最終話 ずっと欲しかったもの
「『だから!もう二度と私の彼と会わないで』」
「はぁ?彼ってどこの誰?」
「『よくそんなことが言えるわね!だいたい男のくせに女みたいな真似して恥ずかしくないの!?とにかく会わないで!!』」
「……」
時には、目覚ましがこんなに最悪なことだってある。
会ったこともないのに、男だとか女だとかを理由に一方的にまくし立てられ、罵られる。
なぜか私と寝る相手は、他に恋人がいる奴がやけに多い。
だから、たまにこうやって、拗れてしまうことがある。
「……朝から最悪」
その彼とやらが、きっとこの間の、あの男のことだろうなと当たりをつけながら、スマホをベッドに放り投げた。
私はセックスは嫌いじゃない。男でも女でも誰でも。
でも、ヤッたとたんに自分の所有物扱いしてくる奴は苦手だ。
もっとドライな関係でいいし、難しいことを考えずに、快楽に没頭できることが、セックスの最も優れた点だと思ってる。
もっとも、セックスだって、相手が男のタチだったときは、こっちが受け入れる準備を事前にしておかなくちゃいけないし、体調によってこっちの気持ちよさも全然違う。むしろ、苦痛しかなくて「早く終わってくれ」と思うことも多い。
たまに、いくらこっちが言ってもゴムをしない馬鹿もいるけど、そういうのはガキに多い。
結局、自分だけ満足して、私は放って置かれるなんてのもある。
女とするときも、正直なところ、心中穏やかではない。
死ぬほど憧れる「女としての肉体」を目の前にしながら、この不完全で中途半端な身体を自覚しなくちゃいけないから。
嫌いなタチ役も、甘い顔を装ってこなす。
それが、辛い。
結局のところは私は「受け」で、性別がどうであれ、「相手に攻めになってもらいたい」ってことに尽きると思う。こっちばっかり頑張って、相手が何もしてくれないセックスほど嫌いなものはない。
でも、噛み合ったセックスには満たされる。
色んなことを忘れさせてくれる。
――本当の性別も、この劣等感も。
だから、嫌なことも多いけど、身体の関係を持つのをやめられない。
求められると、私が私でいいと、そう思えるから。
こんな事は誰にでも話す訳じゃない。
この間、ちょっとだけあの子達に吐き出してしまったけど、ここまでのことは話せない。
でも、たまに私も吐き出したくなる。
――特に、こんな最悪な気持ちの時は。
保健室に駆け込んだ私を見て、養護教諭の彼女がコーヒーを淹れてくれる。
マグカップを2つコトンと置くと、彼女から切り出してくれた。
「で?今日はどうしたの?」
「……私ってビッチなのかな……」
「なぁに突然。誰かに言われたの?」
「……この間寝た相手にたぶん恋人がいて。電話口で罵られた」
はぁ、と彼女のため息が聞こえる。
「……いつも思うけど、大変ね。市川先生」
「ねぇ。どうして私はこうなんだろう」
「こうって?セックス依存なところ?」
「……うん」
「自覚はあるのね。予防はちゃんとしなさいよ」
「してるよ!……ほんとはさ、こんなの変だって、自分でも思うんだよ。恋愛は無理で、彼氏にされるのも彼女にされるのも嫌。でも、身体の繋がりは欲しいなんて……でも、止められない」
「……」
「身体を求められると、ズレてるっていうことを忘れられる。『男だけど男じゃない、女じゃないけど本当は女でいたかった』っていうのが、和らぐ気がするんだ。このちぐはぐな身体のことも、求められているときは許すことができるから」
彼女は、何も言わずに聞いてくれる。
私がどんなことを言おうとも、突拍子もないことでも倫理に反するようなことでも、彼女は聞いてくれる。
だから話せる。話してしまう。彼女には。
「結局、私は求められたいんだと思う。求められると、私は無価値じゃないって分かる。他の誰でもなく、私を求めてくれるから」
「……」
「だから身体の関係を追い求めてしまう。でも恋愛のごたごたは、もう懲り懲りなんだ。『昔のあれ』で、もういいや、って。無理だって分かったんだ。他人を信じられないし、お互いに依存してしまうのも嫌。だからそういうのは無しにして、身体だけを求め合えればいい。でも……どこかで、それも虚しく感じてて……やめたいって、どこかで思ってるのかもしれない。でも、それをやめてしまうと、私はどうしていいか分からなくなる」
そこまで一気に吐き出すと、彼女が席を立った。
コツ、コツ、と私の方まで近づいて来た時、彼女は私を正面からぎゅっと抱きしめてくれた。
「市川先生。大丈夫。大丈夫だから」
「……う、ん……」
温かい。
彼女の優しさに、涙腺が緩んでしまう。
「戦ってるのね、いつも」
「……うん。戦ってる。自分と戦ってる。止められないよ……」
「自分のこと、好きになれない?」
「なれないよ!無理だよ……どうあがいても女になれないのにさ。ホルモン治療しながら、それでも自分がなんだか馬鹿みたいだ、って」
止まらない。今日はおかしい。
いつもは彼女に、こんなことまで言わないのに。
今朝のあれで、少し参ってたのかもしれない。
彼女は、ずっと聞いてくれる。私の話を、ずっと。
「確かにさ、緩和はされるんだ。胸も膨らんで、体つきも柔らかくなってきて。助けられてるんだ!苦しくなくなるんだ!でも……それでも近づいてるだけで、女そのものになれるわけじゃ、ない。それが……辛い……」
そう言った後、彼女がもう一度、ぎゅっと抱きしめてくれた。
優しく、諭すように。
「こう言うと、あなたは認めないかもしれない。でも、私はあなたが気高いと思うわ。ずっと、自分と向き合って戦い続けてる。誰にでもできることじゃないもの。あなたの苦しさは、薬で消せるものでもなければ、手術で消えるものでもない。それに、ずっとずっと抗い続けてる。あなたという人間を証明しようと、必死に戦ってる。私は、あなたを心から応援したい」
「……あ……りが、とう……」
「ううん、友人として当然のことよ」
「……え?」
友人って……今、私を友人だって言った?
「私が友だちで、いいの?」
「何言ってるの。とっくにそうでしょうに」
だって、仕事として、話を聞いてくれてるんだと思ってたから。
養護教諭の業務として。
だからそれに甘えられると思ってた。
でも、でも。
彼女は、それを友人だから、だと言っている。
私にはずっといなかった、友人だと。
「……だから泣かないの、市川先生」
「だ、だって……ずっと、ずっと欲しかったから」
「ふふ。じゃあ私が第1号ってところかしら?光栄ね」
「うん……ありがと」
彼女の前で泣くのも何度目だろう。
でも、こうして彼女が友人だと思ってくれているのを知り、恥ずかしくもある。
しばらくそうした後、彼女に抱きついたままこう続けた。
「……正直に言うとね。私はあなたとこうしている時間が一番好きだったんだ。セックスより、なにより落ち着く気がした。だって、どんなことを言っても、あなたは、あなただけは受け止めてくれて、ちゃんと私を否定してくれたからさ」
「私も好きよ、こうしてるのは。心地いい」
なんだか、今のこの気持ちの正体が分からなかった。
彼女は私のことを、私があれほど焦がれていた、友人だと、友だちだと言ってくれている。
私も、彼女のことが大切だ。いなくならないで欲しい。
だから、聞いてみた。聞かずにはいられなかった。
「私、ほんとはあなたとセックスしたい。あなたとなら、いい関係を続けられる気がする」
「……やめておくわ。私はあなたと、この関係を続けたいもの。身体の関係を持ったら、それが崩れるでしょ?」
「そう、なのかな」
「えぇ。身体の関係がなくても、友人でいつづけられるのよ……本当は私もあなたとしてみたいけどね」
「……優しく抱くよ?」
「あら、私が抱くのよ。優しくね」
2人で、思いっきり笑った。
これほど笑ったことは、最近なかった気がする。
それくらい、心が洗われるような気持ちになれた。
きっと、これからも私は迷い続けるんだと思う。
同性への恐怖も、嫌悪感も、無くなったわけじゃない。
自己嫌悪もそう。
どこかズレているという感覚は、ついて回るんだろうとおもう。
それでも、彼女がいるから。
私は、たとえ迷っても、また道を見つけて歩いていけるんだと思う。
――今、悩んでいる人へ。
もし、あなたが私と同じように、苦しくて辛くて、どうしようもない状況にあるなら。
――私と、友だちになりませんか。
Fin
ずっと欲しかったもの さくら @sakura-miya
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