第12話 受容

 目を覚ますと、ベッドに横になっていた。


「あ、あれ……?」


 訳が分からず、混乱のまま体を起こした。頭痛に顔をしかめながら、きょろきょろとあたりを見回す。

 ここは、ノエルの家だ。それはわかる。わからないのは、いつ部屋で寝ていたのかだ。

 昨夜の記憶が、おぼろげながら蘇ってくる。


「ノエルとご飯を食べてて、それから……」


 ジュースを飲んだ。そして灯の話をした。

 水がにじむように、ゆっくりとしかし確実に記憶がはっきりしてくる。それにしたがって由流華の顔が耳まで赤くなり、両手で顔を覆ってうつむいた。

 どうしてあんなに昂ってしまったのか、自分で自分が恥ずかしい。いっそ消えてしまいたいぐらいだ。


『灯に会えないなら、もう生きている意味なんてない!』


 自分の言葉を思い出す。まぎれもない由流華の本音だった。灯がいない人生を生きていたいとは思えないし、だからといってあの時逃げ出した自分を簡単に死なせたくないという気持ちもある。

 だから、冒険者になろうなどと言い出した。

 あんな形で口にしてしまったのだ。ノエルの対応も変わってきてしまうだろう。


「悪いこと、したかな」


 ぽつりとうめく。ノエルに教えてもらったことを、由流華はまったく生かす気はなかった。それを本人にぶつけてしまったのだから、ノエルもいい気分ではないだろう。

 それを思うと、この部屋をでて顔を合わせるのも気まずい。下手をすれば追い出されてしまうかもしれない。


「……だとしても、しかたないよね」


 浮かんできた陰鬱な妄想は、由流華の頭の中でどんどん膨らんでいく。

 気後れからベッドから降りることすらできないでいると、ドアがノックされた。


「由流華、起きてる?」

「え!? え、うん!」


 驚きから自分でもよくわからない声が出た。ベッドから落ちそうにすらなって、なんとかしがみつく。


「良かった。入っていい?」

「う、うん……」


 由流華の返事を待って、ドアが静かに開けられた。ノエルは穏やかな微笑みをたたえて、部屋に入ってくる。


「おはよ、由流華」

「お、おはよう……」


 気まずさから目を合わせることもできずに、布団に視線を落とす。

 何を言われるのかも怖い。昨日のことから考えると、何を言われてもおかしくないと怯える気持ちで布団をぎゅっと握る。


「昨夜のこと、覚えてる?」

「うん……」

「そっか、良かった」


 微妙に予想と違う言葉が返ってきて、おそるおそるノエルの顔を見る。

 怒っているという風ではなかった。むしろいつもより少し優しい笑顔で、雰囲気も柔らかい。

 ノエルはベッドの脇に腰かけた。距離を近く感じて、布団をかき抱く。


「んっとね……まずは、ごめんね?」

「え?」


 唐突な謝罪に、きょとんと瞬きをする。

 ノエルは言いづらそうに苦笑して、あのね、と切り出した。


「昨日飲ませたの、ジュースじゃないんだよね」

「……じゃあ、何?」

「………………お酒」


 ひどく気まずそうなノエルの答えに、感じたのは納得だった。

 由流華は飲酒したことは一度もない。だが父が飲むので酔うとどうなるのかというのは少しはわかっているつもりだ。

 だけど、と困惑して訊ねる。


「なんで、お酒飲ませたの?」

「……由流華さ、色々我慢してたでしょ」

「我慢……?」

「昨日話したようなこと、ずっと考えてたけど口にできなくてどうすればいいのかわからなくて。言っても誰もわかってくれないことだから言えないし、黙っているしかない。違う?」

「……違わない、と思う」


 あまり抵抗もなく認める。

 由流華が考えていたことは昨夜口にしてしまった通りだが、冒険者になって苦しんで死にたいというのが由流華が考えていたことだ。とはいっても言葉ほど明確に考えていたわけではない。なんとなくそうなればいいと思っていた程度だ。

 口にしなかったのはそういった曖昧さもあるが、ノエルが言ったことも当たっている。こんなこと口にしても困らせるだけだとはさすがに考えてはいたのだ。


「でしょ、そういうときはね、言っちゃえばいいんだよ。思ってること、全部ばぁーって」


 ノエルは腕を大きく回して、おかしそうに頬をゆるませた。


「私もさ、転生したころは荒れまくってて周りの人に迷惑かけてたんだよね。自分の気持ちなんて誰もわかりっこないしってふさぎこんでさ」

「…………」


 ノエルは当時12歳だと言っていた。だとすれば、当然の反応なのだろうか。


「その時に、気持ちを全部吐き出させてくれた人がいてさ。私はそれで落ち着けたんだよね。だから、由流華も一度吐き出しちゃえばいいかなって思ったんだけど。安直だったかな?」

「……ノエルもお酒飲まされたの?」

「いやいやいや! 私の時はまた違ったよ。お酒飲める年じゃないし」

「あたしも未成年だけど……」

「トーイロスは16歳からお酒飲めるんだよ。強引なやり方だったのは謝るよ。でも、それぐらいしなきゃダメかなとも思ったから」


 ノエルの嘆息に、自分の有り様を振り返る。確かに、まともな状態ではなかったということが今は自覚できてしまっている。

 自分の胸を見下ろす。何が見えるわけでもないが、内心が分かる気がした。


「……少し、落ち着いたと思う」

「そっか」

「これが……嫌だったのに」

「由流華……」


 気遣うようなノエルに、怒りではなく焦燥を感じて言い募る。


「落ち着いて、灯が死んだことを受け入れるのが嫌だったの。そうなるともう、生きていくしかなくなっちゃうから。責任を果たさないといけなくなるから。だから嫌だったのに……」


 ノエルは黙って由流華の肩を抱いて引き寄せた。抱きしめられる形になり、身体が硬直する。

 が、それも一瞬のことでもういいやという諦めをもってノエルに体を委ねた。

 ノエルの体は暖かくて、柔らかくて、生きていることを実感する。してしまう。

 昨日より、確かに心が軽くなっていることを感じて、静かに一筋の涙を流した。


☆☆☆


 少しして、落ち着いた由流華の背をぽんぽんと叩いてノエルは部屋を出た。


「ゆっくりしていいから。お腹空いたら出てきて」


 一人になった部屋で、なんとなく窓の向こうを見る。日本的な家の窓から異世界の街並みが見えるのはどうにも変な気持ちだが。

 逆に、そういったことがちゃんと気になるほどの心の余裕ができているということなのかもしれない。

 灯のピアスに触れる。灯を感じられるのは、もはやこれしかない。

 窓ガラスに、自分の顔が映った。我ながら疲れ切ったひどい顔だった。灯を失って以来、一度も笑ってない気がする。

 笑ってと灯に言われたことを、ふと思い出した。


『由流華はね、笑った方が可愛いの!』

『えっと……そうかな』


 困る由流華に、灯はぐいと顔を寄せて力強く続けた。


『あのね、由流華は笑ってるうちと悲しんでるうち、どっちが良い?』

『それは笑ってた方がいいけど……』

『でしょ! じゃあうちも由流華に同じこと思うわけよ』

『でも、灯は可愛いけどあたしは……』

『そういうことじゃないの。由流華も可愛いけどそんなの関係なくて、大好きな人には笑っててほしいんだよ』

『そりゃあ、あたしだって灯のことは大好きだよ』

『知ってる』


 魅力的ににかっと笑って、灯は由流華の額に額を合わせた。


『由流華が辛いのはわかってるよ。無理して笑ってなんて言わない。でも、由流華は笑っちゃダメなんてことはないんだから、それは忘れないで』

『そんなこと思ってないよ』


 由流華がそう返すと、灯は少し悲しそうな顔をした。嫌だな、と思って今灯に言われたことを思い知った。


『由流華はすぐに自分を責めるから、心配だよ。いいんだからね、由流華は好きに幸せに生きる権利があるんから、気兼ねはしなくていいの』

『……わかった』

『ほんとにわかってるのかなぁ』


 灯は苦笑して、額を離した。

 灯の微苦笑を見ると、心が苦しくなる。この表情は自分が浮かべさせているのだと思うと、たまらなく嫌になる。

 灯は由流華に向かってびしっと指をさした。


『とにかく、我慢はしないこと! 泣きたかったら泣いて、笑いたかったら笑って! 全部好きにしていい、うちが許す!』

『うん、わかったよ』


 灯の言い様に笑って応えると、灯も笑った。

 そこでやっと、由流華も安心ができた。


「……そうだった」


 追憶から現実に戻ってきて、由流華はつぶやいた。

 灯は、由流華が死ぬことなんてきっと望んでいない。自分のことばかりで、そんなこともわかっていなかった。

 受け入れたくないなんてワガママを言っていたって、何も変わることはない。せめて、灯が望むことをしないといけない。そしてそれは、由流華が望むこととも同義といえた。


「我慢しないこと、か……」


 由流華のしたいこととは一体何か、自分でもよくわからずに窓の外を見続ける。

 しばらくそのままじっとし続けて、やがてベッドを下りた。着替えて、部屋を出る。

 リビングではノエルが掃除をしていた。由流華を見ると、笑顔で「おはよう」と言ってくる。


「おはよう。したいこと考えたんだけど、ノエルに聞いてほしい」


 ノエルは真顔になって由流華を見つめた。箒を置くと、由流華に向き直る。

 由流華は深く息を吐いて、ノエルに自分の考えを告げた。


「森の胃袋……に行きたい」

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