第4話 対峙

 翌日、資料課の倉庫にいる縹の携帯に、大木から再び電話がかかってきた。


『縹さん、柏木寛太はシロですよ。はやり犯行当時、職場の研究室にいたとアリバイを主張しています。白鷹大学は出退勤をIDカードで管理していますが、その記録もありますし、同僚も、門にいる守衛も証言しています。殺害時の駐車場の映像は……考えにくいですが……他人のそら似なのかもしれません』


「大木、頼みがある。取り調べが終わったら、俺が署から車で送っていくと、柏木に伝えておいてくれ。それから、お前に調べてほしいことがある。小原幹生という人間の経歴だ。俺と同い年で、十五年前に世田谷区立深沢中に在籍していた。奴の周りで不審死がなかったか、調べてくれないか」





 世田谷署の正面玄関に、黒いセダンが停まっていた。納得いかない顔つきの取調官二人に見送られ、色白の男が玄関を出てくる。片手には革鞄と白衣を抱えている。


 警察署の入り口を出てきた柏木は、一度振り返って挑戦的に警察官たちに告げた。


「尾行なんかしても無駄ですよ。僕は無実なんですから」


 そう言うと、玄関前の段差を降りて、停車していた車をまわりこみ、助手席側のドアをあけた。


「縹、ありがとう。とりあえず今夜は、近くのホテルに泊まることにするよ。実家も焼失してしまったみたいだしね」


 落ち着いた声で言って、シートに座る。

 縹はナビで近隣のビジネスホテルを検索した。

 ふたりをのせた車が国道を目指して走り出した。


「災難だったな」

「いや、縹こそ。僕が疑われたりしたから、捜査からはずされてるんだろ?」


 僕、か。

 縹は内心つぶやいた。お前は知らなかったのか。それとも忘れてしまったのか。柏木はおとなしい顔をしてはいるが、俺の前では自分のことを、俺、と言うんだよ。


「お前、誰なんだよ」

「もうバレてるんだよね、縹くん」


 前を見たまま、柏木は言った。


「小原幹生か」

「久しぶり」

「どうして柏木を殺(や)った?」


「それは――僕ら三人の約束を破ったから。僕の能力は内緒だよって言ったのに。柏木くんは研究熱心すぎるんだよ。僕のことを、あの美容整形の先生に言っちゃったから。だから先生にも死んでもらった」


 世間話でもするように、小原はさらりと自供した。


「仕方ないよ。それが僕らの一族の生存戦略だから。この能力の存在を知られてしまうと、僕らは人間に擬態して生きていけなくなってしまう。こっちも命がけなんだよ」


「お前の実家が燃えたそうだ。ご両親とは連絡がとれていない」


「ああ。さっき警察署の中できいたよ。でも僕はやってない。僕は昨夜、研究室に泊まりだった。美容外科医の殺人も、実家の放火もできっこない」


 柏木の顔をした小原が、片手をヒラヒラと振る。


「放火、と断定するんだな?」


 小原の実家の出火原因はまだ調査中のはずだ。


 縹が眉をしかめると、小原は、おっと、とわざとらしく手で口をおさえた。


「犯行当夜、徹夜で大学にいたのは本物の柏木で、殺人と放火をやってのけたのはお前、そうだろう? 家や両親まで燃やすことはなかったんじゃないのか」


 小原はため息をついて窓の外へ目をやった。


「柏木の母親は目が不自由だ。視覚を失った人はほかの感覚が鋭くなる。聴覚、嗅覚、触覚……。そういう人々は僕らの天敵なんだ。僕らが偽装できるのは外見だけだから。ああ、それに、家が焼けて、柏木くんの私物がなくなっちゃったから、DNA鑑定で本人確認をすることは不可能かもしれないね」


 残念だね、と小原は笑った。


「本物の柏木はどこにいる」

「大好きな海にいるよ。今頃は愛する魚たちと一体になってるはずだ」


 小原は、うっとりと言った。

 縹は思わず指先でハンドルを叩いた。


「なんてこった……」

「生きていくために他の生物を犠牲にするのは、人間も一緒だろ? 自然界の営みそのものじゃないか」


 こみあげる感情を殺し、縹は助手席にいる小原をにらんだ。


「それじゃ、お前は今後、柏木寛太として生きていくということか」


「それほど簡単でもないけどね。僕は生物学のエキスパートってわけじゃないから、このまま研究職を続けるのは無理だ。別の仕事を探さないと。ただ……柏木に擬態しているかぎり、人間であることは保証してもらえる」


 縹の携帯が鳴った。大木からだ。

 縹は小道に入り、路肩に車を停めた。


『縹さん、二十年前、小原幹生十二歳のときに自宅の火事で両親と兄弟を失くしています。他に身寄りのなかった小原は、その後児童相談所に預けられ、養育里親のもとから中学校に通っていました』


「その火事は、失火か、放火か、調べはついてるのか?」


『放火の可能性が高い、と判断されています。が、犯人は捕まっていません』


 小原幹生も、やつの隠れ蓑のひとつだったというわけだ。その小原の秘密が、柏木によって漏れてしまったから、今度は柏木寛太に成り代わることにしたのだろう。

 縹は大木に礼を言って、電話を切った。


 二十年前にも、小原は同様の手口で火災を起こし、生き残りの小原幹生になりすました。その前は、どうやって生きていたのか。誰として生きていたのか。


 縹の背中に戦慄が走った。急に自分の隣のシートにいる誰かが、得たいの知れない化物のように感じられた。


「……お前はなんなんだ。小原になる前は誰だったんだ。一体どのくらい生きているんだ」


 縹の狼狽ぶりを見て、『それ』はくすりと笑った。


「さあね。君たち人間のあいだには、自分のそっくりさん――ドッペルゲンガーを見た人間は死ぬ、なんていう都市伝説があるらしいけど、それってたぶん、僕らのことだよね」


 自分とそっくりの『それ』に出会ってしまったら、本物は殺される。消されてしまう。そしてなりかわられる。


「僕らに擬態されるっていうのは、そういうことなんだよ」


『それ』が、柏木の鞄と白衣を持って、助手席側の扉を開けた。


 縹にひきとめる術はない。アリバイによって殺人の容疑は晴れ、そして、警察内部の人間にこんな話を信じてもらえる可能性はほぼゼロだ。


「待て!」


 しかし、縹は思わず叫んでいた。この殺人生物をみすみす世に放ってはならない。


「僕を逮捕したかったら、してもいいよ。拘置所から脱走を試みるのも面白そうだし。追いかけっこして遊ぶ? それもいいね」


 ふざけた口調で『それ』は笑った。

 そして、バックミラーに写る自分の顔を見たとたんに、急に苦しげな顔つきになった。


「一体、僕は誰なんだろうね。その答えは僕も知らない。僕らは一生、誰かの真似をして生きる」


 柏木の顔をしたまま、胸中を吐き出すように『それ』はつぶやいた。


「……縹くん、僕ね、ひとりぼっちなんだよ」


 縹は感傷的な言葉をはねつけるように怒鳴った。


「いや、お前は孤独じゃない。さっき『僕らの一族』って言ったよな。他にもいるんだよな。実際、お前たちは、俺たちの社会にどのくらい入り込んでいるんだ。今何人くらい、入れ替わっているんだよ?」


 縹が震える声で言うと、『それ』は再び、不敵な表情をたたえて微笑んだ。


「知らないほうがいいよ。それを知ったら縹くん、もう誰も信じられなくなるからね」


 小さな笑い声を残して、柏木にそっくりの生き物は、車からするりと降りて宵闇に消えていった。


 縹は呆然とその背中を見送った。

 ただ、海洋生物のような、生臭い湿った臭いだけが車内に漂っていた。


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光学的擬態生物――ミミック―― 沢村基 @MotoiSawa

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