第17話 道中

 翌日、治療院を退院した由流華はすぐにノエルと合流した。

 馬車に乗り、ノエルが行先を指示する。ノエルが貸し切りにした馬車は広く、座り心地も良い上等なもののようだった。

 馬車は都市を出て、道を走っていく。なんとなく外を見ていた由流華に、ノエルはぼんやりと言った。


「車があればいいのなって思うよ」

「誰か作ったりしないの?」

「どうだろうね。仮に作ったとしても道がちゃんとできていないところは走れないしね。日本にあったものを作る人は結構いるけど、車は難しいと思う」


 馬車はやや揺れる。自動車があればずいぶん違うだろうというのはわかるが、乗りたいかと言われると別にいいかなと思ってしまう。


「日本のもので一番作られるのは食べ物飲み物だよね。リヴァイブにも酒を美味くしたいって頑張ってる人がいるよ」

「……ノエルの家で飲んだのもそれ?」

「ううん、あれは市販のラプト製。リヴァイブのはやたらアルコール強いの作ってるから私には合わなくって」


 由流華としてはもうお酒はこりごりなのだが、ノエルは楽しそうに話している。

 リヴァイブはノエルが所属するギルドだ。ギルドは家族のようなものと言っていた。ノエルが楽しそうにしているのは、家族の話をしているからなのだろう。

 ノエルにとっての居場所だからなのだと感じて、胸がきゅっと締め付けられるような心地だった。

 自分の居場所なんて、本当にあるのだろうか。


「私は酒よりスイーツの方が欲しいな。由流華も言ってた今流行ってるやつ? も食べてみたいよ」


 由流華が話した日本の現状のうち、確かにノエルはその辺りのことに強く興味を示していた。由流華は食べたことがないもののため、味の説明ができずにノエルをやきもきさせたのだが。

 そうだ、とノエルが身を乗り出した。


「由流華って料理上手なんでしょ? ダイアナさんが言ってたけど」

「ダイアナさんの過大評価だよ。普通だし……ノエルの方が上手だと思う」


 苦笑いで応じるのだが、ノエルはあまり信じた風ではなかった。


「スイーツとか、なんか作れない?」

「……プリンとかケーキなら作ったことはあるけど」

「ほんと? すごいじゃん!」

「お母さんがよく作ってたから……」

「それで教えてもらった感じ?」

「まあ、うん……」


 ノエルはますます瞳を輝かせた。その眼差しがまぶしくて、よそに視線を落とす。


「いいなぁ、今度私にも作ってよ」

「……美味しく、ないよ」

「それは私が決めるから」

「……そのうちね」


 歯切れ悪い由流華にも、ノエルは期待を込めるようににっこりと笑ってきた。

 ダイアナに作ったことで少しは苦手意識が薄れたような気もしていたが、やはり気のせいだったようだ。作る、という話が出ただけで鈍い汗をかいてしまう。

 目的の村までは二日必要とのことで、途中の宿で一泊することになっている。

 ノエルと他愛のない会話をしているうちに、宿に到着した。ノエルが部屋をとっている間、由流華は宿を観察していた。映画やゲームで見たような宿屋だ。都市のそれより素朴な作りの建物で、一階は酒場、二階が宿泊部屋になっているようだった。

 一緒の部屋に入り、荷物をベッドに置く。荷物といっても着替えが入っているぐらいなのだが。


「お腹空いてる? 先にお風呂にしようか?」

「お腹はまだそこまで空いてないかな……」

「じゃあお風呂にしよっか。一緒に入る?」

「え、い、いや……」


 反応に困って戸惑っていると、ノエルはくすりとして浴室に向かった。水が流れる音が聞こえてきたので、お湯を張っているのだろう。

 たぶんからかっただけなのだろう。ベッドに体を横たえて、ぼーっと天井を眺める。


「あれ、疲れちゃった?」


 戻ってきたノエルに、由流華は慌てて身体を起こした。


「大丈夫、疲れてないよ!」


 勢い込む由流華に、ノエルは堪えきれなくなったように笑った。

 虚勢と思われただろうかと顔を赤くする由流華に、ノエルは説明する。


「疲れてもおかしくないよ。一日馬車に揺られてたんだからね。冒険者はね、自分の状態をちゃんと把握できてなきゃいけないんだよ。今日はお風呂入ってご飯食べて、早めに寝よ?」

「……はい」


 恥ずかしさに小さくなる心地で返事をする。由流華の反射的な虚勢があっさり見抜かれたのもそうだが、まるでなっていない自分が恥ずかしく思えた。

 こんなことで本当にやっていけるだろうかと反省していると、ノエルの視線が由流華に固定されているのがわかった。


「お風呂、本当に一緒に入る?」

「入らない!」


 顔を真っ赤にして拒否する由流華に、ノエルはけらけらと笑って浴室に消えていった。

 両手で顔を覆って、盛大に溜息をつく。

 本当に、自分は大丈夫なのだろうか。


☆☆☆


 入浴も食事を終えた二人は、ベッドに腰かけて向かい合うようにして話していた。いつ寝てもいいのだが、まだ眠たくはなかった。

 ノエルが聞きたがる日本の話や、絶域や変わったギフトタグの話などを聞いてゆったりと時間が過ぎていく。

 頃合いを見計らったように、ノエルは切り出した。


「由流華さ、マムラを斃した時何を考えてた?」

「……どういう意味?」

「私が合流で来た時に、由流華は……なんていうか、満足そうだった」


 満足、という言葉はあまりしっくりこない。

 かといってこれだ、というものも浮かばないので由流華自身もうまく説明ができない。マムラを殺した時に感じたものは、これで……

 ノエルはそんな由流華を観察するようにしながら、慎重な口ぶりで言ってきた。


「そのまま死んじゃうんじゃないかって、少なくとも由流華はそれでいいと思ってるんじゃないかって心配した」


 ノエルの指摘は、穏やかな口調に反して喉元に刃を突き立てられるかのような鋭さを感じさせた。かといって図星だったというわけでもない。けれどそれと同じぐらい見当外れとも言えなかった。

 何を言えば自分の感情をちゃんと説明できるのかがわからない。焦ったまま口を開けば、きっとノエルを誤解させてしまう。

 黙ったままの由流華に、ノエルは囁くように続けた。


「親友を亡くして、仇を討てればそれでいいっていう風に見えてた。戻ってくる気があるかって訊いたけど、どっちでもいいって思ってるような目をしてたよ」

「……死にたかったわけじゃないよ」


 どうにかそれだけを言うと、ノエルはわかっているという風に頷いた。どれだけ伝わっているのか、実際にはわからない。

 ノエルは由流華の言葉を待っている。どうにか、伝えられることを言わないとという焦りの中口を開く。


「死にたいわけじゃなくて……戦ってるときはマムラを殺すこと以外は何も考えられなかったよ。その結果については、ノエルの言う通り考えてなかった。死んだとしてもどっちでもいいって思ってたかもしれない」

「……うん」


 ノエルの悲しそうな目が、辛い。

 どうにか、心のうちにあるものを言葉にしていく。


「あたしには灯が全てだった。日本でも、安心できるのは灯の隣だけだったんだよ。灯といるときだけ、生きていていいんだって思えたの。灯のためなら、あたしはなんだってする」


 でも。


「結局は灯を見捨てて逃げた。そのことがずっと引っかかってるんだ。灯のためにって思ってても何もできなかったあたしがどうしても許せなくて……」


 ああ、そうか。

 内心に気付いて、天井を仰ぐ。


「マムラじゃない。あたしは、あたしを殺したかったんだ」


 怒りも、マムラに向けられたものではない。すべては、灯を守ることができなかった自分自身へのものだった。

 そのことに気が付くと、全てが腑に落ちたように思えた。


「今は? まだ、自分のこと殺したいって思う?」


 ノエルの問いに、内心に問うように胸に手を当てる。

 灯の後を追うことを考えた。けれど怖くて実行できなかった。今は、死ぬことは考えてはいないと思う。


「……思うよ」


 肯定する。死ぬことは考えてない。由流華は、自分のことを殺したいのだ。違いをうまくは説明できないが、そうとしかいえない。

 ノエルと目を合わせる。


「あたしのことを殺したいって、まだ思ってる。でも、それとは別にノエルに言われたことも心にあるの」

「なに?」

「居場所を作れるって話。こんなあたしでも居場所ができるのなら……それが欲しいって思ってる自分もいるの。矛盾してる、よね」

「いいんだよ」

「え?」


 驚いて訊き返す。ノエルの優しい微笑みが、ひどく温かい。


「人間なんて矛盾してるもんだよ。由流華は大変なことがあったんだから、そんなにすぐ切り替えましたって言われた方が私は心配かな。矛盾したっていいの。ゆっくり考えて、由流華が望むようにちょっとずつ進んでいけばいい」

「ノエルは……どうしてそんなに優しいの?」

「言ったでしょ。転生者は助け合うって」


 ノエルはそう言ってから、違うなとかぶりを振った。


「由流華のことが好きだからだよ」

「……あたしを?」

「うん。ギルド内の人たちもね、好きだから一緒にいる。そりゃケンカもするけど、ちゃんと仲直りするよ。同じように由流華のことも好きだから、その気持ちを表してるだけ」

「…………」

「ピンときてないって顔だ」


 からかうように言われて、咄嗟に反応ができなかった。

 なんていえばいいのだろうとまごついている間に、ノエルは「ねえ」と笑った。


「由流華を好きになる人は私以外にもいるよ。ダイアナさんも気に入ってるみたいだったし。言ったでしょ、由流華は居場所を作れるんだから」

「…………」


 涙がこぼれそうになって、歯を食いしばって堪える。今泣いてしまうと、何もかもわからなくなってしまいそうだった。

 ノエルはそんな由流華を見通すかのように微笑んだ。


「今日はもう寝ようか」

「……うん」


 どうにか返事をして、ベッドに横になる。

 暗い部屋の中、目を開けたままノエルとの会話を反芻する。


(あたしの居場所……)


 灯の隣以外にも、あるのだろうか。

 灯はもういない。二度と会えないのだから、由流華の居場所は永遠に失われたように感じていた。

 ノエルはそれを否定した。居場所は他にも作れると。

 残酷な言葉に思えた。他に居場所を作るということは、灯を忘れるということではないかと。

 けれど、きっと違う。ノエルはそういう話をしたかったわけではないのだろう。

 生きていくのなら居場所はあったほうがいい。そんな損得勘定ではなくて、由流華はノエルといることを心地よいと思えるようになってきている。


(だったら、あたしもちゃんとしないと)


 ベッドの中、ひそかに決意する。


(この依頼をちゃんとこなして、ノエルにギルドに入れてほしいって言おう)


 相変わらず、灯のことを思うと心がぐちゃぐちゃになる。区切りがついていく感覚を忌避していたけれど、否応なく時は過ぎていき拒否していた現実は訪れる。

 それならば。


(灯、ごめんね)


 あたしは、この世界で生きていくよ。


☆☆☆


「さてと、やっと着いたね」


 馬車から降りたノエルがしみじみとつぶやく横で、由流華は思い切り伸びをした。

 わかりやすい田舎村だった。畑が広がり家屋がぽつぽつと点在している。昨夜泊まった町とはまた違う村の様相を、興味深く眺めまわす。

 畑で作業をしている人もいる。馬車で来た由流華たちのことを気にした様子もなく、黙々と作業を続けている。

 畑は柵で囲われていた。依頼に会った害獣の被害の対策だろうか。


「依頼主のところにいこうか」

「うん」


 一緒になって歩きながらも、由流華は周囲の様子をきょろきょろと見ていた。観察というよりは、単に物珍しさからくるものだった。


「あ、牛だ」

「由流華、きょろきょろしない」

「ご、ごめんなさい」


 慌てて謝る由流華に、ノエルはくすくすと笑った。


「ま、本当に。じろじろ見てると刺激しちゃうこともあるから。依頼主と話すときはもちろん同席してもらうけど、堂々としててね」

「う、うん」


 そうだ、これから仕事なのだ。意識すると、急に緊張が追い付いてきた。


(うまくできるかな)


 不安に胸中でうめく。いや、やらなくてはならない。

 拳をぎゅっと握って、改めて気合を入れ直す。

 左手の方の畑で作業していた女性が、こちらを見ていた。つい視線を向けると、女性は目を見開いて由流華のことを凝視していた。

 なんだろうと眉根を寄せて訝る。刺激しないようにとしていたのだが、何かしてしまっただろうか。

 しかし、女性の顔は見覚えがあるように思えた。トーイロスに知っている人などいないので、気のせいに違いないのだが。


(誰かに似てる?)


 拭い去れない違和感に戸惑っていると、女性は血相を変えてこちらに駆け寄ってきた。

 ノエルが由流華を庇うように前に出た。


「どうかしましたか」


 ノエルの言葉には応じず、女性は由流華だけを見ている。

 由流華は必死に記憶を辿っていた。気のせいではない、という確信もあった。絶対に、この女性の顔には見覚えがある。

 その答えは、女性の方から口にされた。


「アカリ、なのかい?」

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