第7話 異世界での目覚め⑦
次の日も由流華はキッチンで食事の支度をしていた。
昨夜の食事も、ダイアナはあっという間に完食し美味しいと言っていた。施設を出るまでは食事を作って欲しいと言われて承諾したが、なんだか騙されているかのような心地ではあった。
支度を進めていると、不意に灯のことを想った。
灯は、由流華が家の食事を担当している理由も自分の料理の味がわからなくなっていることも知っている。それでもなお、由流華の料理を食べたいと度々要求してきた。
由流華は頑として応じなかった。食べさせるようなものではあるとはどうしても思えなかったし、どんな反応が来るのかが怖かったからだ。
灯は食べられなかったことを怒っているだろうか。いや、死んだ人間が何を怒るっていうのだろう。
由流華の人生に、この世界に、もう灯はいない。
そんなことを考えていると、手が止まった。いったい何をやっているのだろうか。料理を作っても、ここで生きていくにしても、灯はもうどこにもいないというのに。
「今日は何を作るの?」
キッチンにダイアナが入ってきた。棒立ちしている由流華に気づいて、怪訝そうに眉根を寄せた。
「何やってるの?」
「いえ、別に……」
誤魔化しようもなく適当に答える。
作業を再開させようと思っても、体が動かなかった。今すぐ横になって、眠ってしまいたい衝動に駆られていた。
「あのさ、ユルカ」
「……はい」
「料理、教えてくれない?」
「え?」
唐突な提案に、さすがに反応してしまった。
ダイアナは頬を掻いて、言い訳するように続けた。
「ユルカの料理美味しいからさ、私も少しはできるようになっておきたいんだよね。良い?」
「いいっていうか、教えられるようなものはないですよ?」
「じゃあさ、ユルカがどうやっているのか見せてよ。それでいいから」
ダイアナは引き下がる気はなさそうだった。仕方なく「わかりました」と了承する。
教えるなんてしたことはないし、教えられるようなものがないというのも本音だ。由流華の料理は否定され続けてきたのだ。いくらダイアナが美味しいと言ってくれていても、本気で信じることはできない。
作ろうとしていた料理を再開する。時折くる質問に答えるのは少し難しく、手間取りながら料理を進めていく。
「ユルカさ、誰かに教えてもらったの?」
「……お母さんに教えてもらいました」
「そっか、いいねえ」
「ダイアナさんは、お母さんは?」
「いないよ、とっくに死んだ」
なんでもないように言われて、手が止まった。ダイアナを見やると、きょとんと見返された。かえって戸惑ってしまい、手元が狂って手を切りそうになった。
「なにやってるの」
「い、いえ……ごめんなさい」
「いや謝られても……ああ」
なんについての謝罪か見当がついたらしく、ダイアナはどうでもよさそうに手を振った。
「別に、親がいない人なんか珍しくもなんともないよ。私の場合親父も似たようなものだし」
「ダイアナさんは、一人でずっとここに住んでるんですか?」
「都市にってことならそうだね。子供のうちはギルドで世話になってたんだけど、自立して出てからはここに住んでる」
「大変ですね、こんなに広かったら」
ダイアナはそうだねーと施設全体を見渡すかのように首をぐるりと回した。
「とは言っても暇なことも多いし、掃除とかは適当にやってるからそんなでもないけどね。使ってない部屋は結構ひどいし」
「そんなものですかね」
話しながらだと少し気持ちが落ち着いて、手元が狂うこともなくなった。
そのまま完成させると、ダイアナは感心したような声を上げた。といっても、目玉焼きに焼き魚とサラダを添えただけのもので、教えると言うほどのものでもないような気がするが。
「さすが、慣れてるものだね。コツとかある?」
「コツですか……決められた手順通りに作れば形にはなります」
味見ができなくなったので、そう作るしかなくなってしまったのだが。
ダイアナはふむふむと頷いて、あ、とできた朝食を指さした。
「またユルカの分がない」
「あたしはこっちを食べるから大丈夫です」
隅に寄せておいたリンゴを手に取る。何もせずそのまま食べれば味がするので食べることができる。包丁を入れるだけでもう味がしなくなってしまうので、丸かじりにはなるが。
ダイアナはじろりと露骨に不審な目を向けてきた。
「なんで食べないの? 毒とか入れてる?」
「……自分の料理、好きじゃないんです」
正確な説明ではないが、本当のことだ。
ダイアナは少し考えていたが、まあいいやと気にしないでくれたようだった。
料理を運び、テーブルをはさんで向かい合った状態で食事を摂る。一緒に食べる必要があるのかはわからなかったが、何も言われなかったので特に考えることなくそうした。
ダイアナは変わらず美味しい美味しいと食事を進めている。
由流華がリンゴを一つ食べ終えるのとほとんど同時にダイアナは全て平らげた。満腹とばかりにふぅと息をついて、ふと思い出したように由流華に提案をしてきた。
「ユルカさ、仕事手伝ってくれないかな」
「仕事……今やっているのではなくてですか?」
今も、掃除などは手伝っている。
「違う違う、私がやってる事務仕事。文字も書けるようになった方がいいし、その辺りも教えるよ」
「……わかりました」
「よし、片付け終わったら一階に降りてきて」
言うが早いがダイアナは食堂を出て行った。
食器を片しながら、ぽつりとつぶやく。
「仕事、か」
事務仕事と言われても何もぴんとはこない。今まで仕事なんてしたこともない高校生だったのだ。
自然と、言われたことをすることに対して受け入れていることに気が付いた。もちろん、施設に置いてもらっている身なのでできることがあるならやるのは当然だ。
けれど、体が、思考が、徐々にいつものものになりつつあるのを感じる。
ぶるりと体が震える。
それだけはダメだと、頭の中で叫び声がした。
☆☆☆
仕事は、まったくできなかった。
文字を覚えるのが難しく、自分の名前を書けるようになるのでさえかなり手間取った。
更には自分が事務作業にまったく向いていない人間だということを思い知らされた。ダイアナも最初は辛抱強く教えてくれていたのだが、次第にイライラを隠せなくなったようで任される作業の簡単さだけが飛躍的に増していくことになった。
最終的には書類の整理として、事務所の模様替えのようなことをした。これは恐らく予定されたものではなく、ダイアナが勢いで指示した通りに動かされた事務所はかなり混沌としたものになっていた。
これは明日戻そうと宣言したダイアナは夕食にしようと由流華を誘った。
「今日は外で食べようか。私のお気に入りの店行こう」
そういって連れていかれた店は、静かな雰囲気のレストランだった。外食と言えば灯と行ったファストフード店しか知らない由流華にとって、日本のものとの違いを見つけることも難しい。
緊張を覚えながら席につく。そんな由流華を見て、ダイアナはくすりと笑った。
「取って食いやしないから。好きなの食べな」
「好きなの……」
そう言われてもと思うのだが、テーブルにあるべきものが見つからなかった。
「どうしたの?」
「あれ、メニューが……」
戸惑う由流華に、ダイアナは口を押さえて堪えきれずに笑い出した。
由流華は何か失敗したのかと顔を熱くする。レストランにはあるものじゃないのだろうか、それとも異世界にはないものなのか。
笑いが収まったダイアナは「ごめんごめん」と手を振った。
「料理を言えば作ってくれるから大丈夫だよ。だから言って見なよ。ユルカがいた世界のも作れるやつあるはずだし」
「……じゃあ、ダイアナさんのオススメで」
「そう、出てきたものはちゃんと食べなさいよ?」
冗談っぽく笑うと、ダイアナは慣れた調子で手早く注文を済ませた。よく来ているのだろうと思わせる堂々さは、素直に頼もしかった。
注文を終えたダイアナは、さて、と切り出した。
「ユルカ、少しはこれからのこと考えた?」
「……すいません、まだ」
「急かしてるわけじゃないよ。なんかあればなってだけ。まあ、事務系の仕事は難しいかもだけど」
「……すいません」
今日の失態の数々が浮かび上がり、テーブルにつく勢いで頭を下げる。
「冗談だって! 初めてならあんなもん……慣れたらちょっとは変わってくるでしょ」
フォローの仕方にかえってダメージを受けていると、ダイアナは「それに」と続けた。
「やろうと思うものがあるなら、そのための道は用意してあげる。そういう仕事だからさ」
「やろうと思うことなんて……」
言いかけて、ぴたりと止まる。
そういえば、とダイアナの講義を思い出す。真面目に聞いたとは言えなかったはずだが、意外にも内容は覚えていた。
「冒険者、なれますか?」
「……危険な仕事だよ。死ぬことも十分ある」
「構いません」
声のトーンを下げたダイアナに即答する。
ダイアナは眼差しを鋭くして、射貫くように由流華を見据えた。
「どうして冒険者になりたいの?」
「…………」
「答えられないの?」
「その為の道を用意してくれるんですよね」
苦し紛れの言い返しだったが、ダイアナは答えずに黙り込んだ。ただ、鋭い目は由流華に向けたままだ。
由流華も目を逸らさずに真っすぐに見返す。逸らしたら、話が終わってしまうような気がした。
ややあって、ダイアナは重く息を吐いた。頬杖をついて、不機嫌そうにうなる。
「わかった。冒険者になりたいというのならなれるように準備する」
「ありがとうございます」
冒険者になれば、灯に近づくことができる。
それを言えば絶対に認めてはくれないだろうけど、どうしても由流華が考えられるのはそのことだけなのだから。
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