第4話 異世界での目覚め④

 目を覚ます。

 それ自体は日常だ。眠れば、やがて目を覚ますことになる。劇的な何かがあるわけでもなく、夜に眠れば朝になり意識は覚醒する。

 眠れるとも思っていなかったが、いつの間にか眠っていたようだった。覚醒した頭が、はっきりと現実を次々と告げてくる。

 ここは、由流華の家ではない。

 昨日、灯失ったこと。

 夢であればよかったと思うまでもなかった。目を覚ました瞬間、全てが現実であることを一瞬で思い出してしまった。

 昨夜枯れるほど泣いたはずなのに、まだ涙がこぼれ落ちてきていた。

 灯はもう、どこにもいない。

 動けないでいる由流華の耳にノックの音が飛び込んできた。


「ユルカ、起きてる?」


 ダイアナの声だった。ゆっくりと扉の方を向いて、返事をする。


「起きてます」

「そう、ご飯の準備できてるから出てきなさい。階段を上った正面の部屋にいるから」


 そう告げたダイアナの足音が遠ざかっていく。由流華はしばらくぼーっとしていたが、やがてのろのろとベッドを降りて部屋を出た。

 ふらつきながら遅い歩みで廊下を歩く。倒れそうにもなるが、倒れたらもう起き上がれる気がしなかった。別にそれでもいいのだが、由流華は結局倒れることなく目的の部屋にたどり着いた。

 扉は開いたままだった。部屋の中央には大きめのダイニングテーブルがあり、ダイアナが言った通り食事が用意されていた。

 部屋の奥にはキッチンがあった。個人用ではない、大きいものだ。そこまで見てようやく、この部屋が食堂なのだと知れた。

 ダイアナはキッチンにいた。入ってきた由流華を見ると、軽い手招きをしてきた。

 ダイアナのところまで行くと、コップを一つ渡された。


「はい、朝のコーヒー」

「…………」


 受け取り、会釈だけをする。

 ダイアナは自分の分のコップにコーヒーを注ぎながら訊いてきた。


「昨夜のコーヒーはどうだった? 口に合えばよかったけど」

「……あ」


 言われて思い出した。コーヒーは一口も飲んでおらず、テーブルの上に中身が入ったまま置きっぱなしになっている。


「……すいません、実は飲んでいなくて」

「そっか。いいよ、洗っておくから出しておいて」

「はい、すみません」


 ダイアナがコップを手に席につくのについていく。ダイアナの正面に座ると、ダイアナは手つきでテーブルの上のパンを示してきた。

 皿の上にコッペパンが十個ほど並んでいる。一つ一つは大きいわけではないが、皿に並んでいるのを見るとそれなりの量だ。小皿にバターとジャムがそれぞれに用意されていた。

 食欲はなかったが、空腹は確かに感じられていた。コッペパンを一つ手に取って、何もつけずに一口かじる。作りたてなのか香りがしっかりと感じられて味は美味しいと思えた。

 軽く咀嚼して飲み込む。ダイアナの視線を受けて、そのまま一つを食べきった。

 二つ目以上は手が伸びずに、小さく首を振った。


「……ごちそうさまでした」

「もう少し食べていいけど?」

「いえ、もう大丈夫です」


 断ると、ダイアナはわかったとパンをぱくぱくと食べていった。結局は半分ほどを残した。

 ダイアナがコーヒーを飲んでいるのを見て、由流華も口を付けた。コーヒーは普段全く飲まないのでよくはわからないが、不思議とすぐに飲み干すことができた。


「少しは落ち着いた?」

「え?」

「今日は、ユルカの身に何があったのかをちゃんと説明したいと思ってるんだけど」

「説明?」


 そんなことはわかっている。ここがどこだろうと、なんだろうと、由流華は灯を失った。それが実際に起こったことで、それ以外のことはどうだってよかった。


「別に、どうでもいいです」

「どうでもいいって」

「あたしがどうなってるかなんて、どうでもいいです。もう、生きてる理由もないですから」

「そう、わかった」


 ダイアナは一度頷くと、ダイニングテーブルを蹴り上げた。

 テーブルがさほど動いたわけではなかったが、かなりの音が響いた。由流華もさすがに驚いて、ダイアナを見つめる。


「あのね、私もこれは仕事なんだ。だからとにかく話を聞きなさい。いい?」

「……はい」


 勢いに押されて頷く。有無を言わせない口調に、自然とそうしていた。

 ダイアナはよし、と席を立った。


「じゃあすぐに始めるから。ちょっと待ってて」

「はい……」


 食器を片付けるダイアナを見ながら、ぽつりとつぶやいた。


「もう、どうでもいいのに……」


☆☆☆


 次に案内された部屋は、学校の教室によく似ていた。黒板に教卓、そしていくつかの机が並んでいる。

 どこに座ればいいのかわからずにいると、教卓の真ん前に座ってと指示された。なんとなく嫌だったが、まあいいやと席に着いた。机の上には、鉛筆とメモ用紙が置かれている。

 ダイアナは教卓に紙の束をどっさりと置くと、そちらに目を通しだした。少しして、よしと顔を上げた。


「多少は見当がついているかもしれないけど、あなたは元いた世界とは違う世界にいるの」

「……違う世界?」

「異世界、って言ってわかる? 異世界転生」

「それは……わかり、ます」


 由流華はあまり詳しくないが、灯がそういう漫画やアニメを見たりしていて由流華に勧めてもらったことはある。アニメは一応見たので、異世界転生の知識そのものはある。

 別の世界に移動するということだったはずだが、自分と灯はその異世界転生を果たしたということなのだろうか。


「日本で死亡した人間がこの世界に来ることがあるの。それを私たちは転生者と呼んでいる。頻繁にではないけど、あることなの」

「…………」

「この世界の名前はトーイロス。この国はラプト」


 トーイロス、ラプト、その名前を口の中で繰り返す。頭に入ってくるわけではない。ただの単語として、耳に通っていくだけだ。


「じゃあ、あたしと灯はその転生をしたってことですか?」

「そうなるね。受け入れづらいことだろうけど、これは早く受け入れないと辛いと思う」

「大丈夫です」


 即座に応じる。今より辛いことなんてもうありえるわけがない。それに比べたら、異世界に来たなんて大したことはない。

 灯がいないのなら、どこだって一緒なのだから。

 ダイアナは少しの間をおいて、話を続けた。


「転生自体はこのトーイロスで昔から発生していた現象なの。そしてここは、転生者を保護するための施設なんだ。だから、ユルカの身柄は一時的に私が預かることになる。不自由はさせないつもりだから、なにかあれば遠慮なく言ってね」

「…………」

「一時的って言ったのは、今後の身の振り方が決まるまでってこと。ゆっくり考えていいけど、これがしたいというのが見つかれば叶うように努めるから」

「元の世界に帰ることは?」

「できない」


 ダイアナは即答した。


「少なくとも、これまでそんな例は一つもないの。元の世界に帰ることはできないと考えた方がいい」

「そうですか」


 その話にはこだわらずに受け流す。どちらかと言えば、少しほっとしている自分もいた。

 ダイアナは困ったように表情をしかめていた。資料に目を落として、どうしようかななどと言いながらめくっている。

 しばらく沈黙が続き、ダイアナは大きく溜息をついた。


「私の仕事はこの転生者施設で転生者の世話をすること。まだ数年だけど、色んな子たちにこの世界のことを説明して行先の世話をしてきた。反応は人によって全然違う。異世界だって喜ぶ子もいたし、家に帰りたいと泣く子もいた。あなたみたいにショックで動けなくなっている子もね」

「…………」

「……あなたにとって、その友達は大事な存在だったんでしょ?」


 ダイアナの言葉に伏せていた顔を上げる。

 大事だとか、そういう言葉で表せるものではない。灯は、由流華にとってすべてだった。灯がいたから生きてきたし、灯がいたから人生に彩りがあった。

 ダイアナは真っすぐに由流華を見つめ、告げる。


「すぐに立ち直れっていうんじゃないの。時間をかけていい。だから、投げやりな態度だけはやめてほしい」

「ダメですか?」

「え?」

「投げやりじゃダメなんですか? 灯がいない世界で、あたしは生きていたくなんかないです。好きな人がいなくなって、何もなくなるのは当たり前じゃないんですか!?」


 話しながら声が大きくなっていった。我慢のできない激情があふれてきて、吐き出すと止まらなかった。机に身を乗り出して勢いで言い募る。


「あたしは、灯に何もできなかった。目の前で死んでいくのを二回も見せられた! それなのに助けることもできずにあたしだけこうして生きてる。異世界だとかそんなことはどうだっていいよ! あたしは灯さえいてくれればあとは何もいらないのに!」


 何も考えずに声を荒らげ、軽く息を切らせながら座りなおす。

 しん、とした空気の中ダイアナはぼそりとつぶやいた。


「言いたいことはそれで終わり?」

「え……はい」


 とりあえずで頷くと、ダイアナはキッと鋭い目を由流華に向けた。


「あのね、これは仕事なの。いい? 私はあなたに説明義務があってそれをこなさなきゃ今日の仕事も終われないんだからね。もろもろの手続きもあるし忙しいの! あんたが落ち込むのはわかるけど、まずは私の話を聞け! そして仕事を終わらせろ!」

「…………」


 怒涛の勢いで畳みかけられて、由流華は何も言えずに目をぱちくりとさせた。

 ダイアナは目つきを悪くして、低い声で続けた。


「だから、まずは私の話をちゃんと聞きなさい。わかった?」

「わかり、ました……」

「ちなみに終わったら理解度のチェックもするから、適当に聞き流すのはダメだからね」


 告げて、ダイアナは黒板に文字を書きだした。

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