第10話 身体強化魔法と属性魔法③

 身体強化魔法を習得できたといっても、多少力が出るようになったという感覚でしかない。

 ノエルは由流華の感想に苦笑して、


「最初はそんなもんだよ。鍛えていけばどんどん強くなるけど、成長するまでは素で運動能力高い人の方が動けるからね」

「そうなんだ……」


 拳をぐっと握ってみる。強くなったというより、身体の調子がとてもいいぐらいな感じだ。魔法とはいっても、いきなり劇的に力を得られるというわけではないようだ。

 それを残念に思っている自分に、内心で首を振る。


(どの道、これならそんなに役に立ってないよね)


 森の中で灯を助けることはきっとできないだろう。

 意味のない思考が、内心をそこまでかき乱してないことを自覚する。身体強化を目覚めさせた瞬間は、由流華自身理解できないほどの激情にあふれていた。

 今はそれをまるで感じない。落ち着いた、と言ってしまっていいだろう。施設の時にいた無気力さより、日本での日常に近づいたような。


(……嫌だな)


 内心でうめく。それではまるで……

 ぱんっ、と音がして物思いから覚めた。ノエルが手を叩いた音だった。

 さて、とノエルは仕切り直すように言った。


「次は属性魔法やっていこうと思うけど、できる?」

「う、うん……」


 疲労は感じているが、どこか心地よいものだ。心身ともに、なぜだか調子は悪くない。これも、身体強化の影響なのだろうか。


「属性魔法は、身体強化とは全然感覚が違うんだよね。身体強化は体の中で操るけど、属性魔法は体の外で操る」

「……難しそう」

「うん、難しい。できない人はまったくできなかったりするし。でもとっかかりが掴めれば普通にできるようになるから」


 言って、ノエルは川に右手を伸ばした。


「属性魔法は、自分にもう一つの手があってそれでつかみ取るイメージでやるのがコツかな」


 ノエルが手を下に振り下ろすと、川面がわずかに跳ねるが見えた。まるで平手で叩いたかのように。

 ノエルは何度か同じ動きを繰り返した。その度にぱちゃん、と川面が揺れる。


「最初は持ち上げるところまでは考えていいからね。こうやって、ちょっとでも干渉できるようになれば属性魔法習得って言えるから」


 手つきで促されて、一歩前に出る。ノエルを真似て右手を前に伸ばした。


(見えない手……?)


 正直、よくわからずどうイメージすればいいのかもわからなかったが、とにかくやってみる。

 実際の右手を頭の上まで上げて、思い切り振り下ろす。

 右手が空を切る音と、川のせせらぎ以外は何もない。川面も、自然の流れのままだ。

 何度かやってみても同じだった。手ごたえも、結果も何もない。


「触ってる感覚はある?」

「……全然ない」


 由流華の答えに、ノエルはうーんとうなり声をあげた。


「ちょっと待っててね」


 ノエルの目の前の地面が、いきなり凹んだ。またげそうなほどの大きさのキレイな円形の凹みに、みるみるうちに水が湧きあがっていく。

 あっという間に、水たまりが出来上がった。


「こっちでやってみよっか」

「これ、ノエルが魔法で作ったの?」

「そだよ」


 軽く言うノエルに、感嘆の息を漏らす。


「魔法ってこんなことできるんだ。すごいね」

「お、魔法のすごさがわかってきた?」


 からかうように笑うノエルに、どう反応していいのかわからずに曖昧に頷く。

 水たまりに向かって手を伸ばす。

 イメージを固め、それを叩きつけるように実際の手も振り下ろす。

 水たまりは何の反応も見せず、凪いだままだった。


☆☆☆


 休憩しながら一時間ほど続けたが、ついに水たまりは何の動きも見せなかった。

 額に浮いた汗をぬぐう。身体より、精神的に疲労していた。水たまりに向かって腕を振り続ける行為を繰り返すうちに、段々と何をやっているんだろうとすら思い始めていた。

 ノエルは気遣うように笑って、練習を切り上げた。


「今日はここまでにしようか」

「うん……これ、できる気がしないんだけど」

「いきなりはやっぱり難しいよ。何日か続けてみたらできるようになるかも」

「またこれやるんだ……」


 うんざりとうめく由流華に、ノエルは声をあげて笑った。


「基本的には身体強化の練習だよ。そっちが基本で一番大事だから」


 ノエルは水たまりを元に戻した。引き上げる準備もすぐに終わり、歩き出したところであることに気が付いた。


「そういえば、あたしってどこに行けばいいの?」


 施設を出た時のダイアナの様子からは、身柄は完全にノエルに預けたように思えたが。

 ノエルはにんまりと笑って答えを告げた。


「それはね、私の家だよ」


☆☆☆


 都市に戻り、案内されたのは立派な一軒家だった。


「ここが、ノエルの家……?」

「うん、過ごしやすいと思うよ。自分の家だと思ってゆっくりしていってね」


 その家は、完全に周囲の街並みから浮いていた。

 どこからどう見ても、日本で見る住宅のそれだった。

 日本風の家屋ということではない。日本で立ち並んでいる一般的な住宅がそのままそこにあるのだ。

 都市の住宅は中世ヨーロッパを思わせるような造りをしている中、いやに洗練された住宅は明らかに異彩を放っている。

 ノエルについていき、家の中に足を踏み入れる。

 一歩を踏み入れた瞬間、自分の感覚がおかしくなるのを感じた。

 外観通りのものが、玄関から展開されていた。コンクリートにしか見えない玄関に靴箱もあり、真っすぐ伸びる廊下も日本の家屋のそれでしかなかった。トーイロスではなく、ドアを開けて日本に戻ってきたのかと真剣に思った。

 リビングも洋風のおしゃれなリビングだった。ソファに大理石のようなテーブル。ダイニングテーブルの向こうの奥にはキッチンがあり、施設のそれとは違い現代日本のキッチンそのものだった。

 本気で混乱して、由流華はきょろきょろと視線をさまよわせた。


「すごいでしょ、この家」


 自慢そうなノエルに、表情を取り繕うこともできずに訊ねる。


「なんで、こんな家があるの?」

「特注したの。大変だったんだよ。材質も何から何までこだわって。まあ、外観だけは作って機能はないものもあるけどね」

「日本にいるみたい……」

「うん。そういうのを感じたくて作ったんだよね。どう、懐かしくない?」

「う、うん……」


 まんざら追従でもなく頷く。もちろん自分の家に似ているわけではない。それでも、よくある形の家の中にいるだけで懐かしさを強く感じてしまう。だが、それで落ち着くかというと別の話な気もしたが。 


「私の家をできる限り真似したんだよね。一人で住むにはちょっと広すぎるけど」

「一人で住んでるの……?」

「そうだよ。ギルドメンバーを泊めることはあるけど、大体は一人」


 ノエルは由流華に向かってにかっと笑いかけた。


「今日からは由流華がいるから、寂しくないかな」

「……うん」

「落ち着くまではいて大丈夫だからね。部屋はあまりまくってるし」


 由流華が使う部屋として、客間を案内された。整った洋室で、ベッドも置いてあった(施設のものよりかなり良さそうだった)。ベッドも整っていたので、由流華を迎えるとなってベッドメイクをしたのかもしれない。

 荷物もなく、着替えもない。部屋着としてノエルの服を渡されたので(簡素なスウェットだった。これも特注なのかは訊けなかった)、それに着替えてリビングに戻る。

 ノエルはエプロンを着けて待っていた。


「ご飯は何にする? 日本のものもかなり再現できるようにしてるんだよね。好きな食べ物言ってみて」

「……納豆」

「納豆……はさすがに無理かな、ごめんね」

「う、ううん。なんでも大丈夫」


 さすがに納豆はおかしかったかと顔を赤くしながら応じる。なんでも大丈夫も返事としてはよくはなさそうだったが、幸いにもノエルは「任せて」と頷いてキッチンに入っていった。


「由流華は待ってて。本は好きなの読んでいいから」


 リビングには大きめの本棚があり、多少の隙間がありながらも本で埋められていた。

 試しに一冊を手に取ってみる。さすがに日本語のものではなく、トーイロスの本だ。ぱらぱらとめくってみると、小説のようだった。冒険者を主人公とした作品らしい。

 ソファに座って読み進める。一度集中すると、他のことは頭に入らずに読むことができた。

 内容としては、冒険者に憧れる少年がギルドに入り冒険を重ねていくものだった。序盤は少年がなぜ冒険者を目指すのかが詳細に描かれている。

 冒険者になると言った由流華は、この少年とはまったく違う理由でそれを志している。

 魔法を覚え、冒険者になった時に由流華はいつか目的を果たすのだろうか。


(あたしは……)


 本を読む手が止まる。

 由流華に目的なんて言えるほどのものはない。考えていることは……ろくでもないことだ。


(ろくでもない?)


 内心に驚く。ごく自然に出てきた言葉だった。だからこそ、由流華自身の本音なのではと思わされる。

 自分が何を考えているのか、一番わかっていないのは自分なのではないのか。


「由流華、ご飯できたよ」


 ノエルの呼びかけに、はっと本を閉じて立ち上がる。

 考えるのは後回しにして、ダイニングテーブルに着いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る