第20話 混乱

 由流華の強行は、実際には一分も持たなかった。

 走り続けていた由流華の腕が掴まれて、無理矢理に動きを止められたのだ。


「由流華、どこ行くの?」

「ノ、ノエル……?」


 息を切らせながら振り返る。ノエルの鋭い眼差しに貫かれるような錯覚を覚えて、息を呑んだ。

 嘘のように、ノエルの表情がいつもの穏やかなものに戻った。由流華の腕を引いて、背中をぽんぽんと叩く。


「落ち着いて。まずは宿に行こう」

「宿……?」

「うん。一泊するって言ったでしょ。村長さんが用意してくれてるって。聞いてなかった?」

「えっと……」


 聞いたような気もするが、よくはわからない。というか、それどころではない。

 ノエルはマリーの家の方を見やった。


「あっちは適当に言ってきた……とにかく、今はゆっくり休もう。混乱してるでしょ」

「…………」


 ノエルの気遣いにぼんやりと頷く。

 手の中のピアスを着け直す。あるべきところに収まった感覚に、わずかな安心感がこみあげた。

 ノエルの後ろをついていきながら、マリーの話を頭の中でまとめようとした。だが、一つの事実が浮かんでくるばかりで他のことは考えられなかった。

 灯が生きている。

 これ以上嬉しいことはありえない。灯が生きているのなら、会いたい。会って、謝り、今度こそ灯とずっと一緒にいたい。


(死亡すると転生するギフトタグ)


 装着したまま死亡したことにより灯は転生した。ならば灯は今日本にいるということになる。

 由流華も、このギフトタグを使えば――


「由流華、着いたよ」

「……あ、うん」


 着いたのは、ほとんど小屋のような建物だった。ぽつんと浮いているかのような存在感がある。はっきり言えば大きめの物置にしか見えない。

 ノエルはちらりと由流華を見て苦笑した。


「中はちゃんとしているって言ってたから、まずは入ってみよう」


 確かに中は整頓されて清潔そうでもあった。シンプルな調度があるだけの簡素な室内だったが、宿泊するだけなら何の問題もなさそうだ。

 テーブルには野菜や保存食のようなものも用意されていた。手に取ってみると、新鮮で質の良いものだと分かった。この村で採れたものなのだろう。


「これで何か作ろうか」

「そう、だね……」

「由流華、何か作ってくれないかな」

「あたしは……ごめん、今は……」


 断る由流華をじっと見つめるノエルは、「そっか」と軽く笑った。

 座るように促されて従う。食事の準備にかかるノエルに視界にしながら、耳に着け直したピアスに触れる。


(灯……)


 胸中で呼んだところでもちろん届くことはない。その相手は、日本にいるのだから。

 どのぐらいそうしていたのか、気づくとノエルが皿に盛りつけた野菜炒めをテーブルに並べていた。


「簡単なものだけどね。いい?」

「う、うん……」


 普通に食事が始まったことに困惑するが、何も言うことができない。ノエルの態度はどこか変な気もするが、ひょっとすると自分の方がおかしいのだろうかとも思わされてしまう。

 食事を摂っている場合だろうかと疑問する。今はこんなことをしている場合ではないのではないか。

 でも、だったら何をするというのだろう。昨日までの前提が全てひっくり返ったのはわかっているが、何をするべきなのかがわかっていない。思考がまるで追いついていない。


「まず、寝よう」


 由流華の思考を読み取ったかのように、ノエルが言った。


「由流華が混乱するのは当然だよ。そんな状態で何か考えてもろくなことは浮かばない。だから、ご飯を食べて、寝るの」

「でも、ノエル……」

「いいから。そうして」


 優し気な口調だったが、有無を言わせない響きがあった。

 ノエルの言う通り、こんな状態で何かを考えても良いことはないのかもしれない。だからといってそんな簡単に割り切れるわけもない。ノエルの言ってることは正しくても、反感を感じていた。

 食事を終えると、早々に床に就くことにした。というより、ノエルがそうしようと言っただけなのだが。


「お酒があれば良かったかもね」

「…………」


 ノエルの冗談にも応えずに、ベッドに横になる。寝室は手狭だったが、ちゃんと掃除がされていた。使っていなかったであろう家をここまでキレイにするのは大変だっただろうな、とそんなどうでもいいことを思った。

 ノエルは何も言わずにランプを消した。部屋が暗くなるが、窓から月明かりがほどよく入ってきていた。

 しばらく窓の向こうを眺める。とても眠れるように気持ちではなかった。


「由流華、寝た?」

「……ううん」


 小さく応じると、ノエルのベッドで寝がえりをうつ気配がした。


「寝れない?」

「そりゃそうだよ……あの話って、どこまで信じていいんだろう」

「由流華のつけているピアスは転生のギフトタグなのは間違いない。それが今あるってことは、生産者である灯さんも生きていると考えるのが妥当だよ」

「……じゃあやっぱり、灯は生きてるんだ」


 ノエルの保証で、言葉だけではなく実感が胸に染み入ってくる。

 こらえきれずに、涙がつうとこぼれてきた。


「よかった……灯……」


 涙は止まらず、すすり泣く。静かで暗い部屋の中、由流華の泣き声だけが響き続ける。


「どうするの?」


 由流華が泣き止むのを待って、ノエルがそう訊いてきた。


「どうするって?」

「灯さんはおそらく日本に転生しなおしてるだろうね。由流華の手にはギフトタグもある」

「……あたしが死ねば、灯のところに帰れる?」

「そうなると思う」


 難しい話ではない。判明した事実を踏まえると当然の帰結となるだろう。

 ただ、降ってわいたような都合のいい話を信じ切ることができていなかった。

 由流華には、灯より優先するものは何もない。迷うことなど、何もないはずだ。


「灯に会いたい……」

「会えるよ」

「…………」

「なんなら、私がやってもいい」

「……え?」

「私の剣で由流華を斬れば、転生できる」

「……ノエル?」


 一瞬、ノエルがおかしくなったのかと思った。

 だが、ノエルはおかしいことを言っていない。

 転生の条件は死ぬことで、ノエルに斬られれば条件を満たすことができる。

 そうすれば、灯に会えるのだ。

 鼓動が早まっていくのを感じる。灯に会いたい。今すぐにでも会って、話をしたい。


「ノエル、あたし……!」

「なんてね」


 勢い込む由流華を挫くようなタイミングで、ノエルはおどけたように軽く言った。


「言ったでしょ。今日の由流華は何も考えちゃダメ。寝て、頭をすっきりさせてから考えるの」

「でも、あたしは……!」

「由流華」


 再度遮られると、それ以上何も言うことはできなかった。

 深呼吸して、呼吸を整える。それでも鼓動は激しいままで、とても落ち着きそうにはない。

 目をぎゅっと瞑る。とにかく明日になってしまえばいい。

 中々寝付けないまま、由流華は必死に眠ろうとした。


☆☆☆


 いつの間にか眠れたようだったが、その感覚がなかった。

 だから目を覚まして、自分が眠っていたのかどうかわからなかった。部屋の中は暗いままで、まだ夜であることが知れた。

 視線を巡らすと、枕もとにノエルが立っていた。


「ノエ……ル?」


 寝ぼけたようにノエルの名を呼ぶ。暗闇の中、ノエルの表情はよくは見えない。

 ノエルはこちらを見下ろしている。ベッドに寝たまま見上げ返す由流華は、なにかがおかしいと思いつつも寝起きの頭は現実と夢の境で揺れている。


「……ごめんね、由流華」


 ノエルはぽつりとそれだけをつぶやいて、さっと部屋を出ていった。

 まったく訳が分からず、ゆっくりと頭を振りながら起き上がる。強い違和感があり、その正体を感覚で探る。

 気付いて、一気に血の気が引いた。


「え!?」


 ランプを点けて、慌てて枕もとを探す。

 ピアスが、どこにもない。

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