第15話 森の胃袋②
由流華がリングの中に入っていくのを見届けて、ノエルは手近な木にもたれかかって腕を組んだ。
(最初の関門は越えた、かな)
炎の隙間から飛び出してきたマムラを、由流華は容赦なく殴り飛ばした。それを見て、ノエルは安心したやら不安になったやら複雑な感情を持った。
魔物を攻撃できるか。
これは冒険者をやれるかという一つの指標だった。仮に魔法の才能がどれだけあっても、魔物と戦うことができなければ絶域の探索は不可能だ。どうしてもできなくて、冒険者を諦めてきた人をノエルはいくらでも見てきた。
だからといって何もできないわけではない。魔法が使えれば職の幅は当たり前に広がる。格闘試合を職業にしている人だっている。
これはもう訓練でどうにかなるものではない、というのがノエルの持論だ。極端に言ってしまえば、生まれた時には向き不向きは決定しているとすら思っている。
そう、向き不向きだ。良い悪いと言うことではない。誰だって、自分に向いているものをやればいいと思う。
由流華が大丈夫なのは、なんとなくわかっていた。由流華は恐らく冒険者に向いている。親友を亡くすという悲劇がなかったとしても、冒険者を志せば問題なくこなせただろう。
だが、由流華は危うかった。端的に言えば、冒険者に向きすぎている。
そういう人は、転生者かトーイロス人に関わらずたまにいる。一般には冒険狂いと揶揄される、絶域に取りつかれた者たち。
由流華も冒険狂いの冒険者と似た傾向がある。自分のことを放って目的にのめりこむ性質。しかも由流華の場合は、冒険に狂うわけではない。喪失とそれを埋めるための復讐が目的だ。
由流華は才能はある方だと思う。万全を期すには少し時間が足りなかったが、マムラを数匹斃すぐらいはやってのけるだろう。問題はそのあとだ。
由流華をリヴァイブに誘ったのもそれを心配したからだ。同じギルドにいれば、由流華の様子を気に掛けることができるし、新しい居場所が由流華を癒していくはずだ。
同じ転生者として同情しているというのもあるが、一度かかわった人にはやはりできるだけ楽しくやってほしい。
そんな思考に没頭しながらも周囲に注意を払っていたノエルは、異変に感づいた。
(なんだ……?)
空気がおかしい。具体的な異変ではないが、冒険者としての勘がなにかが起こっていると告げている。
森の胃袋は初心者向けの絶域だ。多少の予想外があったところで、問題にはならない。だがそれはノエルにとってであって、由流華には適用されない。
リングから、マムラの鳴き声が聞こえてきた。由流華がマムラを追い詰めているからだろうか。それにしてはどこか妙な気もする。
リングの中へ乗り込むかを検討していると、影からマムラが飛んできた。
反射で拳を撃ち込む。マムラの身体が吹き飛び、木に激突して飛び散った。
気付く。リングに向かってマムラが何匹か突っ込んでいっている。光や火を嫌う性質のマムラには決してありえない光景に、ノエルは眉根を寄せた。
そうしている間にも、ノエルの横を三匹のマムラが通り抜けていく。その三匹のマムラは、リングに辿り着く前に体が真っ二つになって地面に落下した。ノエルの手は既に抜刀した剣が握られていて、マムラを切り捨てた跡が微かに残っている。
迷ってはいられないと、リングに突入する決意を固める。マムラが多く集まってしまえば、由流華が危ない。
と、無数のマムラが今度はノエルに向かって飛び掛かってきた。
「邪魔!」
ノエルはそのすべてを一息で断ち切った。
ぼとぼとと落ちるマムラの肉片を無視して駆けようとしたノエルの足はまたもや妨げられた。
上から、巨大な何かが降ってくる。
ノエルは咄嗟に後方に大きく飛び退いた。ノエルが立っていた場所に、巨大な何かは轟音を立てて着地する。
何者かを確かめて、疑問にうめく。
「……マムラ?」
それは姿かたちは間違いなくマムラだった。だが、サイズは大きく異なっている。全身は10メートルほどだろうか、狭い森の中で大きな圧迫感を以ってノエルを睨みつけてくる。
巨大なマムラが天を仰いで鳴いた。同時に、あちこちから同じようなマムラの鳴き声が響いてくる。
マムラの大きさに個体差があるなど聞いたことはない。多少はあるだろうが、ここまで巨大な個体が存在するなんて話は噂にもなかった。
となると、答えは一つだった。
「神獣、か……」
ぎりっと歯噛みする。タイミングが悪すぎる。何も今日この日に現れることなんてなかっただろうに。
マムラが弾丸のように飛び出してきて、ノエルはこともなげにすべてを斬り伏せる。
今、大型のマムラの注意はノエルに向いている。それは好都合だ。由流華へ向かうマムラが少ない方が、生存の確率は上がる。
あとはノエルが全てを斃してしまえばいい。
剣を握りなおして、射殺すつもりで大型のマムラを睨みつける。
「悪いけど、本気で行くよ」
☆☆☆
あっという間に、全身をマムラに噛みつかれた。
両手でガードしようとした結果、両手両足、そして脇腹にマムラが取りついて歯を立てている。
ナイフも落としてしまった。なんとか拾おうとしたが、その手も噛まれてしまいものを取れる状態でもなくなった。数えることもできないが、おそらく十匹近い数のマムラが由流華に噛みついているように思えた。
身体強化は完全に耐久力に振り切っている。ほんのわずかな緩みも自身に許さずにそれだけに集中する。それでも全身に軋むような感覚と鈍い痛みがあった。
これはあの時の灯とまったく同じ状態であると気が付いた。灯も全身を噛みつかれて、倒れ伏した。
その光景がフラッシュバックしたことで、頭がスパークするような怒りが湧いて出た。歯を食いしばって、マムラの噛みつきを耐える。
(ノエル……)
何かあれば助けを呼ぶと言ったが、今はそんなことすらできそうになかった。歯を食いしばることをやめれば、たちまちマムラの歯が由流華の皮膚を食い破るだろう。
炎を越えてマムラが飛んでくるなんて、普通のことではないはずだ。ノエルも異変を察しているはずなので、待っていれば助けに来てくれるかもしれない。
その考えを由流華は即座に投げ捨てた。
この場のマムラを全て殺す。
由流華が考えられるのはそれだけだった。マムラへの強い殺意が頭の中を塗り潰している。これだけが、今の由流華を突き動かすものだった。
慎重に、一歩を踏み出した。さらに一歩、もう一歩。
炎のリングはいまだ保たれたままだ。その端にまで移動した由流華は、マムラが噛みついたままの右手を炎の中に突っ込んだ。マムラの身体が痙攣して、毛皮が焼ける匂いが鼻をついた。
間近で炎を感じながら耐えること十秒ほど、マムラが由流華の手から離れて地面に落下してのたうち回った。またゆっくりと元の場所に戻り、ナイフを拾い上げる。
手近なマムラに向かってナイフを振り下ろす。毛皮に防がれて、あまり刺さらなかった。何度か刺しても、致命傷には程遠く噛みつく力も緩まない。
さっきは開き直って腕力に振り切ったが、今の状態でそれを行うと即座に死にかねない。全身に感じる圧力がますます強くなってきていて、このままではどの道力尽きてしまうだろう。
本来の由流華の腕力だけで、マムラを剝がしていかないといけない。
少しずつ、ナイフを握る力も弱まってきている。時間をかけてもいられない。
どうしてだか、焦りも弱く怖くもなかった。不思議と凪いだ心境で、ナイフを振り上げる。
闇雲に刺すのをやめて、ナイフの切っ先で探すようにしてマムラの目に突き立てる。少しずつ体重をかけてナイフをねじ込んでいく。しばらくして、マムラが身体から離れて落ちた。
その調子で三匹ほど剥がす。が、ペースが遅い。皮膚はもはや裂けてきていて、骨も音を立てているようだった。
ナイフだけではダメだと、再びリングまで移動する。火で焙ったほうが確実に思えたからだ。
炎で焼きながら、別のマムラにナイフを突き立てていく。一匹一匹とマムラが剝がれていき、地面に転がっていく。段々と身体が軽くなっていくのだが、意識は靄がかかったようにぼやけていく。
ふらついて、火の中に倒れそうになる。踏みとどまろうとした足に噛みついているマムラの歯が、由流華の皮膚を裂いて肉にまで食い込んできた。地面に足をつけることができずに倒れ、地面に転がる。
「うわあああああ!!」
もうなりふりかまわずに、噛みついているマムラをナイフで突き刺す。身体強化を腕力に振り、残ったマムラを次々と殺していった。
とうとう、由流華に噛みついていた全てのマムラを殺すことができた。だが最後の数匹に噛まれていたところは皮膚が破れ肉が覗けていた。血も止まらない。痛みはなぜだかほとんど感じなかった。
立つのもやっとという有様で、リングの中を見渡す。
そこには、またやってきたのだろうマムラが数匹いた。うなり声をあげながら由流華に近づいてきている。
マムラの姿がぼやけてちゃんと見えなかった。目を拭って見ても、変わらない。
(眠たい……)
危機感のない感想に内心で笑う。全身がけだるく、横になって寝てしまいたかった。
ナイフはまだ手に持っている。足は肉が抉れていて動かせそうにない。
簡単に自分の状態を確認する。要は、
「まだ、戦える……!」
身体強化を完全にナイフを持った右腕に集中させる。耐久力は、完全に無視した。
飛んでくるマムラをナイフの刃で殴り飛ばす。刃がマムラの身体を抉ったような手応えだったが、確認する暇もなくマムラは吹き飛んでいった。
次は両側から同時に来た。右から来たマムラを同じようにナイフを乱暴にぶつけ、左から来たマムラは左腕で受けた――噛ませた。
歯が皮膚を破るより前に、額にナイフを突き立てた。あっさりと離れたマムラを適当に放り投げる。
残りのマムラを見据える。怯んだかのように向かってくることはせずに由流華を見上げている。
追って殺すかを考えていると、後ろから衝撃が来た。
「!?」
後ろにもマムラがいたのだ。そのマムラは由流華の首の後ろに噛みついてきて、勢いに押されて由流華は地面に倒れ伏した。
「う、あ……?」
ナイフを突き立てようとするのだが、首の後ろということもあってうまく刺すことができない。
地面に倒れている由流華に、さっきまで動いていなかったマムラが少しずつ近づいてきていた。その顔は、余裕に笑っているようにも見えた。
唐突に気づいた。今の由流華の体勢は、最後に見た灯そのものだ。近づいてくるマムラも、同じように由流華に歯を突き立てて骨ごと抉っていくのだろう。
首の後ろに感じる圧迫が強まっていく。耐久に何も振っていないせいで、あとほんの数秒で由流華の首は破られる。
灯と、同じように。
ゴキリ、という鈍い音が由流華の頭蓋に直接響いた。
「ふーっ、ふーっ……」
絞り出すように呼吸して、のろのろと立ち上がる。
由流華は両手に、首が真横に折れたマムラを抱えていた。その口には由流華の首の皮膚らしきものが短くぶら下がっている。
素手で無理矢理引きはがしたせいで、首の後ろがかなり傷ついてしまった。痛いというより熱い。血がどれぐらい出ているかというのも、感覚がわからなかった。
ナイフを拾い上げる。残りのマムラは、今度こそ二匹だ。
飛んできた一匹に、全力でナイフを突き刺す。手ごたえはほとんどなかった。紙を通したかのように、するりとナイフの刃の根元までマムラの顔面に突き刺さった。
不思議な心地でナイフを振る。マムラの身体がぼとりと落ちて、残りの一匹がはっきりと怯むのがわかった。
身体を反転させようとするマムラに、由流華は怒鳴りながら跳んだ。
「逃げるな!!」
灯は逃げ切ることができずに全身を噛みつかれて死んだ。由流華は逃げてしまった。
逃げたから、こうして生きている。逃げなければ、一緒に死ねた。
このマムラは何を思って逃げようとしているのだろうか。生きようと、しているのだろうか。
マムラが、あの時逃げた自分と重なった。みっともなく、逃げた自分自身に。
「死んで」
倒れこむようにしてマムラを捕らえた。必死で逃げようとするマムラを押さえつけて、めちゃくちゃにナイフを突き刺した。
「うわああああああ!! 死ね、死ね! 死ね!!」
夢中でマムラを刺し続ける。マムラはすぐに動かなくなったが、それでも刺した。刺した。刺した。
ナイフが由流華の手からすっぽ抜けた。マムラを攻撃する手段がなくなり、ぼろ雑巾のようになったマムラの死骸を見下ろす。
刺したのはマムラだ。しかし、別のものを殺した心地だった。
「灯、ごめんね。ごめん……」
謝罪が口から漏れて、涙が一筋流れる。
これで終わった。マムラを殺して、復讐を果たした。
けれど、灯はいない。当たり前だ。死んだ人間は、戻ってなどこない。そんな期待は、もうとっくに持っていない。
それならば、どうして由流華はここまで戦ったのだろうか。怒りがあった。由流華の中に、見たこともないような怒りがあふれてここまで突き動かした。
ならば、これからは?
怒りは全てマムラにぶつけた。これ以上、由流華を突き動かすものなどもうないのかもしれない。だとしたら、由流華がすることなどもう何も……
「由流華!」
呼び声に、ゆるく首をそちらを向ける。
ノエルが、駆け寄ってきていた。表情を心配に染めて、必死に。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます