第21話 ノエル①
「ノエル!」
名前を呼びながら小屋を出る。
返事はなく、夜風が緩く吹くだけだった。空気は冷えていて、夜の寒さが辺りを占めている。が、由流華の全身は沸騰するように熱くなっていた。
(灯のピアス……!)
着けたまま眠ってしまったはずなのだが、いつの間にか由流華の耳からなくなっている。寝ている間に外れたのかとも思ったが、見当たらなかった。
まさか、と思いつつも由流華は一つの結論を考えざるを得なかった。
由流華の枕元に立ち、「ごめんね」と部屋を出たノエル。
「嘘だよね、ノエル……」
呆然とうめく由流華の声に答えるものはない。
ノエルはどこに行ったのだろうか。とにかく探して話を聞かないといけない。
初めて来る土地勘のない村は、どこになにがあるのかはわからない。だがそれはノエルも同じはずだ。だからといって、当てがないことには変わらないが。
道を走っていると、あっという間に息が切れてきた。でたらめに走ったところでノエルが見つかる見込みがあるわけはない。ノエルは四年トーイロスにいて、由流華よりはるかに高い身体強化を扱える。本気で逃げたとすれば、とっくに遠くまで行っているだろう。由流華に追いつける道理は何もない。
だからといって諦められるわけはない。あのピアスはなによりも大事なものだ。灯に会うためなら、なんだってする覚悟がある。
道の先に、人影が見えた。誰だかわからなかったが、全力で駆けよる。
人影の正体が見えて、思い切りその名を叫ぶ。
「ノエル!」
ノエルはこちらを見ていなかった。掌に載せているピアスをじっと見降ろしている。
ピアスを目にして、由流華は爆発した。
「ノエル!!」
激しい怒声に、ノエルはゆっくりと顔を上げてこちらを見た。
そして、ノエルの姿が消えた。
「え?」
唐突な消失に、呆然とうめく。
今まで幻覚でも見ていたかのような感覚に陥り、思わず足を止める。周囲を見回しても、影も形もない。
幻の訳がない。間違いなくノエルはここに立っていた。移動したのだ。それを由流華がとらえられなかっただけで。
がさり、と小さな音がした。
右方向にある林のところに、ノエルが見えた。ノエルをこちらをちらりと見ると、林の中に消えていく。
「待って!」
悲鳴のように叫び、後を追う。
林に入っても、ノエルがどこにいるのかはわからない。ただがむしゃらに足を前に運び続ける。
ノエルの姿は見えない。音も聞こえない。気配なんかわかるわけもない。
走っていると、耳で揺れるピアスを感じることがある。しかし今は何の感触もない。そのことが、由流華の身体を力を与え、吠えながら走り続けさせた。
木の根に足を引っかけて地面に転んだ。即座に起き上がり、倒れ込むように前進する。
「ノエル! どこ!?」
声を荒らげる。返事があるわけはないし、聞こえていればそれをもとに逃げられるかもしれない。そんな冷静な考えが頭の隅にはあったが、激情がコントロールできない。
呼吸は激しく荒れて、足がもつれる。酸欠になりかけていて頭がぼーっとし始めてきた。
それでも、由流華は足を止めない。そんな選択肢がどこにもないように、とにかく前へ進む。
「由流華!」
突然名前を呼ばれて、足を止める。
膝が抜けそうになるのをこらえて、なんとか踏みとどまる。
今の声は……
呼吸を整えながら、声の主を探す。
「それ以上はダメだよ」
正面にノエルが立っていた。正面と言っても、20メートルは離れている。
すぐさま捕まえようと足を踏み出しかけて、
「止まりなさい!」
激しい怒声に、さすがに足を止める。いや、止めさせられた。
身体が固まり、呼吸が整うにつれて全身に酸素が回り視界がクリアになっていく。
ノエルが由流華を止めた理由が、眼前に広がっていた。
崖があった。由流華とノエルは対岸の端に立っている格好になっている。お互いの距離が、そのまま崖の大きさだ。
底は見えない。夜の暗闇のせいで見通すことができず、どれほどの深さかわからない。ノエルが止めたということは、浅いということはないのだろう。
「由流華、私は――」
ノエルが何か言おうとするのを聞きもせず、由流華は助走をつけて崖を跳んだ。
全力の身体強化を入れて跳んだのだが、あっという間に身体が落下を始めた。半分ほどにも届かず、空に手を掻く。
「っ、馬鹿!」
ノエルが跳んだ。矢のような軌道で、真っすぐに由流華にぶつかった。
その勢いで、由流華の身体が押し戻される。二人はもつれあうようにして安全な地面を転がった。回転する視界の中、必死にノエルの姿を探す。
ノエルは既に体勢を立て直していた。それより遅れた由流華は、しかしすぐにノエルに飛び掛かった。
一瞬ののち、由流華は地面に倒れてノエルに押さえつけられていた。
「!?」
何をされたのかまったくわからなかった。ノエルの身体に触れたと思ったらこうなっていた。
ぎりっと歯を食いしばる。すぐそこに灯のピアスがあるというのに、何もできない。全力で抵抗しようとしているのに、ぴくりとも動かすことができない。
うつ伏せの状態で、由流華はノエルを問い詰める。
「ノエル、説明してよ!」
「…………」
「ノエル!」
「ごめんね」
やっと返ってきたのは、小さな謝罪だった。
「意味わかんない、説明してよ!」
「……由流華は、これがどれだけ貴重なものかわかる?」
ノエルの声は震えている。なにかに怯えるように、あるいは喜びに震えるように。
「転生者は誰もが帰ることを考える。けれど全員が方法はないんだって受け入れる。遅かれ早かれトーイロスで生きていく覚悟を固めていくんだよね。転生し直すなんて、トーイロスのどこを見てもなかったことだから」
「だから何!?」
「私は諦めてなかった。どうしても帰りたかったから、方法を探してトーイロス中を冒険した。それでも方法なんて――」
ノエルは躊躇うように話を止めた。かすかに、苦笑の気配を感じる。
「こんなギフトタグ、他には絶対にないよ。これがあれば、日本に帰れる」
「――返して!」
「由流華は、帰りたいわけじゃないんだよね」
「返して!!」
同じことを繰り返す由流華の耳元で、ノエルが囁いた。
「私が転生したら、灯さんにギフトタグを返す。そうしたら、灯さん次第でまた会えるよ」
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