第1話 異世界での目覚め①

「灯!!」


 自分の声で目を覚ました――のだろうか。

 ぱちぱちと瞬きをして、薄暗い中空を見上げた。木々の生い茂る枝葉にさえぎられて、空の青さは目に見えなかった。そのせいで周囲は暗いのだが、何も見えないというほどではない。


「なんなの……?」


 混乱にうめいて、腹部に手を当てた。痛くはない。というより、どこにも怪我がない。あれだけ血が出ていたはずなのに、その痕跡すらもない。訳が分からず、嫌な寒気がした。

 由流華は自分が草の上に横になっていることを知った。まだはっきりとしない頭で周りを見回して気が付いた。


「灯!?」


 少し離れたところに灯が横たわっていた。

 慌てたせいでうまく立ち上がることができずに、這うようにして灯に近づく。灯は意識はないようだったが、胸は上下している。ごく普通に、寝ているだけのように見えた。

 頭の混乱はさらに増していき、不安のまま灯の肩をつかんで揺さぶった。


「灯……灯!」


 灯はううん、とうなってゆっくりと目を開いた。焦点の合ってない目が、じょじょに由流華をとらえた。灯は反射のように由流華に向かって笑いかけてきた。


「おはよう、由流華」


 呑気な挨拶に気が抜けて、苦笑が漏れる。体を起こす灯に安心して、何の気なしに口を開く。


「変な夢を見たよ。灯とあたしが男の人に刺されて……」

「ここ、どこ?」


 言葉をさえぎられた由流華はきょとんとして、それから灯の疑問に追いついた。

 立ち上がって改めて周囲を見回す。木々は思ったよりも濃く密集していて、森の中としか言いようのない場所だ。暗くじめじめしていて、空気は冷たい。

 隣で立ち上がった灯も、おずおずと目線をさまよわせている。いつも明るい灯がこんな風になっているのは、ほとんど見たことはない。

 不意に灯が由流華の腹に触れた。それだけではなく撫でまわしてきて、くすぐったさに体をはねさせてしまった。


「あ、灯!?」

「由流華、刺されたところは!?」

「えっと、なんか大丈夫みたい」

「でも、刺されたよね?」

「そうだけど……それなら灯だって」


 首を刺されたはず、と言いかけたところでその光景がフラッシュバックした。

 男が走ってきて由流華が刺され、そのあとは灯も襲われた。

 いきなり森の中にいたという状況の現実味のなさにどこか寝ぼけているような感覚でいた頭が目覚めた。ふわふわと確認していたことが一気に頭に入ってきて、はっと灯を見つめる。

 灯も由流華もなんともない。だが二人とも制服姿のまま森の中で横たわっていた。鞄はなくなっているが。

 どうしてこんなことになっているのか、どうやっても説明がつけられない。灯も困ったような表情で、由流華を見返している。

 無意識で自分の手首を撫でる。と、何かの感触が手に伝わってきた。左の袖をめくると、手首に銀色の細い腕輪がついていた。

 見覚えすらないものだ。こんなもの持ってもいない。いつの間にか身に着けていたのだろうか。触ってみると、とても滑らかでひんやりとしていた。

 灯も腕輪を見とがめて、眉をひそめた。


「由流華、そんなの着けてた?」

「ううん。あたしだってわかんないよ。気味悪い……灯にはなんもない?」


 灯は黙ってかぶりを振った。それに合わせて、両耳のピアスが揺れる。

 灯は考え込むようにうつむいていたが、やがてばっと顔を上げた。真剣な表情で、重く口を開いた。


「とにかく、ここから出よう」


 由流華の手をつかみ引っ張って歩き出す。どこに向かって歩いているのか疑問に思ったが、由流華だってどうすればいいのかなんてわからない。大人しく灯に引っ張られながら、灯の様子がなんだかおかしいように感じられた。こんな状況で平静でいる方がおかしいのかもしれないけど、違和感があった。

 鬱蒼とした森の中を歩いていく。どこに向かって歩いているのかもわからなく、同じような光景のせいで進んでいるのかも不安になってくる。そもそもここは一体どこなのだろう。ひょっとしたら日本ではないのかもしれない。そんなバカげた考えすら浮かんでくる。

 由流華の手を引く灯のキレイな金髪が正面に見える。生きて、そこにいてくれている。それを意識すると、堪えてきたものがあふれてきた。

 涙が流れ、こぼれるとともに声が大きくなってきた。灯が足を止めて振り返った。泣いている由流華に少し驚いたように目を見開いて、いつものように柔らかく笑んだ。慰めるように由流華の肩に手を置いて、優しい声音を語り掛ける。


「大丈夫だよ由流華。大丈夫だから、なんとかなるよ」


 由流華が不安に駆られて泣き出したと思ったらしい灯に、それは違うと首を振る。


「あ、灯が……生きてて……良かった……死んでなくて、良かった……」


 灯が生きてる。夢だかなんだかわからないが、灯が刺されるのを見るのは自分がどうにかなるより遥かに辛かった。灯が生きているということだけで、すべてが大丈夫に思えた。

 灯がそっと、しかし力強く由流華の体を抱いた。由流華も抱き返して、灯の肩に顔をうずめて我慢せずに泣きじゃくった。灯の手が由流華の背中をとんとんと叩いて、そこから暖かさを感じて余計に泣けてしまう。

 落ち着いてきて泣くが止まって、惜しむように体を離した。灯は笑っていたが、目じりには涙が浮かんでいる。


「うちも、由流華が無事で良かった」

「うん、今度はあたしが絶対に灯のことを守るから」


 灯は由流華の宣言にはにかむように頷いた。そうしてからふと気づいたように右耳の方のピアスを外し、由流華へ差し出してきた。


「これ、片っぽ由流華がつけて」

「どうして?」


 受け取りながらきょとんと訊き返す。灯の言うことなら従うが、単純に理由がわからない。灯は明らかに言いよどんで、目も逸らした。灯らしくない態度に眉をしかめて返事を待っていると、ややあってぽつりとつぶやくように答えた。


「はぐれたら、これを目印にして落ち合おう」

「はぐれたら? 嫌だよそんな」


 おかしなことを言う灯に言い募るが、灯は黙って首を振るだけだった。

 よくわからないが、灯が言うならと提案を受け入れることにする。ポケットに仕舞おうとしたが、灯は強い口調で制止した。


「ダメ、ちゃんと着けて」

「う、うん……」


 不思議に思いながら自分の左耳にあるピアスを外して、灯のピアスを着ける。灯はそれを見て満足そうにうなずいて、再び由流華の手を取って歩き出した。

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