第11話 身体強化魔法と属性魔法④

 毎日都市の外の川辺に行き訓練を続けて、三日が経った。

 よっぽど才能がないのか、属性魔法の練習はまったくうまくいかなかった。どれだけやっても、水もそれ以外の属性も操ることができないまま、身体強化の方を集中して伸ばす方針に移ることになった。


「ギフトタグってある程度は本人に向いているものが出てくる傾向があるから、由流華は身体強化の方が向いてると思うよ」


 気を遣っているのかもしれなかったが、属性魔法に芽がなさそうなのは自分でも感じていたので大人しく従うことにした。ノエルの反応から見ても、普通はもう少し早く使えるようになるのだろう。

 身体強化の魔力は筋肉のようなものだとノエルは語った。使えば強くなるし、サボればその分衰えていく。だから、身体強化を使いながら体を動かすことが初心者のうちは有効だそうだ。

 そうして行われたのが、鬼ごっこだった。

 鬼は交互に行い、ひたすら追いかけっこをした。ノエルは明らかに本気を出してはいなかったが、それでも全く歯が立たなかった。

追いかければ逃げられ、逃げれば捕まる。それもすぐに捕まえてくるわけではないので、余計に疲れさせられた。


「そろそろ休憩にしようか」


 朝に始めた訓練だったが、既に太陽が真上に上っていた。

 息一つ切らしていないノエルを恨みがましく見上げながら、呼吸が整わないままうめく。


「無理、だよ……捕まえられるわけない……」

「少しずつ良くなってるよ? 体の使い方がわかってきてるって感じ」


 そう言われても、由流華としては実感はないのだが。

 もともと運動をする方でもなかったので、不慣れさが出てきてしまっている。三日も経ち少しは慣れてきたとは言えるのだが、それでも何かを掴んだとはとても言えない。

 息がようやく整ってきて、うっそりと立ち上がる。全身汗だくで、かなり気持ちが悪い。

 昼食はノエルが用意してくれていた。といっても途中の市場で買ったパンだが。


「汗だらけだね。川で水浴びしてもいいよ?」

「……しないよ」

「周りから見えなくなる属性魔法もあるから」

「そんなことできるんだ」

「私はできないけどね」


 くすくすと笑うノエルに、小さく息をつく。

 パンを食べながらシャツをぱたぱたと仰ぐ。帰ってシャワーを浴びたいぐらいだ。運動に縁のないユルカは、こんな風に汗だくになったことなどほとんどない。


「由流華の周りって、どんな曲が流行ってた?」

「えっとね……」


 ノエルはよく元の世界――日本の話をしたがった。会ったその日もしていたが、距離を埋めるための雑談というよりノエルが気になっているからこそ訊いてきているようだった。由流華はなけなしの知識で精いっぱい質問に答えていった。あのアイドルが卒業しただとか、あの映画の続編が出たとか、流行ってるスイーツだとか、そういった他愛もないものだ。

 由流華の返答を、ノエルは興味深く聞いていた。そこには日本に対する執着が感じられて、不思議な気持ちになってしまう。

 一通り話を終えて、ノエルは笑顔で礼を口にした。


「ありがとう由流華。そっかそっか、今はそんな風になってるんだね。見たいなぁ」

「ノエルは、日本に帰りたいの?」

「うん、帰りたいね」


 ノエルは迷いなく即答した。


「日本には家族もいるし、帰ってやりたいことしたいこともいっぱいあるから。なんとしても帰りたいって思ってる」

「でも……」


 ダイアナの話を思い出す。釘を刺すように、帰る手段はないと言っていた。

 ノエルは苦笑いして手を振った。


「わかってるよ、帰る方法はない。だからって諦める気はないけどね」


 ノエルの言葉には、強い意志を感じた。本気の目つきは、思わず目を奪われてしまう。

 なぜだか、感情が掻き立てられるように感じた。


「由流華は、帰りたくはない?」

「……帰れなくても、あたしは別に」

「そっか、まあ色々あるよね」


 ノエルは軽く応じて、パンをくわえた。

 帰れなくても困らない、というのは本音ではあるが正確ではない。由流華はただ、帰りたくないのだ。けれど、そんなことを言っていいのかわからずにいる。

 居場所のない家でも、やらなければいけないことがあるのに。

 パンは食べ終わったが、ノエルはもう少し休んでいようと横になった。由流華もならって、横になる。

 そのまま空を眺めていると、不意にノエルが訊いてきた。


「由流華は、会いたい人とかいないの?」

「もういないよ」


 思わず捨て鉢な言い方で返してしまった。かといって取り繕うつもりもなく、歯を食いしばる。

 由流華の人生には灯しかいなくて、灯の代わりなんてどこにも存在はしない。


「……灯って人のこと?」

「うん……」


 探るようなノエルに、小さく頷く。

 左手でピアスに触れる。すっかり癖になってしまったこの動きは、ほとんど無意識だ。


「それ……」


 ノエルの手が由流華のピアスを指さす。

 ピアスを弄ったまま、ノエルの問いをくみ取って応える。


「灯のピアス。最後に預かったんだ」

「そっか。本当に大事な人なんだね」


 ノエルの言い方はとても優しくて、自然と心の中に滲みこんできた。ささくれたった心が凪いでいくのがわかって、胸がぎゅっとしめつけられる。


「ノエルは……灯のこと、聞いてるの?」

「うん、ダイアナさんに少し聞いた」


 どうして灯の名前を出せたのだろうと思ってたが、それ以外には考えようもない。

 ノエルが上体を起こした。由流華は寝ころんだままノエルを見上げると、真剣な眼差しとぶつかった。


「由流華は、どうして冒険者になりたいの?」

「…………」


 咄嗟には答えられずに、息を吞んだ。

 ノエルの目は強く、逸らさせてはくれない。責め立てられているような気持になり、落ち着かなくなってきた。

 冒険者になりたいなんて、由流華は思っていない。

 ただ――


「ねえ、由流華。灯さんの話、聞かせてよ」


 ノエルから感じた圧がふっと無くなった。いつもの、話しやすいノエルがそこにいた。

 由流華は、しかしどうしても抵抗を覚えて、軽くかぶりを振った。


「ごめん、あんまり話したくない」

「――そっか」


 ノエルはそれ以上は拘らず、立ち上がって訓練の再開を告げた。

 由流華もその方が良かった。勢いよく立ち上がって、軽く体をほぐす。

 灯のことを考えないことはできない。だが、灯のことを口にして話すということには、抵抗があった。


☆☆☆


 ノエルの家に戻るなり、由流華はシャワーで汗を流した。そのあとは勧められるままに部屋でひと眠りした。

 目を覚ますとちょうど夜になっていた。リビングに出ると、ノエルが食卓で食事を摂っているところだった。


「起きた? お腹空いているでしょ、温め直すからちょっと待っててね」


 言うなりキッチンへ向かうノエルと入れ替わりに食卓に着く。全身の疲れも、ひと眠りでほどよくほぐれていた。

 キッチンからシチューらしき匂いがしてきた。感覚通り、ノエルがキッチンからシチューを運んでくる。


「今日はシチューだよ。食べ終わったらいいものもあるから」


 いいもの、というのは少し気になったが、とりあえず食事を優先することにする。

 疲れによる空腹もあり、由流華もここ数日はよく食べるようになった。ノエルは食べるのが速いのだが、そのスピードに少しついていけるようにすらなってきてしまった。


「ごちそうさま。美味しかった」

「そ、良かった」


 ノエルは満面の笑みで頷いた。ふと、誉め言葉に喜びを表せるのはすごいなと思った。由流華はそれがなかなかできない。灯はことあるごとに由流華のことを褒めてくれるが、あまりちゃんとした反応はできなかった。逆に由流華が褒めると灯は大げさなぐらい喜んでみせる。

 ノエルはジュースらしきものをテーブルにどんと置いた。


「これ、美味しいんだよ。由流華も飲んでみて」

「うん、ありがとう」


 コップにまで注がれて受け取る。見た目はオレンジジュースのようだ。においを嗅いでみると、見た目通りオレンジの匂いがした。

 ノエルも同じものを飲んでいる。喉も乾いていたので、一気に半分ほど飲んだ。

 あれ、と違和感にコップを置く。やけに喉が熱いような……。


「美味しい?」

「美味しい、けど……これなに?」

「オレンジジュースだよ。オレンジの味しなかった?」

「した……」


 釈然としない思いで、コップの液体を見つめる。

 んーと首を傾げて、まあいいやともう一口飲む。かっと身体が熱くなるような感覚が不思議で、もう一口飲んでみる。

 気付いたら全部飲み終わっていた。すぐにノエルがお代わりを注いでくれたので、また飲み干す。


「由流華はさ、トーイロスに少しは慣れた?」

「慣れた、のかな。よくはわからないよ」

「そうだね、私も来たときは大変だったから。慣れたって言えたのだって、どれぐらいからだったかな」


 ノエルは四年前に転生したと言っていた。ということは。


「12歳の時、だよね」

「うん。当時はマジで訳わかんなくてめっちゃ泣いてたなー」

「…………」

「お父さん、お母さんってさ。もう会えないって言われても、全然信じられなくて」


 由流華も同じだ。違いは灯と一緒に転生したとしたということだが、もう会えなくなったということは何も変わりはない。

 ノエルはオレンジジュースをあおり、軽い口調で続ける。


「まあ転生者はみんなそんなもんだけどね。現実を受け入れるのに少し時間はかかる」

「ノエルは……どれぐらいで、受け入れられたの?」

「一か月ぐらいかな。それぐらいから、いつもの自分を取り戻せたって気はする」


 由流華は転生して、二週間近くが経っている。その倍もあれば、受け入れてしまうのだろうか。

 胸が締め付けられるような感覚がして、顔を伏せる。


「由流華?」

「……嫌だよ」

「うん?」

「受け入れたくなんてない。あたしは……」


 顔を上げると、ノエルの視線とぶつかった。優しい瞳にさらされて、由流華は言葉を失った。

 ノエルは仕方ないなというように微笑んで、さらにオレンジジュースを注いできた。手つきで飲むように促されて、ちびちびと口に含む。


「由流華に何があったのかっていうのは、ダイアナさんから少し聞いてる」

「…………」

「でも、私は由流華の口から聞きたい。何があったのか、何を考えたのか、教えてほしい」

「あたし、は……」


 言葉が喉につっかえる。口にしてはこなかったことを出してしまえば、もう止まらない気がした。そして、取り返しのつかないことになってしまう予感も。

 いやいやするように首を振る。それなのに、言葉は勝手にこぼれ出てきた。


「転生して、森の中に出て、あたしも灯も訳が分からなくて。森を出ようとしたんだけど、魔物に襲われて……」


 子犬のような、真っ黒な魔物。まだ、夢に出てくるぐらい鮮明に焼き付いている。


「灯が魔物に噛みつかれたの。あたしは灯を守らなきゃって、それだけを考えてたのに、灯が魔物に一斉に噛まれたときに……逃げ出した」


 そうだ。目の前で全身を噛まれていた灯を助けようとするどころか一目散に駆けだした。泣いて、吐いて、がむしゃらに。

 あの時、由流華は。


「死にたくなかった。灯より大切なものなんて何もないのに、あたしはあの時死にたくないって逃げ出した……灯と一緒に死んであげることもできなかった」


 歯を食いしばる。灯のために、何もできなかった。ただみっともなく逃げて、今なお生きている。


「このまま生きて、灯のことを過去にしたくない! もう会えないんだって受け入れたくない! 時間が経って、ノエルみたいに強くなんていたくないんだよ!」


 だから、話したくなかった。そうすると過去の出来事だって受け入れないといけない気がして、頭から離れなくても口にはしたくなかった。


「だからあたしは冒険者になるって言ってるの。そうして絶域に行けば、魔物に襲われたりして苦しんで死ねるかもしれない。灯に対してできることなんてそれしかない! そうしないと償えない!」


 押さえていた言葉がまったく止まらない。涙が浮かんできていて、ノエルの姿もよくは見えない。

 ただ激情のまま、言葉を吐き出していく。


「灯に会えないなら、もう生きている意味なんてない!」


 由流華は叫び、勢いのまま立ち上がって。

 ふらりと横に倒れた。

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