲良くなってからは、今いる場所に居心地の良さを感じていたように見えたが、少なくとも転生してすぐの時は不安で帰りたくなっていてもおかしくない。

 そうしなかったということは、何か理由があるのではないだろうか。

 由流華が見ている限りでは、灯は昔を懐かしがったりする様子はほとんど見られなかった。単純にトーイロスに良い記憶がないのかもしれないし、転生の条件を満たすために自ら死ぬのが難しかったのかもしれない。

 呼吸を落ち着けることに集中する。由流華がどうやっても、ノエルを捕まえることはできない。ならば、説得するしかない。

 立ち上がって、ノエルを真っすぐに見つめる。


「ノエル、ダメだよ」

「どうして?」

「……そんな都合の良いことなんておかしいよ。いくら魔法があるような世界だからってもっとちゃんと考えた方が」

「黙って」


 ノエルのその一言だけで。

 由流華は膝から崩れ落ちた。


(……え?)


 身体が動かない。全身ががくがくと震えて、ノエルの顔を見ることができない。

 ノエルが、怖い。


「四年、この世界にい続けたんだよ。帰る手段がないだなんて何回言われたかわかったもんじゃない。無理だって思ったことだってある。

来て一か月も経たない由流華に私の気持ちはわからないよ」

「ノエ、ル……」

「名前を変えたのは、良かったことかな。トーイロスで友達もできたし、思い出だってたくさんある。それでも、私は日本に帰る。由流華のお陰で、私は……」


 言葉を切って、ピアスを耳につけた。着け心地でも確かめるように、頭を軽く揺らす。

 ノエルは剣の刃を己の首筋に当てた。


「安心して、約束は守るから」

「ノエル、待っ――」


 ノエルは目を閉じ、剣を一息に引き切った。

 由流華の眼前で、ノエルの首から鮮血が吹き荒れる。

 ノエルはぐらりと横に倒れた。遅れて、鮮血が草木を叩く音が耳に届く。


「いやああああああああああ!!」


 由流華は頭を抱えて絶叫した。歯ががちがちとなり、涙がこぼれる。

 なんで、どうして――

 とりとめのない嘆きが脳内で繰り返される。目の前で倒れたノエルの姿に強いショックを受け、地面から顔を上げることができない。

 全て終わりだ。灯のピアスは失われて、もう由流華にはどうしようもない。

 どれぐらい経ったのか、由流華はよろよろと立ち上がろうとした。が、足に力が入らずに地面にへたりこむ。

 視界もふらつき、意識も定かではないように思えた。さっきまで頭を必死に働かせようとしていたのに、今は脳が考えることを拒否しているようだった。

 ふと、視界に違和感があった。なんだろう、と思うが思考を拒否した脳はその正体を探ることができずにいる。


「ノエル……?」


 やがて気づく。そうだ、ノエルがいる。

 地面に倒れてぴくりとも動かないノエルを見て眉をしかめる。よく注意してみると、耳にはピアスが光っていた。

 転生しても体は残るのだろうか? いや、マリーは灯が転生したときは体が消えたと言っていた。それに、転生をしたならギフトタグが残っているわけがない。

 由流華がどれぐらい呆けていたのかわからないが、転生にそこまで時間がかかるとも思えない。

 動くこともできず、そのままノエルを見つめ続ける。

 何も起こらない。ノエルの身体はそこにあるし、ピアスも残っている。


「生き、て?」


 今更その可能性に思い至り、よろめきながらノエルの身体に触れに行く。

 手を触れさせると、驚いて思わず手を引っ込めた。ノエルの身体はあまりにも冷たかった。

 震える手で再度ノエルに触れる。

 どう考えても、結論は一つしかなかった。

 ノエルは死んでいる。

 そして、転生は行われていない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る