再会を果たしたければ 生きろ/死ね

朝霞肇

1章 再会を果たしたければ

プロローグ

「もう真っ暗だね」


 その言葉で気が付いたというわけでもなかったのだが、つい空を見上げた。

 とはいえ言うほど真っ暗というわけでもなく、せいぜい夕方と夜の中間といったぐらいだろうか。それでも夜と言ってしまえば夜だと通る暗さではある。いくらか星の瞬きも目に映り、かすかに目を凝らす。


「少し前まではこの時間でもまだ明るかったじゃない?」

「そうだね」


 頷いて、話している相手――友人の沖田灯おきたあかりの顔に視線を移す。

 灯は長い金髪をたなびかせて穏やかに微笑んでいた。小柄ではあるけれど、顔つきは大人びていてそのギャップが彼女にどこかミステリアスな魅力を与えている。子供っぽいと思えば大人に見え、大人に見えれば子供っぽさをのぞかせる、そんな子だ。両耳に垂れた水色の球がついたピアスが、灯の歩みに合わせてかすかに揺れている。

 一方、柳沢由流華やなぎさわゆるかはといえばよく言えばあどけなく、率直に言ってしまえば単純に童顔だった。夜に溶けるような豊かなセミロングの黒髪は由流華の数少ない自慢の一つだが、目の前の灯の美しさには到底かなわない。

 灯の金髪はキレイなプラチナブロンドなのだが、地毛であるらしい。ハーフだとかそういうわけでもないと本人は言っている。灯の両親は二人とも日本人然とした黒髪だが、参考にはならない。というのも灯は里子で、今の両親の元には中学生になってから暮らしている、そうだ。それ以前のことは訊いてもはぐらかすので、由流華も無理に訊くことはしなくなった。

 それでも、灯は由流華の一番の親友で、誰よりも大事な人間だ。それだけは何があっても変わることはない。

 灯と出会ったのは中学生の時で、その時からずっと傍にい続けた。灯に支えられたことで、これまでの辛い日々もなんとか耐えることができた。灯がいなければ、由流華はとっくの昔にどうにかなってしまっていただろう。

 不意に、由流華の手が握られた。

 握り返すと、灯はいたずらっぽく笑った。黙っていると大人っぽい灯は、不意な笑顔で年相応の子供っぽさを見せる。同性の由流華もそうした振る舞いにはどきりとさせられる。

 二人は今学校から帰宅している最中だ。二人とも部活動をしているわけではないのだが、放課後はいつも教室に残って話をしているので帰宅も毎回暗くなってからになる。こういう日常になったのは、由流華の都合でしかないのだが。


「溜息」

「え?」


 唐突な灯の言葉に、目をしばたたいて訊き返す。

 灯は由流華の顔を覗き込むようにして、


「溜息ついた。うちと一緒にいて楽しくないわけ?」

「そんなわけないよ」


 灯の心配を払いたくてあえて軽く言い放った。同時に胸の内で反省をする。溜息をついた自覚はなかったが、帰るということで気落ちしてしまっていたのかもしれない。

 灯に心配をかけたくはないけれど、由流華が頼れるのも灯だけだ。灯だけが、由流華を許して一緒にいてくれる。

 甘えの虫がむくむくと膨らんでいくのを自覚する。こらえきれずに、口を開く。


「灯の家行ってもいい?」

「うん、いいよ」


 灯は少しの躊躇いもなくあっさりと即答してくれた。由流華がこう言うのを予想していたのかもしれない。

 そのまま数秒無言で歩き続けて、小さく首を振った。


「ごめん、ちゃんと家に帰るよ」

「別にうちはいいんだよ? 大丈夫なの?」

「大丈夫……だよ」

「そっか、あとで電話するから」


 灯は優しく囁いて、心持ち体を寄せてきた。あったかいな、と思いながら甘えた自分を恥じた。

 どんなに嫌でも、帰る家はあそこしかないというのに。

 由流華からも灯に体を近づけた。せめて一緒にいられるこの時間だけでも灯のことだけを考えていたかった。

 灯は由流華にとっての宝だ。何があっても失いたくないし、一緒にいられるならどんなことだってするつもりだ。

 と、後ろから誰かが走ってくるような音が聞こえてきた。首を回して振り返り、ぶつかったりしないように灯を抱えて端に寄る。

 血走った目の男だった。勢いよく走っていて異様な形相に引くものがあり、灯を庇うようにして男が走っていくのを待った。

 しかし男は由流華に真っすぐに向かってきて、そのまま激突した。


「きゃっ!」


 悲鳴を上げて倒れかけたところを、灯が支えてくれた。

 突然のことに混乱して、ぶつかってきた男を見る。男は由流華の目の前に立っていて、冷たい視線を注いでいる。


(何、この人……)


 思考しながらなんとなく男がぶつかった腹部に手を当てると、ぬるりとした感覚があった。

 え? とその部分を見下ろすと、街灯の明かりに掌にべったりと赤い血がついているのがわかった。

 血だとわかると、途端に体から力が抜けた。灯が体を支えきれずに、由流華は地面に倒れた。見上げた男の手に血が滴っているナイフが握られていた。


「由流華!? 由流華!」


 灯の悲鳴じみた声になにか応えようとしたけど、声は出なかった。口の中に逆流した血があふれてきて、だらしなく開いた口から垂れていく。

 倒れた由流華に覆いかぶさるようにして灯が懸命に由流華を呼んでいる。応えたくても応えられない。寒気がして、手を伸ばそうとしてもできない。

 男はまだ立っていた。ナイフを高々と振り上げて、灯を見下ろしている。


「あ――に――」


 警告の声を出すこともできない。灯だけでも助かって欲しいのに、指一本動かすこともできない。

 灯は逃げることもなく、顔をくしゃくしゃにしながら由流華の名前を読んで体を揺すっている。

 振り下ろされたナイフが、灯の首に突き立てられた。


「やめ、て――」


 灯の体が崩れ落ちて、由流華の体に重なった。うめきも動きも、何一つない。ただ灯の体が、いやに重く感じる。繋いでいた手だって、とっくに離れてしまっている。


(灯、うそ、いや――灯、灯、灯!!)


 せめて灯の顔だけでも見たかったが、由流華の体に顔をうずめる形になっていてそれも叶わない。

 視界の中、男が再びナイフを掲げるのが見えた。

 意識が急速に闇に沈み、すべてが消失した。

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