第5話 異世界での目覚め⑤
ダイアナが黒板に書いたのは、見たことのない文字だった。日本語でも、アルファベットでもない。似たものもわからなかった。
ダイアナはそれをやや乱暴に書き終えると、鋭く由流華に向き直った。
「はい、これなんて書いてある?」
「……ダイアナ・アルレイド」
知らない文字なのに意味がわかったことを不気味に思いながら答える。
ダイアナはそうと頷いた。
「転生者はトーイロスの文字を読むことができる。話もできてるでしょ? だからそういう基本的なところで困ることはない。書くのだけは覚えなくちゃいけないけどね。それは今後教えていくから。次は――」
話しながら、大きな紙を黒板に貼っていく。
どうやら地図のようだった。ダイアナは中央付近の一点を指さして解説する。
「ここが今いる『都市』。あなたたちの言葉でいうところの首都みたいなものね。ここで職を見つければ、それなりに暮らしていける。転生者なら引く手あまただからそこは心配しなくていい」
「はい……」
正直言っている内容が頭に入っているとはいいがたがったが頷いておく。
ダイアナが何を言おうと、今後のことなんて考える気力はないままだ。
「都市の中はちゃんと案内するから、そこの時に色々説明する。で、こっからが本題。そっちの世界にはなくてトーイロスにはあるものについての話をするから、ちゃんと聞いていてね」
ダイアナは地図が貼られていない部分の黒板に次々と書きつけていく。
はい、とばかりに示された由流華はゆっくりと読み上げた。
「魔法……ギフトタグ……絶域……魔物……」
「うん、これらが大きい要素だね。まずは……絶域の話をするかな」
ダイアナは少し迷うようにして、絶域と書いた部分を指さした。
「絶域っていうのは、魔物が現れたり厳しい環境がある一定のエリアを指すんだ。一緒に説明するけど、魔物は人を襲う生き物のこと。絶域にしか生息しないけど、絶域によってさまざまな種類がいて……」
人を襲う生き物。
その単語が、由流華の記憶を呼び起こした。
一日前の、苦痛に満ちた記憶が。
「それって……」
由流華のつぶやきに、ダイアナは話を止めて頷いた。
「ユルカが転生で現れたのは、まさに絶域の中だったってことになる。ここ、森の胃袋っていう名前がついてる」
ダイアナは地図を示した。都市のやや右下の部分に、確かに「森の胃袋」と記してある。
それこそ胃袋が逆流しそうな気分になり、腹を押さえてうずくまる。吐き気をこらえて、ぎゅっと歯を食いしばる。
「ちょっと大丈夫!?」
ダイアナが由流華の背を擦り、顔を覗き込んでくる。
「今日はここまでにしておく?」
「……いいえ、聞きます」
由流華の返事にダイアナは安堵の息を吐いて黒板前に戻っていった。
自分でもどうして続けるなんて言ってたのかわからない。引き延ばすより早く終わらせたかったのかもしれない。
ダイアナは気遣うような視線をちらりと向け、続けた。
「絶域は自分から足を踏み入れない限りは何も問題はない。魔物も絶域からは絶対に出てこないから、都市にとどまる限りはそういう意味では安全だよ」
だから、由流華が森の外に出たあとに追ってくることはなかったのだ。
追ってきてくれて良かったのに。
「次の話は本当に大切。転生者にとって、一番大事かもしれないからちゃんと聞いていて」
「……はい」
「転生してから、覚えのない何か持ってなかった? アクセサリーかなにか」
「いいえ……あ」
かぶりを振ってから思い出した。
袖をめくると、覚えのない銀色の腕輪が姿を現した。
「これ、ですか」
「それかな。ちょっと貸してもらっていい?」
「はい」
腕輪を外して、ダイアナに手渡す。ダイアナはそれを少し眺めて、教卓にことりと置いた。
「トーイロスには使用すると何らかの効果を発揮する道具があって、それらをギフトタグって言うんだ。道具だったりアクセサリーの形をしていることが多くて、トーイロス人全員じゃないけど持ってる人は持ってる。そして転生者は、例外なくギフトタグを持ってる」
例外なく、ということは灯も持っていたということなのだろうか。今や確かめようもないが、そんなことが頭に浮かんだ。
ダイアナは腕輪に手をかざした。
「ギフトタグの効果を知るためには、鑑定の魔法を使う。こんな風にね」
ダイアナがかざした手と腕輪の間に光の膜のようなものが見えた。表面に何か浮かんでいるようにも見えたが、角度的に見えそうにはなかった。
真剣に光の膜を見つめているダイアナをよそに、左耳のピアスに触る。これに触れていると、まだ少し元気になれる気がした。
光の膜がふっと消えた。ダイアナは顔をしかめていたが、誤魔化すようにわざとらしい笑顔を浮かべた。
「ユルカのギフトタグの効果は、身体強化だね」
「それって……どうなんですか?」
「……細かい効果は鑑定だけじゃわからないから何とも言えないかな。つければ使えるみたいだから使ってみてだね」
「はい……」
どうやらあまり良いものではないようだった。ダイアナには悪いが由流華にとってはどうでもいいといえばいい。
ダイアナから腕輪を返してもらう。と、ダイアナの目がピアスにとまっていた。
「これ……?」
ダイアナの手が伸びて、ピアスに触れる。
ぞっとして、反射的にダイアナの手を払った。
「触らないで!」
激情のまま動いて、ダイアナを睨みつける。
ダイアナのきょとんした顔にはっと正気に戻って、慌てて謝罪する。
「ご、ごめんなさい……」
「いや、いいけど……」
ダイアナは眉をしかめて、今度は触らずにピアスを指した。
「それ、ユルカの?」
「これは灯のピアスです」
「ギフトタグじゃなくて?」
「え?」
訊き返すと、ダイアナは真剣な眼差しで由流華の目を覗いた。
「ギフトタグはね、生み出した本人が死ぬと砕けるんだよ。それがギフトタグなら、友達は生きているのかもしれない」
「――っ!!」
とっさにダイアナの服にしがみついた。戸惑うダイアナを見上げて、声を――
(違う、ありえない……)
芽生えた期待を内心で振り払う。誰よりも由流華が、灯に生きていてほしいと思っている。けれど、理性はどうやってもそれを否定する。
しがみつきたい希望なんて、実際にはないのだから。
「灯は死んでいます。それに、このピアスは転生する前から灯が持っていたものです。ギフトタグじゃありません」
「そっか……わかった」
ダイアナは微苦笑を浮かべて、由流華の肩を叩いた。
「一度休憩にしようか」
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