第13話 準備

「どうして?」


 端的な問いだったが、口調は平坦でかえってノエルの鋭さを突きつけられるようだった。

 けれど怯む気持ちはない。真っすぐに見返して、口を開く。


「灯を弔いたいの。きっと、あのままになってるから……」


 ノエルは眼差しの鋭さを緩めた。難しそうな顔をして、


「森の胃袋にいるのはマムラっていう魔物なんだけど、一度歯が食い込むとどこまでも強くなって獲物を食べつくすんだよ。その、だから……」

「……骨とか、そういうものでもいいの。見つけたい」

「由流華には悪いけど、それは無理なんだよ」


 食い下がる由流華に、ノエルは小さくかぶりを振る。


「食べつくすっていうのは文字通りの意味で、骨も何も残らないんだ。どんなものも残っていないと思う」

「…………」


 ショックに、言葉が出なかった。

 あの時の光景がフラッシュバックする。灯に噛みつき、歯を深く食い込ませていくマムラ。由流華が逃げ出した後も、灯の身体を貪り食べたということなのだろう。そうやって食事に夢中になっていたからこそ、由流華は襲われることなく逃げられたのかもしれない。

 喉までせりあがってきた吐瀉物を無理やりに飲み込む。反射で流れてきた涙をぬぐうこともせず、だったら、ともう一つ考えていたことを告げた。


「灯の仇をとりたい」

「仇?」

「灯を殺したマムラを殺したい」

「それも……」

「わかってる!」


 ノエルの否定を制して叫ぶ。

 身体強化に目覚めた時のような昂ぶりが立ち上ってきていた。マムラに、自分に、激しい怒りが全身を支配する。


「森の胃袋にどれぐらいマムラがいるのかは知らないし、どのマムラが灯を殺したのかもわかるわけない。それでもやりたいの。どうしても、あたしにはそれしか思いつかない」


 ただ灯の死を受け入れるだけだと、もう何もできない気がする。だから、なにかをしなければならない。

 これしかない。怒りのまま、由流華の思考は憎しみと殺意に染まっていく。

 ノエルは考え込むように腕を組んだ。ややあって、指を一本立てた。


「一つだけ訊かせて」

「なに?」

「終わったら、ちゃんと帰ってくる気はあるの?」


 その問いに、由流華はすぐに答えることができなかった。

 答えに窮したのは、そのことに対して何も考えていなかったからだ。

 帰ってくるとも、帰ってこれなくていいとも、どっちでもいいですらない。ただ怒りだけでマムラを殺すことだけを考えていた。

 早く答えないといけないと思いながらも、ここはちゃんと考えないといけないような気がした。ノエルがどう受け止めるのかもあるが、それ以上に自分にとって無視できない問題でもあるような。

 死にたいと、昨日は口にした。

 我慢しないでいいと、灯は言った。

 この場合、どう答えるのが我慢していないことになるんだろうか。

 しばらく考えて、由流華はようやく答えを口にした。


「……わからない」

「え?」

「マムラを殺すこと以外、何も考えられない」


 これが、今言える由流華の本音だった。我慢せずにやりたいことを考えると、浮かんでくるのはこれだけだ。

 ノエルは眉根を寄せて、物憂げに確認してきた。


「マムラを殺せれば、死んでもいいとか思ってる?」

「……多分、思ってない」


 歯切れ悪い由流華に、ノエルは深々と溜息を吐いた。


「由流華のやりたいことはわかったよ。それなら、協力する」

「いいの?」

「森の胃袋は難易度が低い絶域だけど、由流華が一人で言っても多分何もできないから」

「……ありがとう」

「よし、そうと決まったらスケジュール組んでいこうか!」


 手を叩いて一転して明るい口調でノエルが宣言する。

 由流華はゆっくりと力強く頷いた。抑えきれない感情が、あふれだしそうになっているのを感じて。


☆☆☆


「森の胃袋は人気がないんだよ。っていうのは、旨みがないから」

「旨み?」

「絶域はお金稼ぎに行くって言ったでしょ? 森の胃袋は売れるような資源も大してないし、マムラも食用には適さない皮はダメだしで使い物にならないんだよね」

「だから、誰も行かない?」

「うん、難易度が低いから初心者向けとも言えるんだけど、初心者向けにいい絶域は他にもあるしね。私も何回かしか行ったことないよ」


 いつもの川辺への道中に森の胃袋の情報を聞いている。

 森の胃袋に行こうと行くまいと、結局は身体強化の訓練は必要なことに変わりはない。由流華はノエルが必要だと言うことに素直に従うつもりでいた。ノエルが言った通り、由流華が一人でやろうとしてできることではないだろう。


「難易度が低い理由は、マムラにわかりやすい弱点があるから」

「なに?」


 勢い込んで訊ねる由流華に、ノエルは苦笑して答えた。真上を指さして、


「光」

「光……」


 ノエルの指が示す先を見つめる。煌煌と輝く太陽が、空を照らしている。

 森の胃袋はなんとか見えるぐらいの視認性はあったが、確かにどこにも光と言える光は存在していなかった。


「光っていうか、明るいところには寄ってこないんだよね。ランタンかなんか持っていけばマムラは近づいても来ない。火も苦手みたいだね」

「じゃあ……森ごと焼き払っちゃえばいいの?」

「それはさすがに……逮捕されるんじゃないかな」

「じ、冗談だよ」


 引きながら応じるノエルに、慌てて口をはさむ。まったく冗談のつもりではなかったのだが、さすがにダメのようだ。

 ノエルは気を取り直すように咳ばらいを一つした。


「そんなわけで、光か火があればマムラが寄ってこないようにはできる。でも今回はマムラを探すわけだから……」

「どうすればいいの?」

「それはこっちで考えるね。由流華は身体強化を上げることに集中してほしい」

「わかった」

「由流華の身体強化がどれぐらい成長するかにもよるけど、マムラ一匹を斃すぐらいならそんなにかからずにできるようになると思うから」

「うん、よろしくお願いします」


 改めてお願いするつもりで頭を下げる。

 ノエルはそんな由流華の背中をぽんぽんと叩いて、励ますように笑って見せた。


☆☆☆


 更に三日ほど経過した。

 少しずつではあるが、身体強化の出力が増しているのが感じ取れた。由流華自身の身体強化もだが、ギフトタグの出力もまた上昇しているようだった。試しにギフトタグを外してみると、はっきりと出力に差を感じるようになっていた。

 しかしノエルが着けても、出力は最初に着けてみた時と何も変わらなかった。


「個人の経験で上昇量が決まってるっぽいね。結構珍しいよ」

「珍しいって言われても……」


 ほかのギフトタグのことはわからないので反応のしようもない。ノエルの指輪が魔法の出力を倍にする、だったか。


「ギフトタグは本当にいろんなのがあるからね。ただ身体強化に関するものは数としては多いかな。大体は特定の機能を上昇させるもので、たとえば腕力だけが上がったりとかするやつとかね」

「じゃあ、そういうのをたくさんつけたらものすごく強くなれるんじゃないの?」

「そういうわけにもいかないんだよね」


 ノエルはどこか楽しそうに指を振った。ここ数日でわかってきたことだが、ノエルはこういったことを解説するのが好きなようだった。由流華もノエルが楽しそうに話すのが好きで、聞くのは楽しんでいる。


「まず、身体強化には上限があるの。どんな人間でも、何を使っても、ある地点以上には強化されないんだ。まあそこまで身体強化極めてるのはほんの一握りだけどね」

「ノエルも?」

「私はそこまでいってないよ。そんなの本当の化物だけ」


 軽く手を振って、説明を続ける。


「もう一つ、同時に使えるギフトタグには限りがあるの。というよりは、同時に発動させるものはだね。身体強化系は常時発動だから、複数併用には向いてないんだよ」

「そうなんだ……」


 ちゃんと頭に入っているとはいいがたかったが、なんとか飲み込んで返事をする。要は、ギフトタグをたくさん使って簡単に強くなるということはできないということだ。

 由流華にあるのは、この腕輪だけだ。心強いとはお世辞にも言えないが、これだけで戦うのだと思うと妙にしっくりくるものがあった。自分が持っているもので、マムラと戦いたかった。

 訓練の内容も鬼ごっこではなく、ノエルが投げる石を避けるというものに変わった。


「マムラは陰からいきなり飛んでくるから、それを避けられるようにはなりたいね。避けられないなら、耐久を上げて受けるようにする!」

「は、はい!」


 投げられる石自体は手加減されていたが、ノエル本人が見えないぐらい速かった。むしろそのことに戸惑ってしまい、無防備に石を食らうことになってしまった。耐久を上げるようにすると、避けることがまったくできなくなってしまう。


「耐久をただ上げたってダメだよ。避けられるものは避ける!」


 一つだけならまだしも、複数を並行して実行することは困難を極めた。まったくもってうまくいかずに、後の方はぶつかる石に耐えるだけになっていった。

 ノエルが石を投げるのを止めて、膝をついて疲れ果てている由流華の傍にしゃがみこんだ。


「最初はこんなもんかな。身体強化の切り替えは慣れが必要だから」

「う、うん……難しいよ」


 身体強化の切り替えは、この訓練の直前にノエルに説明されたことだった。

 身体強化は身体の機能を強化させる。腕力や脚力、攻撃力や耐久力などざっくりしたとらえかたでもイメージできていればその機能がちゃんと上がるようになっているようだ。

 何も考えずに身体強化を発動させると、全てをまんべんなく強化させる全体強化になる。その分一つ一つの上昇量が小さくなるので、通常は機能をしぼって身体強化を発動させる。現状の由流華では全体強化を発動させても恩恵が小さいと言うのもあるので、機能をしぼることを訓練の軸とした。

 しかしこれが非常に難しかった。

 一つの機能を強化することはできる。それは問題ないのだが、二つ同時となるとうまくいかずに全体強化に戻ってしまう。切り替えるのも時間がかかってしまい、混乱しているうちにどこを強化しているのかわからなくなってしまう有り様だった。


「実戦だと切り替えや同時発動をちゃんとできないといけないからね。感覚を体に覚えこませるまでは絶域までは行けないかな」

「うん……じゃあ、再開しよう」

「もう少し休んでもいいよ? 大分疲れてるでしょ」

「ううん。早くできるようになりたいから」


 立ち上がって軽く屈伸をする。疲れは確かにあるが、それ以上に気力の方があふれていた。

 ノエルは落ち着かせるように由流華の肩を叩いた。


「由流華は上達早いよ。焦りすぎると良くないから、ペースは考えた方がいいよ」

「焦ってないよ。ただ……」


 焦っているつもりはなかった。だが、この感情をどう説明すればいいのか言葉が見つからない。この昂ぶりは、焦りとは違うもののはずだ。

 きっと、この感情は。


「楽しみ、なのかな」

「楽しみ?」

「うん、転生して初めて自分がやりたいってことに向かってるって思えてるから」


 だから、一日でも早く。


「マムラを殺したい、今はそれだけ」

「…………」


 なぜだかノエルは複雑な表情で由流華を見返すだけだった。

 そんなノエルを引っ張って、訓練を再開した。少しでも早く、森の胃袋へ行けるように。

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