第18話 マリー・フォーブス①
「な、んで……」
かすれた声が、喉の奥から漏れた。
どうしてこんなところでその名前が出てくるのか。
ノエルが肩越しに由流華に問いかけるような視線を向けてきた。説明が欲しいのはこっちの方だと思い切りかぶりをふる。
ノエルは頷いて、女性に向き直った。
「なんのことですか? 彼女はそういう名前ではありません」
ノエルの説明にも、女性は由流華から視線を離さなかった。というか聞いてもいないようで、由流華に向かって一歩詰め寄ってくる。
「……アカリじゃないとしたら、どうしてその耳飾りをしているの? それはアカリのものよ」
女性の言葉に、由流華は直立したまま「え?」と呆けた声を出した。
一体この女性は、何を言っているのだろう。
女性のいう耳飾りとは、由流華のしているピアスのことだろう。これは灯のものだ。灯から預かった、唯一の形見だ。
由流華は混乱のまま、女性に訊ねた。
「……あなたは一体誰なんですか」
「アカリの母親です」
「……は?」
当たり前のように言い切られて、ますます混乱の極みにはまっていく。だが、納得もあった。由流華はこの女性に会ったことはない。灯に似ているのだ。灯を思い出せる面影が、既視感を覚えさせていた。
由流華は日本で灯の両親と会っている。が、義理の両親だ。灯の実の両親には会ったことどころか、話にも聞いていない。灯が話したがらなかったのだ。
混乱する由流華をよそに、ノエルが質問をした。
「あなたは転生者ですか?」
そうだ、と気付く。灯の実の親が転生していたとすれば、トーイロスにいることも頷ける。
女性はあっけなくかぶりを振った。
「違います。私はトーイロス人です」
「だったら……!」
何かを言いかけて、言葉が続かずに止まる。
突然の事態にまったく頭が付いていかない。女性の話が何を意味するのか、まるでわからない。
ノエルは由流華の肩を抱いてその場を離れた。耳元で囁くように訊いてくる。
「どういうことかわかる?」
「ううん、なんにも……どうなってるの?」
泣きそうな由流華に、ノエルは迷うように目線を逸らした。
「待って!」
女性が追いかけてくる。その表情はひどく必死で、見るものに訴えかけるものがあった。
ノエルは急かそうとしたが、由流華は反対に足を止めた。
「由流華」
「……ちょっと待って」
叱るようなノエルに逆らって、女性に向き直る。
女性はやはり灯に似ている。親子だと言われれば思わず頷いてしまうだろう。だがそれも、日本で会っていたらだ。
灯のピアスに触れる。このピアスを、灯は出会った時からつけていた。どこで手に入れたものなのか由流華は知らない。灯はひどく気に入っていたようで、これ以外のピアスを着けているのを見たことはなかった。
「……その耳飾りはどこで手に入れたの?」
「……友達から預かったものです」
「それは私の娘のものなの。アカリはどうしているの?」
「あたしとあなたが話している灯が同じ人物を指しているとは思えないのですけど」
「同じよ。それが証拠だもの」
女性の視線は、ずっと灯のピアスに注がれている。
心臓の鼓動が跳ねあがっている。女性の言葉は聞こえているのに、何を言っているのかは半分ほどしか理解できていない。
女性は最初に声をかけてきたときよりも落ち着きを取り戻していたようだった。それでも興奮を抑えられない様子で、由流華の手を掴んだ。
「お願い、話を聞かせてちょうだい……アカリがどこでどうしていたのか知りたいの」
「すいませんが」
ノエルが二人の間に割って入り、女性が掴んでいた手が離れた。
「こちらも仕事で来ています。お話なら、そのあとに……」
言いながら由流華の顔を見たノエルは、心配げに耳元で囁いた。
「しっかりして。なんなのかはわからないけど、由流華が期待するような結果にはならないよ」
「……わかってる。灯のことが関係なんてあるわけない」
応える自分の声も震えていると自覚できた。動揺しているのは自分でもわかっている。
ノエルは一つだけ間違っていた。期待することなんて何もない。灯はもういない。だったら、期待することはなにもない。
「由流華は話を聞きたいと思ってる?」
「うん……」
短く答える由流華を抱き寄せるようにして、ノエルは「わかった」と答えた。
ノエルは女性に向き直って、鋭く話を進めた。
「少ししたら伺います。それでいいですね」
「……はい」
女性は控えめに頷いて、自宅の場所をノエルに示す。
その間も、女性の視線はずっとピアスに固定されていた。
☆☆☆
「由流華」
「え……ごめん、なに?」
由流華のぼーっとした返事に、ノエルは小さく嘆息した。
依頼主である村長の話を聞いて、先ほどの女性の家に向かっている最中だ。
「さっきの女の人のこと、考えてるんでしょ?」
「……うん」
誤魔化そうとも思ったが、通じないと悟って認める。女性のことというより、灯のことをだが。
依頼の話に集中しなければならないとわかっていたのに、気が散ってそれどころではなかった。主に話していたのはノエルで由流華が発言する機会がなかったとはいえ、本当にただいるだけになってしまっていた。
こんなことではいけないと思いながらも、思考はどうしてもそちらに向かってしまう。
灯の実の母親? それがなんでトーイロスにいるのだろう。
「由流華」
いつの間にかノエルが足を止めていた。由流華も足を止めて、胡乱にノエルの顔を見る。
「全部無視してもいいんだよ。後で行くなんて言ったけど、そんなものどうでもいいっちゃいいし。どうする?」
ノエルの提案に、由流華は小さくかぶりを振った。
「あの人の言ってること、全然わからない。でも、話は聞いておきたいんだ。あの人が灯の母親なんて意味がわからないけど、だからこそ聞きたい」
「私も一緒に聞くよ。いいでしょ?」
「うん、お願い」
むしろそうして欲しかった。そうでないと、ほんの少しも冷静でいられそうにない。今だって、ノエルがいてくれているからなんとか立てているようなものなのだ。
「……ノエルは、どういうことだと思う? あの人の話」
「私は何も信じてない」
ノエルはあっさりと切り捨てるように言った。
「あの人の言うことはとうてい信じられるようなものじゃない。あるとしたら……」
「あるとしたら?」
由流華が訊き返すと、ノエルは数秒だけ由流華の顔をじっと見つめた。そしてすぐに進行方向に身体を戻す。
「行こう。聞けば全部わかるから」
「……うん」
高鳴る心臓をおさえるように胸に手を当ててなんとか返事をする。
無意識に灯のピアスに触れて、ノエルの後ろをついていった。
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