第16話 現実

「灯、あたし頑張ったよ」


 灯に向かって語り掛ける。灯は正面にいる。いるはずだが、顔は良く見えない。

 それでも構わなかった。灯がそこにいるというだけで、由流華にとってはこれ以上ない喜びだ。


「全部殺したよ。こんなことしたの初めてだけど、やればできるね」

「…………」


 灯は何も言わない。だが、悲しみの気配だけは感じる。

 由流華は自分が何かを抱えていることに気が付いた。一瞬灯かと思ったが違う。べとべとで、重たくて、気持ち悪いものだった。

 それを適当に投げ捨てる。こんなものはどうでもいい。今は、灯がいることが大事だ。


「…………」

「灯? 何か言ってよ」

「…………」

「怒ってるの? あたしが、灯を見捨てて逃げたから……」

「…………」


 灯は何も言わない。ただ、悲しんでいるような気配だけが由流華に届く。


「ごめんなさい、灯。あたしが悪いよね。どうすれば償えるのか、まだわからないの」

「…………」

「このまま、灯のところへ行きたい。連れてって」


 灯は応えず、それどころか姿がさらに薄く朧になっていく。

 由流華は焦って手を伸ばす。先ほど投げ捨てた何かを踏んでしまい、いら立って蹴り飛ばした。

 灯の姿はどんどん見えなくなっていく。由流華の身体も動けなくなってきて、がむしゃらに手足をばたつかせるがどうにもならない。


「灯! 待って、あたしもそっちに!」

「…………」


 灯は何も応えない。由流華も動けない。

 唐突に疑問が浮かんだ。どうして灯と話していると思ったのだろう。

 灯は、もう――


「由流華!」


 どこからか声が聞こえる。灯の声ではない。

 誰の声かわかって、由流華は現実を認めた。何もなくなった空間の中、一度目を閉じて思い切り開く。

 そうすると、現実の風景が開けた。


「……ノエル」

「由流華、良かった。すぐに身体強化を回復に回して!」


 必死なノエルに頷くのだが、どうすればいいのかがわからず首を傾げる。

 強い倦怠感が全身を覆っていて、指一本動かす気になれなかった。気を抜けば眠ってしまいそうだ。


「いい? 絶対に寝ちゃダメだからね!」


 ノエルが由流華の身体を担いだ。なんの抵抗もできないまま由流華は、ただを目を開いていた。

 そうか、ここは現実だ。灯のいない、由流華が生きている現実。

 炎のリングはすでに消えていた。森の暗闇の中、ぼんやりとした視界がさらに見えづらくなっている。


「行くよ」


 宣言の後、ノエルが猛スピードで走りだした。身体が持っていかれそうになったが、ノエルがしっかりつかんでいたので落下せずに済んだ。

 視界の端に、何か大きいなものが見えた。

 マムラだった。それにしては、いくらなんでも大きすぎる気がする。なんにしろ、そのマムラの首だけが地面に無残に転がっていた。

 闇のように何も映さない目が、由流華のそれと合った。

 死んでいるマムラに、何の感情も動かされなかった。


「……じゃあね」


 別れの言葉を口にして、由流華は意識を手放した。


☆☆☆


「はぁ、ほんとに無事で良かったよ」

「うん、ごめんね……」


 謝罪する由流華に、ノエルはきっぱりと首を振った。


「私は由流華を守る立場だったんだから、危険な目を遭わせたのは私の落ち度。謝るのはわたしの方。ごめんね、由流華」

「ううん、ノエルがいなかったらマムラを殺すことはできなかったんだから、ありがとうだよ」

「……そう」


 ノエルは複雑そうに眉根を寄せて小さく顎を引いた。

 由流華がいるのは治療院という施設だ。日本で言う病院にあたり、マムラとの戦いで負傷した由流華は現在入院という形でこの施設に滞在している。

 現在は森の胃袋でマムラと戦った翌日だ。由流華も意識を取り戻して少ししか時間が経っておらず、医者の検査を簡単に受けただけだった。問題はないということで、こうしてノエルとの面会を許されている。

 ノエルはふぅと息を吐いて、事の顛末を説明し始めた。


「由流華がマムラと戦い始めてすぐに、神獣が来たんだ」

「神獣……」


 ぽつりと繰り返して、受けた話を思い出す。

 神獣とは、絶域の主だ。そもそも絶域とは自然に発生したものではなく、その全てが神獣の影響によって作られる。人間よりはるかに強大な力を持った神獣が一定の場所に定住することで環境が影響を受けて絶域化する、という仕組みらしい。

 なので、絶域には必ず神獣が存在する。ほとんどすべての絶域で、神獣はなんらかの条件を満たさない限りは出現しない。神獣を斃すと神獣は地面に沈むが、決して死ぬことはなく一定期間を置いて復活する。そして神獣を斃すと、特殊なギフトタグが手に入るのだそうだ。


「あの大きいマムラが神獣?」

「そうだね。神獣の出現条件がわかってない絶域も多くて、森の胃袋もその一つだったんだ」


 だからびっくりしたよ、とノエルは大きく溜息をついた。


「森の胃袋はあんまり人も行かないし、神獣の出現条件もわかってなかったんだよね。何かで満たしちゃったのか、無条件ってことはないと思うけど……」


 考え込むノエルを見ながら、由流華は別のことを考えていた。ノエルには悪いが、由流華としては神獣うんぬんは特に興味はなかった。

 マムラを斃し終わって、灯の幻覚を見た。

 本物なわけはない。灯は死んだのだから、どこにもいるはずがなかった。ノエルが言うには、骨の欠片も残っていないのだから。

 今の由流華には、達成感も虚脱感もない。感情の動きがないフラットな状態だった。マムラと戦っていた時の怒りによる昂ぶりは、不思議なほど消え去っている。

 マムラを殺したかった。そのことに後悔は何もない。

 けれど、最後の逃げ出したマムラを殺した時の感触だけは、妙に手に残っていた。

 由流華が本当に殺したかったのは――


「由流華?」


 声をかけられて、意識をノエルに戻す。

 心配そうな眼差しを受けて、大丈夫と両手を顔の前でぎゅっと握った。

 全身をマムラに噛まれ、傷だらけで出血も止まらないような状態だったのだが、由流華は健康そのものだった。

 治療院には他人の身体強化を増加させることができる治療師がいて、由流華もそうやって治したのだそうだ。由流華は既に健康体だが、大事を取って今日だけ入院し明日退院するということになっていた。


「ノエル、改めてありがとう。お陰で、灯の仇はうてたよ」

「気は晴れた?」

「うん、すっきりした……心残りはもうないかな」

「心残り?」


 聞きとがめたノエルが視線を尖らせる。

 慌ててかぶりを振って説明する。


「違うの。変な意味じゃなくて……あたし、これしか考えてなかったからもう何もすることないなって。異世界に来て色々あったけど、これでもう目的もなにもないなって思ったから」

「目的、ね」

「うん……あ、そうだ。お金は稼がないと」

「そんな急がなくても、まだうちにいてもいいよ」

「ずっと甘えてるわけにもいかないよ。ここの治療費だってノエルが払ってるんでしょ? ちゃんと返すから」

「なにそれ、そんなの貸しにしてるつもりはないよ」

「でも……」

「どうしてもっていうなら……」


 ノエルはそこで言葉を切って、迷うようなそぶりを見せた。


「前した話、覚えてる? うちのギルドに入らないかって」

「……うん、覚えてるよ」

「終わったばかりだけど、実際どう? 返すならギルドで働くでもいいしさ。もちろん、別のことするって言っても由流華の意思は尊重するよ」


 生きている以上、先のことは考えなくてはいけない。考えなかったとしても、現実は呆気なく追いついてくるのだ。

 いつまでもノエルの家にいるわけにはいかないと言いながら、何もしないでは通らないだろう。由流華には先の展望は何もない。当ても伝手も、何もないのだ。

 ノエルは由流華の答えを待っている。その真剣な眼差しを見返して、訊ねた。


「……もしギルドに入ったとして、あたしは役に立てる?」

「役に立つ立たないじゃない。ギルドっていうのは家族みたいなものだから、入ればそこが居場所になるよ」

「あたしの居場所、あるの……?」

「由流華がその気なら、いくらでも作れるよ。もしリヴァイブが合わなかったら別のギルドも紹介できるし、由流華にとって居心地の良い場所は絶対にある」


 由流華にとっての居場所は、灯の隣だった。そこ以外には絶対にないと思っていた。家は、家族はまったく正反対のもので居場所とはとても言えないものだった。

 ノエルは熱っぽく言葉を続けた。


「私は、由流華が入ってくれたら嬉しいよ。由流華は望めばもっと強くもなれる。ううん、それを望まなくても一緒にいてくれたらって思ってる」

「……本当にいいの?」

「もちろんだよ」

「…………」


 言葉が出てこなかった。自分が何を望んでいるのかも、明快には見えてこない。

 ノエルは軽く由流華の肩を叩いた。


「答えは急がないから。ただ、明日になったら一回出かけちゃうけど」

「どこか行くの?」

「うん。メンバーが遠征に行ってるって話はしたよね? 主要メンバーが抜けてるせいで依頼も溜まってるみたいでさ、ちょっと片付けなきゃいけないんだ」

「どんな依頼なの?」

「害獣の処理だって。少し離れた村まで行くから、数日空けちゃうんだけど……」

「あたしもついていっていい?」

「え?」


 きょとんとするノエルに、身を乗り出すようにして続ける。


「あたしにもその依頼手伝わせて」

「……大丈夫だと思うけど、どうして?」

「あたしができるのか、確かめたい」


 ノエルは真剣な眼差しを向けてきていたが、やがて優しい色を帯びていった。


「わかった。一緒に行こう」


 ノエルの承諾に、強く頷く。

 ギルドに入ると言うのはまだピンときていないが、また少し気力が湧いてきているのを感じた。

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