第6話 異世界での目覚め⑥

 記録書を書く手を一度止めて、まぶたの上から目を揉む。

 コーヒーを飲みながら、記録書を読み返す。転生者である由流華に関するものだ。転生者の情報はこうして書面に残すことになっている。

 ラプト都市では転生者は大体月に一人のペースで保護される。つまりダイアナの仕事もその時にしか発生しないということでもある。実際はこれまでの転生者のフォローなどを行うこともあるが、これもそんなにあることではない。

 暇なことが多い仕事だが、更に最近では転生者が保護される頻度が減ってきている。他の国で保護されたりもするし、由流華のような事故もあるのでそれぐらいのばらつきはあるだろうと思っていたが、暇が増えるのは勘弁してほしかった。。

 転生者は、様々なリアクションをとる。異世界を喜んだり、悲しんだりもする。滞在の間に転生を受け入れるようになったり、受け入れていると思ったら急に帰りたいと泣き出すものもいた。

 由流華の態度も、それほど珍しいものではない。親しい人と会えなくなったことを悲しむのは当たり前のことだ。あそこまで気力をなくし捨て鉢なのは極端ではあるが。

 ダイアナが転生者施設で働くようになって五年が経つ。閑職であり給料も低く(家賃が免除されているとしても割が合わない)、しかし転生者がいる間はかなり忙しくなるので辞職を願い出ているのだが、後続がまったく見つからないまま半年ほど保留にされている。

 転生者と関わるのは正直疲れる。価値観も常識も異なる相手に一人で教育することになるし、変なわがままを言われることも少なくない。

 しかし、転生者はある日突然異世界に来て、帰ることもできずに生きていくことになる。そのことには深く同情はしている。できる限りのことはしてやりたいとは思ってはいるのだ。

 由流華は友人を目の前で亡くしたショックを受けている。放っておけば何かをするかもわからず、なるべく注意してみるようにしていた。考えることをさせれば前向きになるかとあえて強く出てみたが、うまくいったかはわからない。

 色々な転生者を見てきたダイアナの目には、由流華は動ける人間に見えた。今は沈んでいても、前を見て進める人間だと。直観だが、今までこの直観はあまり外れたことはない。

 だから、由流華も回復すれば動けるようになるはずだ。

 そのためには、何かさせた方がいいのかもしれない。


☆☆☆


 施設に来て三日が経った。

 講義は最初の一日で終わり、都市の案内はその翌日に終わった。あとは今後の身の振り方が決まるまで施設にいていいと言われた。

 今後と言われても、今の由流華には何かをするという意思も持てなかった。普通の受け答えはできるようにはなってきたが、気持ちが上向くことがあるとはどうしても思えない。

 朝食のパンを食べていると、出し抜けにダイアナに提案された。


「昼ご飯、ユルカが作ってくれないかな」

「あたしが……ですか?」

「うん、私も忙しいからそうしてくれると助かるんだけど」


 由流華はこの数日、洗濯などの家事を手伝うなどはしていた。由流華の方も、何かしてくれと言われればそうするつもりではいる。

 だが、と困り顔で返答する。


「すみません、料理は苦手なんです」

「やったことないの?」

「……家では全部あたしが作ってました」

「じゃあできるってことね。味に文句なんか言わないからお願いね」

「……あの、本当に美味しくないですよ」


 重ねて言うのだが、ダイアナは「いいから」と取り合わなかった。

 食事を終え食堂からダイアナがいなくなって、大きく溜息をつく。

 料理には良い記憶がない。本気で気が進まなかったが、仕方ないとやることにした。

 食材などは由流華も知っているものばかりで、作ること自体はできそうだった。家でやっていたように、体に染みついた動きを料理を作っていく。

 味見はしなかった。しても意味がないから。

 食堂に出来上がったシチューと鶏肉のソテーを並べ、ダイアナを呼びに行く。ダイアナは待ってましたとばかりに仕事を中断させて立ち上がった。


「あれ、ユルカの分は?」


 テーブルには、ダイアナの分だけを並べている。


「あたしはあとでパンとか買って食べます」


 由流華の返事にダイアナは怪訝そうに頷いて、席についた。自分の分だけが用意されるとは思っていなかったのか、不安そうに見えた。

 立ったままでいるのもと自分も座る。食堂から出ていきたかったが、さすがにそれは無責任だと思った。

 ダイアナは意を決したようにシチューにスプーンを差し込み、自分の口に運んだ。するとたちまち眉をしかめた。

 やっぱりだめか、と特に感慨もなく思う。


「なにこれ、美味しいじゃない」

「え?」


 ダイアナは感想を証明するようにぱくぱくと食べ進めていく。そうしながら由流華にじろりとした視線を向ける。


「これで料理苦手って嫌味でしょ。そういうのは良くないわよ」

「い、いえ……今まで家族に料理を作って褒められたことなんてなくて」

「これで?」

「はい、あたしは全然うまくできなくて……」


 家では由流華が食事を担当することになっていた。が、ただの一度だって肯定的な反応が返ってくることはなかった。少しでも良くしようと工夫をしてみても、由流華の料理は否定され続けてきた。そんなことを繰り返しているうちに、自分の料理の味がまったくわからなくなってしまったのだ。食べ物の味はわかるのだが、自分の手が入ると何の味もしなくなってしまう。

 味の調整ができなくなったので、そうなってからは決まった手順で作り否定されるという日常になった。由流華が食事から解放されることもなく、灯が食べたがってもなにかと避けてきた。

 ダイアナも一度食べればもういいと言うと思っていたのだが。


「ユルカの基準はわからないけど、私が作るより美味いし十分以上だよ。このままいる間は作って欲しいぐらい」


 由流華はまだ信じられない思いで食事を続けるダイアナを見つめる。

 ダイアナは面倒くさそうに苦笑した。


「気を遣ってるわけじゃないからね。本当に美味しいよ、ユルカの料理」

「……初めて、そんなこと言われました」


 話している間にもダイアナは食べ進め、あっという間に平らげてしまった。


「ごちそうさま。さっきのは本当。夜もまた作ってくれる?」

「……わかりました」

「ん、じゃあよろしくね」


 皿を片付けようとするダイアナに自分がやっておくと言うと、ダイアナはわかったと食堂を出ていった。

 由流華も立ち上がり、ダイアナの背中に向かって声を投げる。


「あの……ありがとうございます。美味しいって言ってくれて」

「こちらこそ、美味しかったしありがとうだよ」


 ダイアナは微苦笑を浮かべて応じると、今度こそ食堂を出ていった。

 洗い物を済ませて食堂を出ようとして、ふと振り返る。

 今まで由流華の料理を食べたのは、父親と妹だけだ。二人とも、由流華の料理を――いや由流華のすべてを否定した。それは当然の報いだ。由流華はそれだけのことをしたのだから。

 だから、嬉しいなんて思ってはいけない。

 家に帰れなくて良かったなんて、思ってはいけない。

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